第52話 【狂った歯車を巻き戻すために】
(あかん。言葉が、届かん。
二人とも、相手に何かを伝える余裕なんて残ってないんや)
ナオは表情を完全に強張らせたまま、和也の袖を強く引いた。
「和也くん。あかん、凪くんちょっと頼むわ」
「あんた、とにかく凪くんを連れて、自分らの席に一旦戻って。お願いやけん、早く!」
和也はただ無言でナオの指示に従うしかなかった。
「お、おう。分かった」
和也は凪の肩に手をかけ。
「行くぞ、凪。戻るぞ」
その一瞬、英理と凪の視線が最後に空中で縺れ、そしてプツリと切れた。
「…あ」
英理が小さく声を漏らす。
(凪くんは、和也くんがなんとかして。次は、こっち)
ナオは拳を強く握りしめる。
(英理を何とかせなあかん。この爆弾処理、うちが終わらせるしかないんよ)
♢
和也に肩を支えられながら、凪はふらふらと自分たちの席へと戻った。
『彼氏ばい』という裕介の声。
(英理には、学校で彼氏がおったんと)
「おい、凪。お前、大丈夫か? さっきから顔色が」
「和也。ごめん、俺…ちょっと調子悪いわ。先に帰る」
「は? おい、凪!」
和也が引き止める間もなく、ただ、一刻も早くこの場から逃げ出したいという一心で、フラフラと出口の方へ足を進めた。
「おい、待てって!」
残された和也は、出口を見つめたまま呆然と立ち尽くす。
「…なんなんよ、一体…」
♢
ナオはレジ前で呆然と立ち尽くす英理の腕をしっかりと掴み、自分たちの席へと導いた。
英理の足取りは重く、魂が抜けたような状態で席に着くと、
長門が驚いたように立ち上がる。
「ナオ? 英理、どうしたん?」
「長門くん、ごめん。今日、本当にごめん」
ナオは一度言葉を切ると、視線を少しだけ英理に向け、また長門に戻した。
「詳しい理由は、明日絶対ちゃんと話すけん。お願い、今は聞かんで。今日は、この子と二人きりにしてほしいんよ」
「あんたたち二人も、今はもう帰って。本当に、頼むけん」…。
「…英理。もういいよ、我慢せんでええよ」
その一言がトリガーだったかのように、英理の目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「英理、和也くんのところへ行こう。凪くんもまだ一緒におるはずよ」
「ちゃんと話さなきゃダメよ。今のままだと、凪くんの中で『英理には彼氏がおる』っていう誤解が確定してしまうわ。」
ナオの言葉に、英理も必死に頷く。
「うん。凪くに、ちゃんと伝えたい。今の状況も、ちゃんと説明すれば、きっと分かってくれるよね?」…
♢
和也は、やってきたナオと英理を見て、眉間に深い皺を寄せた。
「英理、ナオ。お前ら、何しに来た。凪ならさっき、『調子が悪い』言うて帰ったぞ!」
「…帰った…?」
英理の唇が小刻みに震える。
ナオは和也の言葉を聞いた瞬間、
「…嘘やろ…」
和也は、呆然と立ち尽くす二人を交互に見つめ、苛立ちと困惑を露わにし、
「で、一体何があったんや。お前ら、さっきの『彼氏』だの何だのと、さっきから訳がわからん」
和也は冷めた目で英理を見つめ。
「学校で彼氏でも作ったんか。まぁ、誰と付き合おうがお前の自由やけど。
まさか、さっきレジで後ろからうるさく詰め寄ってきたカップルが、英理だったとはな。」
和也は少し呆れたように肩をすくめ、さらに言葉を重ねようとした。
「和也くん!」
和也が最後まで言い切る前に、ナオの鋭い声がテーブルを叩くように響く。
「今はそんなこと言っとる場合やないんよ。
英理の説教なんて、後でいくらでもできるやろ。
今は、凪くんがどれだけ傷ついて帰ってしまったか、それが一番の問題なんよ!」
ナオの剣幕に、和也は言葉を詰まらせる。
「…分かっとるわ」
「和也くん、お願い。今は英理を責めんで。あの子、今にも壊れそうなんよ」
和也は一度、苛立たしげに髪をかき上げる。
「二人とも、とりあえず座れ」
和也は椅子の背を引いて、二人に座るよう促す。
「何があったのか、全部話してくれ。裕介とやらの言動、…全部だ」
ナオは、今日起きた出来事、ダブルデートという状況、裕介が思わず見栄を張ってしまったこと、
「英理も、凪くんも、お互いを大切に想っとった。
それなのに、裕介くんの不用意な一言が、タイミング悪く…全部、狂わせてしまったんよ。」
ナオの声には悲痛な響きが混じっていた。
英理は何も言えず、ただテーブルに落ちる自分の影を見つめている。
「そうか。お前ら、そんな状況やったんか」
「英理、お前も自分の中でいっぱいいっぱいやったんやな。ごめん、状況も知らんと。」
英理は驚いたように顔を上げた。
「周りがゴチャゴチャ言うより、お前の言葉が一番凪に届くはずやろ。あいつだって、お前自身から何かを聞きたいはずなんや」
そう言ってから、和也は隣に座るナオに向き直った。
「ナオ、お願いがある。
話し合いの場は、俺が何とかセッティングする。
ただ、当日お前も英理と一緒に立ち会ってくれんか。
二人が変に拗れたり、間違った方向に行かんように、お前が見ててやってほしい」
和也は、少しだけ照れくさそうに頭をかいた。
「なんせ、凪も英理も揃いも揃って不器用やからな。
俺が一人で介入しても、空回りしそうで自信がないんよ」
「分かった。うちでよければ、絶対に見届ける。二人をちゃんと繋ぎ直したいけん」
「とにかく、明日の放課後。
俺が喫茶『たんぽぽ』に凪を誘ってみる。あいつ、今は殻に閉じこもっとるやろうけど…なんとか連れ出す」




