第62話 【ほうじ茶の匂いと、あたたかな歓迎】
数日後、玄関の引き戸を開けると、香ばしいほうじ茶の匂いが漂ってきた。
「ばあちゃん…おる? 連れてきたんやけど」
奥から「はいはい」と足音が聞こえてくると、凪は急に落ち着かなくなり、何度もシャツの裾を整えたり、不自然に喉を鳴らしたりしている。
やがて、小柄で上品な祖母の澄子が顔を出す。
「おお、よう来たね。凪が誰か連れてくるなんて、長崎に来てから初めてじゃなかと?」
澄子の温かい視線が、凪の隣に立つ英理へと向けられる。凪は顔を真っ赤にし、視線を斜め下の床に固定したまま、消え入りそうな声で口を開いた。
「…あの、えっと。…こちら、その…あ、英理さん」
「…」
「…えっと…いつも、その、お世話になっとる…人で…」
「彼女」という言葉を口にする勇気が出ず、凪は口ごもりながらもじもじと指先を動かしている。
見かねた英理が、鈴を転がすような声で一歩前に出る。
「初めまして、神之浦英理と申します。凪くんには、いつも優しくしてもらいよるんです。今日はお会いできて、ばり嬉しいです」
深々とお辞儀をする英理の圧倒的な透明感と、彼女の曇りのない黒髪、透き通るような肌を改めて眺め、澄子は感心したように深く息をついた。
「…それにしても英理さん、あんたほんまにばり綺麗な子ねぇ。さっきから見惚れとったとよ。凪には、もったいなさすぎるくらいばい」
「そんな…おばあさま、褒めすぎですよ」
英理が頬を赤らめて謙遜すると、澄子は茶目っ気たっぷりに顔を寄せ、声を潜めて続ける。
「ほんまよ。あんた、これだけ別嬪さんなら、凪よりよか男なんて山ほどおるとやろに。もっとシュッとした、よか家の子だっておったろ?」
英理は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく、けれど芯の強い笑みを浮かべながら言った。
「ええ人』がおるかどうか、うちは考えたこともないです」
「ばあちゃん、変なこと言うのやめてくれ。俺かて分かっとるわ、そんなこと」
耳まで赤くしてぶつぶつ言う凪を見て、澄子は「カカカ」と愉快そうに笑った。
「そうね、そうね。凪、あんた一生かけてこの子ば大事にしんしゃいね。こんなよか子、二度と現れんけんね」
♢
玄関先で、英理は澄子の手を優しく包み込むように握った。
「おばあさま、今日はばり楽しかったです。夜は暖かくして休んでくださいね。…また、凪くんと一緒に顔出しにきてもええですか?」
澄子が「いつでも来んしゃい、待っとるけんね」と目を細めると、英理は心から安心したように微笑みかけた。
「ありがとうございます。今度は凪くに内緒で、おばあさまの好きな甘いもん持ってきますね。それまで、元気でいてくださいね」
靴を履き終えて見送られようとしたその時、澄子はニヤリとイタズラっぽく笑って言った。
「んもう、あんたら今からデートか?」
「ちょっ、ばあちゃん、大きい声でそういうの言いなや!」
凪は耳まで真っ赤にして慌てふためき、英理はそんな彼の様子を見てくすっと可愛らしく笑った。
「ふふ、それじゃあ行ってきますね、おばあさま!」
♢
二人が家を出て、坂道を並んで歩き出すと、凪は少しだけ気まずそうに頭をかいた。
「なあ、英理…。俺、長崎に来たばかりやし、この辺のええとこ全然分からんのよな。このあと、どこか行きたいとこある?」
それを聞いた英理は、ぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに凪の袖を軽く引っ張った。
「じゃあさ、私とグラバー邸に行こ? 高台から、めちゃくちゃ綺麗な長崎の景色が見たいな…凪くんと一緒に」
「グラバー邸か…!」




