第96話【長崎の坂道から、東京の頂へ】
それから季節は流れ、英理の芸能活動はさらに勢いを増していった。
連続ドラマの主演、話題の映画、数々の映像作品やCMへの出演。
画面の中で輝く彼女の姿は連日のように日本中を魅了し、英理は名実ともに国民的女優としての階段を駆け上がっていった。
多忙を極める毎日の中で、セキュリティの強化や多忙なスケジュールを考慮し、ついに新たな住まいへと引っ越すことが決まった。
「英理さん、明日引っ越しだよ。セキュリティ万全の、最高のマンションを用意したからね!」
マネージャーの弾んだ声に、英理は胸を躍らせた。
引っ越し当日。
港区の高級高層マンション。ロビーには豪華なシャンデリアが輝き、エレベーターは未来の乗り物のように静かに上昇する。
部屋のドアを開けると、そこには宝石をひっくり返したような東京の夜景が、壁一面の大きな窓の向こうに広がっていた。
「…すごーい! 凪くん、見て! 東京タワーが、あんなに近くに見えるよ!」
英理は荷解きもそこそこに、窓に駆け寄って凪に電話をかけていた。
「…聞いたよ。和也が『あんな贅沢な部屋に住みやがって』って羨ましがっとったわ。無事に着いたみたいやな」
受話器越しの凪の声も、どこか誇らしげで、弾んでいる。
「うん、もう最高! 長崎の坂道から、こんな高いところまで来ちゃったよ。…でもね、凪くん。ここ、窓が開かないんだよ。風の音も聞こえないし、ちょっと不思議な感じ」
「…せやな。そこはお前が勝ち取った、特別な場所なんやから。…でも心配すんな。窓が開かんのなら、俺が外からずっとお前の街を見守ったる。」
凪の頼もしい言葉に、英理はバルコニー(の内側)でくるりと一回転して笑う。
「あはは、かっこいい! さすが消防士さんだね。…ねえ、凪くん。こんな高いところ、凪くんのハシゴ車、届くかな?」
「…もちろんに決まってるやろ。どんなに高い場所でも、どんなに厳重な鍵がかかってても、俺がお前のところに行かれへんわけないやろ。必ず会いに行くよ。
和也も誘って、その豪華な部屋でまた不味い肉じゃがパーティーしような」
「…もう、不味くないもん! 次は最高に美味しいの作るんだから。絶対、会いに来てね。約束だよ!」
「ああ、約束や。…おめでとう、英理。本当によく頑張ったな」
2005年、あの日長崎の坂道で重なった影は、今、東京の頂でより強く、眩しく光り輝いていた。
英理は、夜景に向かってピースサインを作った。
国民的女優・英理としてこの輝く夜から、さらに勢いよく始まろうとしていた。




