第91話 【カウンターの秘密の監視者】
「ねえ、ナオちゃんってば。さっきから地元の話ばっかりじゃん。せっかく東京にいるんだからさ、もっと俺と」
加藤がなおも執念深く、二人の会話の隙間に強引に割り込もうと言葉を挟んできた。
しかしナオは、加藤の方を振り返りもしないまま、ピシャリと言い放つ。
「あ、ごめん。うち、今凪くんと話しとる方が楽しいけん、話しかけんで。凪くん、それでさぁ!」
「う、わ…」
加藤は完全に相手にされず、差し出した言葉をそのまま空気中に放置される。
周りのメンバーからも「加藤、完全にフラれてんじゃん」「地元の絆には勝てないね」といったヒソヒソ話が聞こえてきた。
自分が今この場で完全に浮いてしまっているという屈辱的な空気感は、プライドをズタズタにされた。
加藤は、顔を真っ赤にしながらガタッと席を立ち上がり。
「チッ、ちょっとトイレ行ってくるわ」
吐き捨てるようにそう言うと、逃げるように部屋を出て行った。
♢
同じ頃、大人数の賑やかな個室エリアから少し離れた、薄暗くお洒落なカウンター席の奥。
そこには、深めのハットを被り、大きめの伊達メガネをかけ、マスクを少し下げて静かにドリンクを飲んでいる一人の女性の姿。
「仕事が押しとるけん遅れる」と凪にはメールしていたものの、仕事が終わるや否や猛ダッシュで変装し、すでに店内に潜入していた。
(凪くん、ちゃんとナオを助けられとるんかね。変な女の子に変なことされとらんよね?)
お洒落なダイニングのカウンター席の片隅で、絶世の女優が変装して1人でポツンとしている姿は、客観的に見れば少し不自然で、そして異常なほどに目を引く存在。
トイレに行こうと通路を歩いていた加藤は、イライラしながら髪をかき上げた。
「クソッ、なんなんだよあの東都農大の男。ナオのやつ、あんな芋くさい奴のどこがいいんだよ…」
愚痴をこぼしながらカウンターの脇を通り過ぎようとしたその時、加藤の鋭い「女ハンター」としてのアンテナが、奥の席にいる女性を捉えてピタッと動きを止めた。
隠しきれない圧倒的なオーラ。
変装しているとはいえ、明らかに店内のどの女子大生よりも次元の違う「超美人」が、そこに1人で座っていた。
加藤の目が、ギラリと肉食系の輝きを取り戻した。
(…おいおい、マジかよ。あんなレベルの違う美人が、なんで1人でこんなところにいるんだ? コンパのナオにコケにされてイラついてたけど、これ、あのナオとかいう田舎娘なんかより、何百倍も大収穫じゃん…!)
♢
「ねえ、お姉さん。こんなお洒落な店に1人でディナー? もしかして、誰か待ってたりする?」
信じられないほどの軽薄な笑顔で、顔を覗き込んでくる加藤。
「あ、ごめんなさい…。今、連れと待ち合わせしてるので!」
隣に突然滑り込んできた加藤に対し、優しく、けれどこれ以上は踏み込ませないという明確な拒絶を込めてキッパリと告げる。
目の前の変装した女性から漂う、これまで出会った誰よりも圧倒的な「本物の美人オーラ」が、加藤の執着心に火をつけてしまった。
「えー、待ち合わせ? いいじゃん、その人が来るまで退屈でしょ。ちょっとだけ隣に座らせてよ」
加藤は英理の拒絶を無視し、無理やり椅子を引き寄せてドカッと腰を掛けてきた。
すぐに通りかかった店員に手を挙げ。
「すいませーん、生ビール一つ。あ、あとこのお姉さんにも、お店で一番お洒落なカクテル何か作ってあげて。俺のおごりで!」
「え、ちょっと…結構です!」
英理が慌てて手を振るのも無視して、加藤は「いいからいいから!」と強引に押し切る。
そして、加藤は自分の胸の内にあるドス黒いイライラを勝手に吐き出し始めた。
「いやさ、お姉さんマジで聞いてほしいんだけど。俺、さっきまでそこの個室で飲み会やってたわけ。
そこでさ、俺がずっと一途にアプローチしてた、めちゃくちゃ可愛い女の子がいるんだけど…今日、その子から本当に酷い仕打ちを受けてさ」
加藤は自嘲気味にフッと笑い、手元のメニューをいじりながら続ける。
「俺のこと散々その気にさせといて、今日になって急に冷たい態度取るんだよ。それだけならまだしも、途中から遅れて入ってきた男がさ、マジで最低で卑怯な奴でさ。
いかにも地方から出てきましたって感じの芋くさい奴なんだけど、そいつがその子の『地元の知り合い』って特権を悪用して、俺たちの間に強引に割り込んできたんだよ」
「はぁ…」
英理は完全に引いてしまい、適当な相槌を打ちながら携帯に目を落とそうとするが。加藤の独白は止まらない。
「二人の世界作っちゃってさ、わけのわからない地元の方言でずーーっと喋り倒してんの。
俺が会話に入ろうとしても、その男がずる賢く話を逸らすしさ。
おかげで俺、完全にその場で浮いちゃって…マジでありえないだろ? 人の女を横からかっさらうような卑怯な真似してさ。
お姉さんだって、そんな計算高くて空気読めない男、最低だと思うだろ?」
悔しそうに熱弁を振るう加藤。
(うわぁ…なんか、バリ愚痴っぽい人に捕まってしもうた)
英理はハットの奥で冷や汗を流しながら、心の中でため息をついた。
「ほんまに、大変な目に遭われたんですね。でも、うち、そろそろ連れが来ると思うので…」
「いや、マジで聞いてよお姉さん。その男さ、オシャレなんか一切しなくて、めちゃくちゃダサい格好してんの」
加藤は届いた生ビールを一気に煽り、完全に理性を失った様子で愚痴をエスカレートさせて行く。
「なんか、色気も何もない普通のジーンズに、ただの白Tシャツの上にシャツ羽織っただけみたいな? 周りはみんなお洒落してきてんのに、一人だけ浮きまくりの超イモ野郎なわけ。
当然、お姉さんみたいな洗練された綺麗な人とは、同じ空気吸うことすら不釣り合いすぎるレベルの男よ?」
「…はぁ、そうですか」
英理は相槌を打ちながらも、ハットの下でピクリと眉を動かす。
(ジーンズに、白Tシャツにシャツ? なんか…どこかで聞いたことあるような格好じゃね…?)
一瞬、自分が今日の夕方に凪へ送った「オシャレ禁止令」のメールが頭をよぎる。
「しかもさ、そいつ、地方出身のフリして、中身はめちゃくちゃタチの悪い遊び人なんだよ! ああいう奴に限って、純朴な面して裏では女を騙し慣れてんの。
自分の得意な方言を武器にしてさ、女の警戒心を解くのがバリ上手いわけ。あ、すまん、ついアイツの方言がうつったわ。
とにかく、そうやって卑怯な手使って、俺の狙ってた女の子を完全に洗脳してんの!」
加藤の口から出た歪んだ悪口の数々に、英理は(この人、さっきから言い方がめちゃくちゃ大袈裟だし、性格悪いなぁ…)と、内心完全に引いていた。
そして、加藤の口から、不快な言葉が飛び出してきた。
「あーあ、マジでムカつくわ。…まあ、よくよく考えたら、その俺が狙ってた女ってのもさ、大して可愛くもないただのブスなんだけどね! 今思えば、あんなブス、あのイモ野郎にくれてやって丁度よかったわ。
お姉さんに比べたら、月とスッポン…いや、ゴミとダイヤくらいの差があるよ!」
加藤は「ハハッ!」と下品に笑い飛ばしてきた。
その瞬間、英理の心の中に、ぬぐいきれない強い違和感がゾワゾワと湧き上がってきた。




