第40話 【仲間】
「…英理」
凪が名前を呼ぶと、英理はハッとして顔を上げた。
「ナオの顔、心配やから見せてほしい。英理、少しだけ手を離せるか?
「少し腫れとるな。ナオ、大丈夫か? 意識はしっかりしとるか?」
凪の真っ直ぐな心配そうな眼差しと、英理の泣き腫らした顔が視界に入り、ナオは小さく息をつく。
「…凪くん、英理…心配かけてごめん」
ナオは少しだけ顔をしかめて痛みに耐えながらも、いつものナオの落ち着きが戻りつつあった。
「うん…大丈夫だよ。ちょっとビックリしただけだし。見ての通り、この通りだし」
ナオの言葉を聞いて、英理は「よかった…本当に、よかった…」と声にならない安堵の吐息を漏らし、再びナオを優しく抱きしめた。
凪は周囲の客たちがまだこちらを気にしている気配を感じた。
このままここに留まるのは三人にとっても、精神的にこれ以上ないほど過酷な場所になっていた。
「…ナオ、英理。立てるか?」
「少し場所を変えようや」
「歩けるか…? ゆっくりでいい。近くの公園まで行こう。そこで落ち着いて話そう」
公園のベンチは冷えていたが、三人は肩を寄せるようにして腰を下ろした。
公園の街灯の薄明かりの下、英理は隣に座るナオの顔をまじまじと見つめた。
ナオの左頬は、タカミの肘が当たった衝撃で、うっすらと赤く腫れ上がっていた。
「ナオ、ごめんね」
英理は泣きそうな顔で、震える指先をナオの頬に近づけようとして、また止めた。
「私のせいで、ナオにこんな怪我させて…本当、ごめん。」
ナオは痛む頬をわざと大げさにさすりながら、ケラケラと小さく笑う。
「何言ってるの、英理。全然大丈夫だよ。これくらい、大したことないって!」
ナオはいつもの調子で肩をすくめてみせた。
「…ナオ。さっきは、ほんまにすまんかった」
凪はまっすぐナオを見つめ、低く誠実な声で続けた。
「お前に怪我させて、なんて謝っていいか分からん。本当に、ごめん」
「凪くん、なんて謝ったらいいかって…真面目すぎるよ。別に凪くんが殴ったわけじゃないし、私は大丈夫だってば」…。
ナオの様子を見てほっとした凪。
「ナオ、家まで送っていくわ」
ベンチから立ち上がり際、凪が当たり前のような口調でそう口にした。
「凪くん、送ってくれるのは嬉しいけど…あんたの家とは方向が全然違うよ。英理の方こそ、心配じゃないの?」
ナオは英理の方をちらりと見て、気遣うように言った。
「俺らのせいで怪我させたのに、ナオを一人で帰すわけにはいかんよ」
英理は凪の真剣な横顔を見つめ返し、小さく微笑む。
「…うん、分かった。凪くんが送ってくれるなら安心だし。気をつけて帰ってね」
英理の言葉を聞いて、凪はホッとしたように表情を和らげた。
「ああ、分かった。じゃあ、まずは英理を家の近くまで送る。
そのあとナオを送るから、少しだけ歩く時間が長くなるけど、我慢してくれ」
英理を家まで送り届けた後、
凪とナオは夜道を二人で歩き始めた。
凪は隣を歩くナオの横顔を盗み見ようとして、ふと目が合うと、途端に視線を彷徨わせる。
いざこうして二人きりになると、急にどう接していいか分からず、妙な恥ずかしさが込み上げきた。
「なんか、変な感じやな。こうして二人で歩くの」
凪が照れ隠しのように呟くと、ナオはクスリと笑った。
「そうだね。あんたの隣にいつもいる『あの美人』と歩くのとは、だいぶ勝手が違うでしょ?」
凪は苦笑しながら、少しだけ真剣な面持ちで首を振った。
「いや、今は英理のことはええんよ」
凪の声のトーンが低くなり、何かが動こうとしている気配に、ナオは無意識に指先を握りしめる。
「俺、その…ナオ」
凪が意を決して名前を呼ぶ。
ナオはそれまで見せていた余裕をかなぐり捨てて、慌てたように先回りした。
「ちょ、ちょっと待って! あんた、まさか…今更、英理を裏切って私に告白するつもりじゃないでしょうね!?」
「はぁ、何言うとるんやバカか、お前は!」
凪は思わず大きな声あげた。
ナオはきょとんとした後、
「何ですって!? バカとは何よ、バカとは! 人がせっかく冗談で緊張をほぐしてあげようとしてるのに、その言い草は何なのよ!」
ナオは納得がいかないとばかりに、凪の肩をバシッと叩いた。
ナオは少し呆れ顔で、でもどこか慈しむような眼差しで凪を見つめた。
「あんたのそういう、もどかしい感じ…そういうところが、英理との関係を今以上進ませないのよね。」
ナオの鋭い指摘に、凪は何も言い返せない。
「…俺は、ただ」
「分かってるよ」
ナオは遮るように言い、小さく笑った。
「あんたが誰を一番大切にしてるかくらい、私が一番分かってるつもりだから。だから、今はそんな顔しないでいいよ。ほら、もうすぐ私の家だし」
「ナオ…」
「何よ?」
「俺…」
「だから何? 言いたいことあるんでしょ?」
「…ナオって、たまに怖いな」
「えっ、あんた今それ言いたかったことなの?」
凪は自分の言葉の危うさに慌てて、首を激しく横に振った。
「ち、違うんよ! そういう意味じゃなくて、ナオのことも大事に…いや、そうじゃない、言い方が違う!」
「…凪くん、今それ言い方間違えると、まんま私への告白になるよ。
言っとくけど、あんたがそんなこと言ったって、明日には英理に全部バラすからね。もう修羅場確定じゃん」
ナオはニヤニヤしながらからかっていたが、不意にふっと肩の力を抜くと、小さくため息をついた。
「それにさ…うち、実は密かに彼氏できたっとよね。」
「…えっ!?」
予想外すぎる告白に、凪は思わず足を止めた。
「お、お前…彼氏おったんか!?」
「ちょっと、声が大きい! 近所迷惑やろ!」
「英理には絶対に黙っといてよ? 私の口からちゃんと話したいっちゃけん、絶対口止めよ!」
「ま、そういうわけやけん、うちにそんなに変な気使わんでいいってこと。
…で? さっき言いかけた『大事』って、結局どういう意味とよ?」
「違うんよ! そういう恋愛とか、そういうんじゃなくて! ナオは俺の中で大事…そう、英理の大切な親友っていうか、なんていうか仲間やろ!」
「仲間ねぇ…」
「そう! 何か困ったことがあったら、俺も全力で力になるし、お前は大切な仲間なんよ!」
ナオは歩みを止め、溜息混じりに凪をじっと見つめた。
「はぁ仲間、ね。言いたいことは分かったよ」
「ほんまか?」
「分かったよ。私も凪くんのことは、
『大切な親友である英理の彼氏』みたいな人が、仲間ってことなんだなって思えばいいんでしょ? そういうことが言いたいんでしょ?」
「そう、それなんよ。だから、今日は英理のためにここまでしてくれて、ほんまにありがとう」
凪が真剣な顔で頭を下げる。
「はいはい、わかったわかった。
ま、あんたがそういう不器用な奴だってことね」




