第32話 【昔からずっと見ていた恋心】
放課後の柔らかな日差しの中、三原駅近くの『ラ・フランスラテ』で買った箱を大事そうに抱え、英理とタカミは並んで自転車を押して歩いていた。
タカミがふいに足を止め、真っ直ぐに英理の横顔を見つめて切り出した。
「なあ英理。今日改めて見て思ったとやけど…本当、綺麗になりすぎやろ。昔っから知っとるけど、なんかもう、見とれるくらい綺麗になったね」
「えっ…?」
英理は突然の言葉に驚き、キョトンとして立ち止まった。幼馴染であるタカミから、そんな風に面と向かって褒められるなんて予想もしていなかったからだ。
「な、何言いよると急に! 恥ずかしかけんやめてよ」
英理が顔を赤らめて視線を逸らすと、タカミは少しだけ強引に距離を詰め、苦笑い混じりに言葉を重ねた。
「いや、本気よ。今日こうやって二人で歩いとったら、なんかデートみたいで俺はめっちゃ嬉しいとよ。俺もそろそろ彼女欲しいなーって考えとったんやけどさ、英理、今付き合っとる人とかはおらんのやろ?」
タカミの瞳は真剣で、英理は心臓が早鐘を打つのを感じ、どう反応していいか分からず戸惑った。
「そ、そんなんタカミくん、今日どしたんと? なんか変なことばっかり言わんでよ。…頭でも打ったと?」
「そんなん、いきなり言われても困るよ。タカミくん、本当何言いよると?」
英理が困惑しながら問いかけても、
タカミはこの状況を最大限に利用して、凪の存在を英理の中で少しでも揺
らそうとしているかのように。
英理の家のリビングには、柔らかな夕方の光が差し込んでいた。
「タカミくん、久しぶり! 本当に大きくなったわねぇ。あんなに小さかったのに、もう高校生か」
英理の母・美津子は、タカミが持参した『ラ・フランスラテ』のケーキを皿に盛り付けながら、満面の笑みで彼を歓迎していた。
和也はそんな様子をソファの端から見ていて、少しだけ居心地の悪そうに座っている。
「おばさん、すみませんねぇ。押し掛けちゃって。
でも、どうしてもおばさんの顔が見たかったんですよ」
タカミは爽やかな笑顔を美津子に向けたが、その動きは実に自然で、かつ計算されていた。
彼は英理の隣の席に迷わず腰を下ろすと、英理の肩に触れそうなほど近くまで体を寄せる。
「英理、これ俺が選んだやつよ。英理、昔から苺が好きだったやろ?」
タカミはまるで恋人に接するように、親密な距離感を作り出す。
その姿は「幼馴染」という枠を飛び越え、周囲に対して「自分たちは特別な関係だ」と無言でアピールしているようだった。
「あ…ありがとう、タカミくん」
英理は少し驚いて体を強張らせた。
和也は、その光景を横目で見ながら心の中で深くため息をつき。
(おいおい、タカミ。お前、やりすぎだろ)
タカミはわざとらしく英理の髪に触れそうな距離で笑いかける。
「今日のケーキ、俺の奢りだから英理もゆっくり食べてよ。」
「英理、昔から苺のケーキのクリームばっかり先に食べとったよね。覚えてる?」
タカミが楽しそうに英理の幼い頃の話を振ると、英理も思わず笑い声を上げた。
「そんなん、いつの話よ! 恥ずかしかけん言わんでよ!」
美津子は、二人のそんな掛け合いを微笑ましそうに眺めていた。
幼い頃から変わらない二人の距離感に、心底安心している様子だ。
「あなたたち二人、本当にお似合いというか、仲がいいわねぇ。見ているだけでこっちまで温かい気持ちになるわ」
美津子が何気なくそう言った直後、ふと思い出したかのように表情を変えた。
「そう言えば英理、先日連れてきてくれた凪くんとは、その後も仲良くやっているの?」
その名前が出た瞬間、リビングの空気が微妙に揺れた。
英理が俯きながら、「うん、まぁ。仲良くしとるよ」と小さく答えると、美津子は嬉しそうに目を細めた。
「そうねぇ。この前、二人で自然に手ぇ握りながら話しとった光景が、すごく微笑ましくてね。あなたも年頃になったのねぇって、見ててこっちが照れくさくなったわ」
美津子の言葉に、英理は顔から火が出るほど恥ずかしくなり、真っ赤になって下を向くしかなかった。
隣に座っていたタカミの表情が氷のように強張った。
彼はケーキを載せたフォークをそっと皿に置き、わざとらしく明るい声を張り上げた。
「凪くん、ねぇ。おばさん、その人知っとるんですか。あいつ、俺と同じクラスなんですよ」
タカミのあまりにわざとらしい切り出し方に、和也はソファの上で思わず身を乗り出し、食い入るようにその様子を見守った。
「あら、そうなの? タカミくんのクラスメイトなのねぇ」
美津子は屈託のない笑顔で、タカミと凪に接点があることを純粋に喜んでいるようだった。
美津子は凪への好印象を隠そうともせずに言葉を重ねる。
「この前挨拶してくれた時も、すごくしっかりした良い子だったわ。
何より英理のこと、すごく大事に想っているのが伝わってきたしねぇ。
あんな素敵な子とお友達なんて、英理も安心だわ」
美津子が凪を褒め称えれば褒め称えるほど、タカミの笑顔は歪んでいく。
「…へぇ、そうなんですね。おばさん、ずいぶんと凪のこと気に入っとるんですね」
タカミの声には、明らかに不機嫌な色が混じり始めていた。
和也はそんなタカミを見て、心中で大きくため息をつく。
(アホやな、タカミ。お前が凪の話題を出すなんて、自殺行為やろ…)
美津子はそんなことには気づかず、さらにニコニコしながら「そうなのよ。今度また皆で遊びに来なさい。
凪くんも一緒に、今度は夕飯でも食べていきなさいな」ととどめの一言を添えた。
タカミは拳を握りしめ、必死に平静を装いながら口角を上げた。
その顔は、今にも崩れ落ちそうなくらいに引きつっていた。
美津子の無邪気な「今度皆で食事を」という言葉に、タカミの中の理性が崩れ掛ける。
英理は凪という名前が出たことで自然と顔がほころび、隣のタカミに無邪気に問いかけた。
「あ、そうなの? タカミくん、凪くんと同じクラスだったんだ!
…学校での凪くんって、どんな感じなん? 意外と面白いこと言ったりすると?」
英理の瞳には、凪への純粋な好意と信頼が輝いている。
その光景を横で見ていたタカミは、奥歯を噛み締め、嫉妬を「忠告」という名の毒に混ぜて口にした。
「凪かぁ。あいつ、表面上はいい奴に見えるかもしれんけど」
タカミはわざとらしい溜息をついて、視線を少し落とした。
「今迄クラスも違ったし正直、何を考えてるのかよく分からん時があるわ。
皆の前じゃ良い人ぶってるけど、俺から見たら印象はあんまり良くないんよね。
あいつ、案外だらしないんよ。特に女関係の話とか。
俺もあいつの全部を知っとるわけじゃないけど、こないだも女の子泣かせたって言う危うい噂も耳にするし」
タカミは英理の顔を真っ直ぐに見つめ、眉間に皺を寄せて悲痛な表情を作った。
「英理は人を疑わんから気がつかんかもしれんけど、俺は昔から英理のことを大事に思っとる幼馴染として、あいつと深入りするのは正直、心配なんよ」
リビングの空気が、急速に凍りついた。
英理は呆然として、タカミの顔をまじまじと見つめた。
その表情は、信頼していたタカミが放った言葉に対し、困惑に満ちていた。
「タカミくん、何言いよると?」
英理の声は小さく、けれど鋭く震えていた。
「いきなりそんな、そんなこと、私に言う必要あると? 凪くんがそんな人じゃないって、私は分かっとるよ。
タカミくんがどうしてそんな酷いことを言うのか、全然分からん」
信じられないものを見るような英理の視線に、タカミは一瞬たじろいだ。
それまで穏やかに笑っていた美津子も、今はスプーンを置いたまま、驚きと不快感で眉をひそめていた。
「タカミくん。今の話、少し行き過ぎじゃないかしら」
美津子の声も、先ほどまでの歓迎ムードとは打って変わって、冷ややかな響きを帯びている。
「この間の凪くんを見ていれば、どんな子かなんて親の私には分かるわ。
タカミくん、凪くんのことをそんな風に言うなんて、おばさんは少し悲しいわよ。
人の噂話をそんな風に口にするのは、感心しないわ」
リビングの空気が冷え切ったのを感じて、タカミは慌てて取り繕うように表情を歪めた。
「いや、ごめん。悪口に聞こえたんなら謝るよ。
ただ、俺はあくまで男目線で凪を見た時の感想を言っただけなんよ。英理のことが本当に大事で、心配だから」
タカミが言い訳を重ね、場の空気をさらに悪くしていく。




