第57話 【誤解の終わりと、愚かな自分】
翌日の放課後。鳴滝高校の正門前。
ナオと長門は、少し離れた街路樹の陰から、校舎から出てくる生徒たちの流れをじっと見つめていた。
「長門くん…ほら、あそこ」
ナオが小声で教えると、校門を通り過ぎようとする、どこか背中を丸めた姿があった。
「あいつが、凪くんや」
ナオは心配そうに長門の横顔を見つめ、思わず彼の袖を掴む。
「長門くん…大丈夫? 凪くん、長門くんのこと知らないのに。いきなり話しかけたら驚くよ。」
「大丈夫たい、ナオ。心配させてごめん。これは俺と凪くんの二人だけで話さんばいかん」
「ナオはもう帰っといて。俺がちゃんと話してくるけん」
長門はそう言い残すと、ナオの制止を振り切るようにして、凪の方へと歩き出した。
長門は凪の数メートル先までたどり着き、立ち止まった。
凪は目の前に立ちはだかる見知らぬ男子生徒を不審そうに見つめる。
「凪くん、少し話があるとだけど」
長門の声は穏やかに、まっすぐに凪の瞳を向ける。
凪は眉をひそめ。
(誰だこいつ? それとも、俺に何か文句でもあるんか)
凪の中で、思考が鈍く回転する。「また何かややこしいトラブルに巻き込まれるんか」。今の自分には他人の感情を読み取ったり、誰かと対峙したりするエネルギーなんて一欠片も残っていない。
「…誰やねん」
凪は短く、冷淡に言い捨て。
「いや、誰でもええけど。ごめん、そこどいてくれへんか」
凪が長門の肩をすり抜けようとしたその瞬間、長門は一歩横に踏み出し、再び凪の行く手を遮るようにして立ちはだかった。
「俺、あんたに謝りたくて来たんと!」
「俺、長門と言います。三原高校の、ナオと付き合っとる男たい」
「ナオの彼氏…?」
凪は、その名を聞いた途端に動きを止めた。
ナオの彼氏、この男は英理の周囲にいる人間。
(ナオの彼氏っていうことは、こいつは英理の…)
「謝りたいって、何の話や」
凪の声が、わずかに震え。凪の瞳に、隠しきれない動揺が滲み出る。
「で、謝りたいってどういうことや。俺に何かした覚えはないはずやけどな」
長門は覚悟を決め話し出す。
「あの日、マクドナルドでダブルデートを提案したのは俺なんよ」
「あの日、ダブルデートば提案したのは俺なんよ。ナオとのデートに遠慮する英理さんが来やすいようにって、友達の裕介ば呼んだと。ばってん結局、俺の勝手な気遣いが二人を追い詰めて傷つけてしまった。…俺、ずっと後悔しとった」
長門は深々と頭を下げた。
「俺のせいで二人の距離がこじれたんなら、本当に申し訳なかったたい」
「…それに、もう一つ。どうしても伝えておきたいことがあると。
俺らも少し舞い上がっとって…裕介のやつが、つい『裕介は英理さんの彼氏です』なんて口走ってしまったんよ」
「あの状況で、そんなことをいきなり言われたら、凪くん、あんたがあの時誤解してしまったのは、俺らが完全に悪い。
…正直に教えてくれん? あんた、今もそのことを誤解したままなんやないと? 英理さんが裕介と付き合っとるって、そう思っとると?」
「…え?」
凪の喉から、掠れた声が漏れた。思考が完全にフリーズする。
「…付き合ってないんか? 英理とその、裕介っていう奴は…」
「当たり前たい! 裕介はただの俺の友達で、あの場を盛り上げようとしてアホな冗談言っただけたい。英理さんは裕介のことなんか男として好きでもなんでもないし、付き合ってもおらん!」
長門のはっきりとした否定の言葉が、凪の鼓膜を力強く叩いた。
(付き合って…ない…?)
その瞬間、凪の胸の奥で、自分でも制御しきれないほど巨大な「安堵」と「歓喜」。
(嘘……やったんか……。英理には、彼氏なんておらんかったんや……!)
顔の筋肉が緩みそうになるのを、凪は必死で抑える。
うれしい。飛び上がりたいほどにうれしい。
しかし、次の瞬間、押し寄せてきたのは、猛烈な恥ずかしさと情けなさだった。
「何で、今さらそんなことを言うんや」
「俺はあの時、英理が否定せえへんかったから…。英理が何も言わんかったから、それが本当のことなんやと思って、自分の中で納得させるしかなかったんや!」
「もしそれが嘘やとしたら、俺はあの時、英理に対してどれだけ酷い態度をとったことになるんや。
勘違いして、勝手にショック受けて、逃げ出して! そんなん、今さらどうしようもないやろ!」
長門は一歩凪に詰め寄った。
「こんなこと言ったら失礼なのは分かっとる。ばってん言わせてくれ。英理さんは、俺らの学校の男子の間でもずっと憧れの存在やったんよ。
だからこそ、英理さんが好きになる人ってどんな男の人か、そんなに選ばれる羨ましい奴って、一体どれほど凄い人なんやろってずっと思ってたたい」
長門は凪の顔をじっと見据え、冷たく言い放った。
「今日会ってみて、正直思ったばい。凪くん、あんためちゃくちゃ情けない人やね」
容赦のない言葉が、夕暮れの河原に鋭く響き渡った。
長門は強く拳を握りしめ、凪の胸元に視線をぶつけた。
「言い訳ばっかり探してんと、
…本当の気持ちをごまかしたまま終わらせて、後から後悔すんのは自分自身ばい」
言い捨てるようにそう告げると、長門は深く一度息を吐き、静かに背を向けて歩き出した。
夕陽の赤い光が長く伸ばす自分の影を見つめながら、凪は一人、立ち尽くしていた。
長門の言葉が、胸の奥深くに重く突き刺さる。
自分自身の愚かさに対する悔しさが激しく込み上げる。
凪は固く唇を噛み締めながら、赤く染まる空を見上げた。




