第80話 【神之浦英理似の脅威】
英理が笑顔の圧をかけながら一歩一歩近づいてくる姿に、凪は完全に蛇に睨まれた蛙状態。
助けを求めるように和也を見るが、和也も(お前が自爆したとやからな…)と、瑞穂に見つからないようにそっと目をそらした。
英理からの強烈な視線のレーザーを浴びながら、
ここで話を曖昧に終わらせたら、瑞穂が帰った後にどんな地獄が待っているか分かったものではない。
凪はすかさず、身を乗り出して瑞穂に両手を振った。
「いや、瑞穂さん! ほんまに、ほんまにありがたい話なんですけどね!? 俺、今彼女とか全然いらんのですわ! 消防の仕事がめちゃくちゃ忙しくて、新しい救助の訓練とかも始まって、もうそんな人と付き合っとる暇なんか1ミリもないから! ほんまに!!」
瑞穂は、申し訳なさそうに自分の携帯の画面を凪に向けた。
「えっ? でも、もう早紀にメール送っちゃった」
「…は?」
凪は完全に唖然として、口を半開きにしたまま固まった。
携帯の画面にはすでに『かっこいい消防士の人がいるんだけど、今度4人で会わない?』という文章と、しっかり『送信完了』の文字。
凪の額から、タラリと冷や汗が流れ落ちた。
そんな男たちのパニックをよそに、瑞穂はジャージ姿の英理をまじまじと見つめ、パッと表情を輝かせた。
「それにしても和也くん、妹さんもよく見るとすっごく可愛らしいね! お肌もツヤツヤだし、目がぱっちりしてて、なんだか芸能人みたい」
「えっ!? あ、いや、そんなことないんよ! こいつはただの芋娘やけん!」
和也が慌てて割って入るが、
英理は引きつりそうになる頬の筋肉を必死に抑え、上品に微笑んでみせた。
「ありがとうございます、瑞穂さん。そんな風に言うてもらえるなんて、うち、バリ嬉しいです」
瑞穂はすっかり英理のことが気に入ったようで、楽しそうに問いかけた。
「ねえねえ、妹さんも凪くんとお友達なの? 凪くん、いつもこうやって和也くんの家に遊びに来るの?」
瑞穂からの無邪気な質問に、英理はゆっくりと凪に視線を戻した。
その瞳には、まだ悪戯っぽい怒りの炎がメラメラと灯っている。
「友達…うーん、そうですねぇ。友達というか、お兄ちゃんの同級生やけん、昔からよろしゅうさせてもらいよるんですけど。ねぇ、凪くん?」
「お、おう…まあ、そんな感じ、かな……?」
凪は生きた心地がせず、ただただ小さくなって頷くしかなかった。
「瑞穂さん、ほんまにごめん! とにかく今のメール、さっきのは無かったこととして断ってぇな! お願い、今すぐ『やっぱり無しで!』って送って!!」
凪はソファから身を乗り出し、拝むように両手を合わせて必死に懇願した。
「えー、そうなの? せっかくのチャンスなのにもったいないなぁ…。
あ、でも断る前にさ、せめて早紀の写真だけでも見てよ! ほら、こんなに可愛いんだから!」
そう言うと瑞穂は、携帯の画面を凪の目の前にグイッと突き出した。
画面に映し出されていたのは、少しはにかんだ笑顔を見せる、いかにも男子ウケしそうな、透明感のあるお嬢様風の美女の写真だった。
凪は(見たらアカン、見たら地獄に落ちる…!)
「……っ!」
凪が息を呑んだその瞬間、すぐ真横から、すうっと冷たい影が忍び寄ってきた。
いつの間にか凪のすぐ後ろに回り込んでいた英理が、小豆色のジャージ姿のまま、凪の肩越しに携帯の画面をじーっと覗き込んできた。
英理はゆっくりと凪の顔を覗き込んだ。その目は一切笑っていない。
「ほんま……。早紀さん、バリ可愛い人ですねぇ、凪くん?」
「ひ、ひぃぃ…っ!」
「お肌も白くて、なんか雰囲気もうちよりずっと女の子らしくて、優しそう。……ねぇ、凪くん。こんな可愛い人からのお誘いを断るなんて、ほんまにもったいないと思わん?」
英理の言葉は丁寧だが、声のトーンは完全に凪をロックオンしていた。
「お、思わん! 1ミリも思わん! 確かに可愛いとは思うけど、俺にはもう、世界で一番綺麗で、ちょっと難しくてすぐ怒るけど、最高に愛しい人がおるから……あ、いや、おるような気がするから!!」
瑞穂の前で必死に言葉を濁しながらも、全力で英理への忠誠を誓う凪だった。
英理は携帯の画面から目を離すと、
「ほんま、瑞穂さん。こんな綺麗な早紀さんやったら、凪くんにはもったいないくらいの人ですねぇ」
「えー! そんなことないよ!」
瑞穂はブンブンと首を横に振って、英理の言葉を全力で否定。
それどころか、身を乗り出してやけに凪を褒めちぎり始める。
「凪くんだったら、うちの大学に来たらすぐ彼女できるよ! 背も高くてかっこいいし、消防士さんだし、お話もこんなに面白いんだもん。もう、掘り出し物みたいな人だと思う!」
「ほ、掘り出し物…っ!?」
瑞穂からのまさかの最上級の褒め言葉、
「いや、瑞穂さん、褒めすぎですって! 俺なんてただの、その、そこらに転がっとるただの石ころみたいなもんですから! 掘り出しても泥しか出てきませんわ!」
必死に自分を下げようとする凪だったが、
その横で、じわじわと英理のまとうオーラが冷たくなっていった。
ハイウエストに履いたダサい小豆色ジャージの姿のまま、英理は腕を組み、凪を上から下まで値踏みするように見つめる。
「へぇ…。凪くんって、よその大学に行ったら『すぐ彼女ができる掘り出し物』なんやねぇ。うち、知らんかったわ」
「あ、英理…? 違うねん、瑞穂さんが気を遣って言うてくれてるだけで…!」
「うちの大学の女子が見たら、みんな放っておかないと思う!」と、なおも無邪気に追い打ちをかける瑞穂。
和也はもう完全にキャパシティをオーバー。
(頼むけん瑞穂、もうそれ以上凪を上げるのはやめてくれ、こいつの命に関わる…)と心の中で涙を流していた。




