第72話 【人生最大の失言】
「…は? 凪くん、コンパやで? 今さら何言いよると」
英理が呆れて言うと、凪は至って真面目な顔で続ける。
「英理も行くか?まぁ無理なら、英理の分まで楽しんできて、あとでどんなんか詳しく報告したるわ!」
その瞬間、和也がスプーンを落としそうになり、ナオは頭を抱え込んだ。
和也が鬼のような形相で凪の肩を掴み。
「おい凪! お前、自分の言ってること分かっとるんか!? 英理に合コンの報告をするっていうのはな、『俺、浮気してきまーす』って報告するのと同義なんやぞ! お前、死にたいんか!?」
「えっ…ちゃうの? 楽しかったことを共有するっていうか…」
凪がキョトンとしている横で、英理はゆっくりと笑顔を消し、冷ややかな視線を凪に突き刺した。
「…へえ。凪くん、うちの分まで楽しんでくるんやね。ふーん、なるほどねぇ」
英理の背後に黒いオーラが見えたような気がして、凪は青ざめ…。
ナオが引きつった笑顔で小さく呟く。
「…凪くん、今のは人生最大の失言かもしれんよ」
凪は状況が飲み込めず、きょとんとした表情で英理の顔を覗き込んだ。
「英理? どうしたん、なんか様子おかしいで。
そんなにコンパが嫌なら、俺が一人で先走って『楽しんでくる』なんて言ったのが悪かったん? ごめん…」
彼女は手に持っていたグラスをテーブルに置き、冷徹な怒りが宿っている。
「…別に、怒ってなんかおらんよ。そうやね、凪くんがそこまで楽しそうにするなら、うちもそのコンパ、行ってみてもいいよ」
「はぁ? 英理、お前何言っとんねん…」
「その代わりね、凪くん。会場では、うちとあんたは『赤の他人』。挨拶もせんし、目も合わせん。
うちが他の大学生の男たちとどんなに盛り上がろうが、誰と連絡先交換しようが、あんたは一切文句言わんってこと。それが条件なら、連れて行ってあげてもよかよ」
英理の口調は氷のように淡々としていた。
凪は背筋に冷たいものが走るのを感じ、おろおろと和也とナオに助けを求めた。
「…和也、ナオ。なんやこれ、どんなことになってんの? 英理は何でこんな怒っとんの?」
和也は溜息をつき、カレーを口に放り込みながら呆れたように言った。
「凪、お前ほんと鈍感にも程があるぞ。…英理が『行ってもいいよ』って言ったのは、『行くな』って意味や。それにお前、自分から『英理の分まで楽しんでくる』なんて地雷踏んだんやぞ?」
ナオも、引きつった笑顔で凪の腕を突っつく。
「凪くん、ほんまに分かってないと? 英理はね、凪くんがコンパで他の女の人と喋るっていう想像だけで、今めちゃくちゃヤキモチ焼いとるんよ。
それをあえて『うちも行くから、他人として振る舞え』なんて言って、試されとるんだよ」
凪はパニック状態で英理を見返した。
「あ、いや…そんなつもりちゃうねん…俺はただ、英理が忙しくて行かれへんから、代わりに雰囲気を教えたろかなと」
「凪くん」
英理が冷淡に遮る。
「もう一回聞くけど。
…うちがそのコンパに行って、他の男たちとどんちゃん騒ぎして、新しい出会いを求めても、あんたは文句言わんとね? 好きにさせてもらえるとね?」
凪は完全に混乱し、英理の手を掴もうとしたが、英理はさっとそれをかわした。
「待て英理、他の男と楽しむなんて、そんなんあかんやろ! 何が新しい出会いや、冗談でもそんなこと言うなよ!」
凪の必死な言葉に、英理は少しだけ目を細め。
「…じゃあ、凪くん。あんたは結局、コンパで何がしたいと? うちが行けん状況で、あんたが他の女の人とお酒飲んで話すのを、うちは家でずっと想像して我慢せんばいかんの?」
凪はバツが悪そうに頭をかき、心底不思議そうに和也とナオを見回した。
「…いや、だってコンパって言ったら、なんか大学のサークル同士が交流する文化祭みたいな、模擬店とかそういうイベントみたいなもんちゃうん? みんなでワイワイして、祭りみたいな……」
その凪の天然ボケに近い純粋な問いかけに、今度は和也が爆笑し、ナオは崩れ落ちるように笑い出した。
「あははは! 凪、お前ほんまに救いようがないな! コンパは模擬店とかそんな生易しいもんじゃねぇよ!」
和也が涙を拭いながら、あえて凪の肩を叩いて追い打ちをかける。
「コンパっていうのはな、基本的には男女が『出会い』を求めて酒を酌み交わす場なんよ。」
ナオも笑いながら補足する。
「そうそう。特に今回のインカレコンパなんて、男は可愛い子探して、女はいい男探してっていう、ある意味『戦場』なんよ。
そこに英理みたいな綺麗な人がおったら、もう男どもが群がってきて、凪くんがいくら消防士でも守りきれんくらいの騒ぎになるよ」
凪は絶句した…。
ようやく事の重大さを理解した。
「…え、そんなん…そんな場所で、英理が他の男と話すん?」
凪の顔から血の気が引いていくのを見て、英理はプイッと横を向いたが、その口元は少しだけ緩んでいた。
凪は、さっきまでの困惑していた表情から一転、どこか情けないほど真っ直ぐな瞳で英理を見つめ。
「英理…お願いやから、他の男とか、新しい出会いとか、俺にそんなこと想像させんといて。
…あかん、そんなん想像しただけで、心臓痛いわ」
凪は拳を握りしめ、言葉を絞り出した。
「コンパなんか、お前が行くような場所ちゃう。英理は…俺だけの英理なんやから…」
そこまで言って、凪は視線を床に落とした。




