第4話 【神之浦兄妹】
夜、神之浦家
「やけん、あの坂は気ぃつけんねって何度も言うたやろ! もしその子の助けてくれんかったら、今頃どがんなっとったと思っとるとね!」
お母さんの怒鳴り声が台所に響き渡る。
英理はボロボロになった制服の裾を握りしめ、俯いたまま唇を噛んだ。
そこへ、奥の和室から腰をさすりながら、おばあちゃんがゆっくり出てきた。
「まあまあ、お母さん。そがん怒鳴らんで。英理の無事やったとが一番の宝物やけんね。命のあって良かったじゃないの」
「おばあちゃん…」
英理がすがるような視線を向けると、おばあちゃんはシワの刻まれた優しい手で英理の頭を撫でる。
「その助けてくれた男の子、腕に傷ば負うたとやね。
自分の身ば投げ出してあんたば守るなんて、なかなかできることじゃなかよ。よか子に会うたねぇ」
おばあちゃんの穏やかな言葉に、英理の目からこらえていた涙がポロリとこぼれた。
「うん。バリ落ち着いとって、うちが怖がらんように、ちょっとだけ困った顔で笑ってくれたと。
でも、お礼ば言う暇もなかで。彼の制服、お兄ちゃんと同じ鳴滝高校やったとに、うちのせいで血で汚れとった」
お母さんはまだ納得がいかない様子で鼻を鳴らしたが、おばあちゃんの「生きてりゃ、またどこかで会えるよ」という言葉に、ようやく矛先を収めて洗面所へ向かって行った。
「鳴滝の生徒って、本当か?」
不意にリビングの入り口から声がして、英理はハッと顔を上げた。
いつの間にか自分の部屋から出てきていた兄の和也が、ドアに肩を預けてこちらを見ていた。
「お兄ちゃん…。
うん、間違いないよ。ネクタイの色も、お兄ちゃんと同じ二年生の青い学年章も、ちゃんと見えたもん」
英理の言葉を聞いた和也は、顎に手を当てて考え込んだ。
(鳴滝の二年、青い学年章…)
和也の脳裏に、昼休みに教室で話した親友の姿が鮮明に浮かび上がる。
そういえば凪のやつ、今朝「坂でちょっとコケてな」と言っていた。
制服の袖もビリビリに破れて血が滲んでいたし、右腕も痛そうにかばっていた。
(待てよ。怪我の場所もタイミングも、英理の話とどんぴしゃりやん。まさか、あいつか……?)
「なあ英理。それ、もしかしたら俺のクラスの奴…凪かもしれんな」
「えっ、お兄ちゃんのクラスの人?」
「おん。あいつ今朝『坂でコケた』って言って制服破けて血が滲んどったっちゃんね。右腕もバリ痛がっとったし。
あいつ、普段はぶっきらぼうやけど、もしかしたら英理ば助けてくれたのはあいつだったのかもしれん」
「お兄ちゃんの、お友達の…」
「まあ、本人に確かめたわけじゃないけん絶対とは言えんけどな。ま、無事で良かったやん。今度から気をつけろよ」
和也はそう言うと、冷蔵庫から麦茶を取り出して自分の部屋へと戻っていった。
(お兄ちゃんのクラスの、凪さんという人…)
お兄ちゃんの言葉に、英理の胸が小さな高鳴りを覚える。




