第59話 【たんぽぽへの招待状】
三原高校の校舎内は、いつも通りの穏やかな昼休みの空気に包まれていた。
英理、ナオ、そして長門の三人は机を寄せ合い、広げた弁当を囲んで賑やかに笑い合っていた。
「…でな、昨日のその話なんやけど」
ナオが楽しそうに英理に何かを話しかけようとした、その時。
教室の外、廊下から何やらざわめきが聞こえてきた。
「あれ、誰やろ?」
「見たことない制服やけど…どこの高校?」
生徒たちのひそひそ話が、教室の中まで伝わってくる。
教室の入口付近にいた生徒たちが、興味津々に廊下を覗き込む。
「何かあったんかな?」
英理が不思議そうに首を傾げたその時、ふと廊下に目をやったナオの顔から、一瞬で血の気が引いた。
「…えっ、嘘…っ!」
ナオはあまりの衝撃に、持っていた箸を取り落としそうになる。
口を大きく開けたまま、完全に思考が停止した。
三原高校の制服の中にあって、明らかに異質な、鳴滝高校の制服。
険しい表情で見覚えのある顔を確認した瞬間、ナオの背筋に電撃が走った。
昨日の今日で、わざわざここまで……?
ナオのただならぬ、凍りついたような反応に、英理もまた不審に思い、ゆっくりと入り口へと視線を移した。
「ナオ…?」
英理がその視線の先を追った瞬間、言葉を失い、喉の奥で小さく息が詰まった。
そこには、凪が…。
凪は周りの冷ややかな視線や好奇の囁きなど、端から耳に入っていないかのように、ただ真っ直ぐに、英理の瞳だけを見据えて歩いてくる。
机のすぐ横で、凪がピタリと足を止めた。
二人の距離は、手が届くほどに近い。
凪は、英理の顔を、真っ直ぐに見下ろす。
英理もまた、座ったまま顔を上げ、凪から視線を外すことができない。
何も言えない。
言いたいことは山ほどあるはずなのに、言葉が音にならない。
彼が求めているのは、ただ一人、英理の返事だけだった。
「英理。…俺、お前とちゃんと話がしたいんや」
「お前が嫌やって言っても、俺は今日、お前と向き合って、どうしても話がしたいんや」
英理は息を呑み、凪の迫力に押されるようにして、小さく、ゆっくりと頷く。
「今日の放課後、あの喫茶店『たんぽぽ』で待ってる。…必ず、来てくれ」
凪はそれだけを言い残すと、騒然とする廊下を、迷いのない足取りで去って行った。
英理は座ったまま、遠ざかっていく凪の背中を、ただぼんやりと見つめていた。
ナオと長門もまた、言葉を失ったまま、親友の横顔と、入り口の向こうに消えた凪の背中を交互に見守っていた。
♢
教室に静寂が戻り、凪の姿が廊下の先へ消えてからも、英理は凍りついたようにその場に座り込んでいた。
そんな英理の肩を、ナオがそっと揺らした。
「…英理」
「英理、やっと凪くんが迎えに来てくれたね」
その言葉に、英理の瞳がじわりと潤む。
「あんたもさ、もう意地張らんでええよ。今日の放課後、ちゃんと自分の素直な気持ち、全部ぶつけてきなよ」
横で聞いていた長門も、小さく頷く。
「…あいつ、本気やったばい。そんな覚悟決めた男に向き合うんとやから、英理さんも逃げたら駄目たい」
英理はぎゅっと拳を握りしめると、真っ直ぐに前を見据えた。
「うん。行く。ちゃんと…話してくるわ」
その声には、もう迷いはなかった。放課後の「たんぽぽ」で待つ凪のもとへ。
ようやく二人の心が繋がるための、大切な時間が始まろうとしていた。




