第22話 【恋する乙女と、駆け巡る噂】
佐藤に自分の気持ちを伝えてから、一か月ほどが経った頃。
その間、英理と凪の関係は、少しずつ、けれど確実に変化していた。
進展こそないものの、ふたりは駅前の小さな喫茶店で、二人で向かい合って少し照れながらパフェを食べたり、たわいもない学校の雑談をしたり。
恋人未満、けれど明らかに特別で穏やかな「つかず離れずのデート」のような時間を重ねていた。
英理の胸の中には温かい幸福感がどんどん蓄積されていた。
ある朝の三原高校。
校門をくぐる英理の足取りは、まるで空気に羽が生えたかのように軽やかで。
今の彼女の表情は自信と期待に満ち溢れ、周囲に花が咲いたようなオーラを振りまいていた。
校舎の入り口でナオの姿を見つけると、
「ナオ、ヤッホー!!」
弾むような声と、いつになくノリノリな挨拶をしてくる。
「英理!? 何そのテンション!?」
ナオが驚きながら尋ねると。
「なんのこと? 今朝はすっごく気分が良いとよ! 世界が全部キラキラして見えるっていうか…もう、絶好調!」
「すごいね。恋する乙女って、ここまで変われるものとかね?」
校舎の中を歩くたびに、男子生徒たちの視線が英理に釘付けになる。
「おい、見たかよ、最近の神之浦さん、なんか凄くなかか?」
「ああ。なんか、雰囲気が全然違うっていうか」
男子生徒たちの間にひそひそとした妙な噂が瞬く間に広がっていく。
「なあ、聞いたか? 神之浦さんに、どうも『本気で好きな人』がおるらしいぞ」
「えっ、マジかよ!? あの神之浦さんに?」
噂は伝言ゲームのように膨れ上がる。
「嘘だろ。俺らの高嶺の花、神之浦さんが心奪われた相手って一体誰だよ」
「ひょっとして、あの野球部のエースか?」
「いやいや、生徒会長だろ、あいつ完璧だし!」
「もしかして、他校のやつとか?」
「あんな幸せそうな顔、誰に向けられてるんだよ。羨ましすぎて、逆に特定するのが怖いわ…」
「ほんとにな。神之浦さんば射止めた、前世で徳ば積みまくった奴は一体どこのどいつだよ!」
「神之浦さんに好きな人がいる」という噂は、もはや制御不能になり校内を駆け回り、わずか数日の間で尾ひれがつきまくった。
もはや「好きな人がいるのか」という問いではなく、「相手は誰か」という答え合わせの段階になっていた。
「神之浦さんの相手だろ? 決まってるじゃん。サッカー部のエース、高田先輩しかいないだろ」
「え、高田先輩? まあ、あの王子様なら納得だけど…学校一のイケメン出しな!」
という謎の論理が完成してしまっていた。
「結局さ、三原高の顔と言えば2年の高田先輩だよな。
あの涼しい顔して女子ば落とすやつ。あの人が神之浦さんにアタックしたんだよ。間違いない」
「確かに、高田先輩なら神之浦さんも落ちるわな」
一方、その「勝手に相手にされた」2年の高田は、昼休みに廊下を歩いているだけで、なぜか女子たちから奇妙な視線やヒソヒソ話を向けられ、どこか気取った仕草で髪をかき上げていた。
「何なんだ、俺が通るだけでザワついてんな」
同じ2年の女子から
「高田くん、1年の神之浦さんと付き合っとるって本当?」と冷やかされる。
「何の話だ?」と眉をひそめていた高田だったが、噂の内容が『1年の神之浦が、高田に夢中である』という筋書きであることを理解した。
「ふん、1年の神之浦が、俺にねぇ」
校内でも「高嶺の花の美少女」と噂される1年の神之浦。
そんな可愛い後輩女子が自分に憧れているという噂――容姿と運動神経に絶対の自信を持つ高田にとって、それはプライドを大いにくすぐられる話だった。
「可愛い後輩女子に慕われる頼れる先輩」
「神之浦が自分に惚れている」
すっかりその気になった高田は、有頂天になってしまった。
「よし、後で1年の教室まで顔を出してやるか。俺から歩み寄ってやれば、神之浦も感激するだろ」
ナオは呆れたような、それでいてどこか面白がっているような顔で、窓際から英理の元へ歩み寄ってきた。
「ねえ英理、ちょっと大変なことになっとるよ。あんた、今の校内の状況知っとる?」
「え? 何が?」
「廊下でみんなヒソヒソ言っとるんだけど、今や『英理と2年の高田先輩が付き合っとる』っていう話で持ちきりよ」
「はぁっ!?」
英理は持っていた筆箱を落としそうになった。
「高田先輩って、誰?」
そのあまりの天然っぷりに、ナオは脱力して壁に手をついた。
「もう! 隣の校舎の2年生、高田先輩よ! ほら、あの背の高い学校でも一番のイケメンって言われとる人!」
「高田先輩? 2年の? ああ、?」
「そうよ! …って、顔すらあんまり一致してなかじゃないの!」
その時、教室の入り口がガラッと開いた。
現れたのは、噂の渦中の人物、2年の高田だった。
1年の教室であるにもかかわらず、全く悪びれる様子もなく堂々と入ってくると、ポケットに手を突っ込んだまま英理とナオがいる机のすぐ横まで歩いてきた。
周囲の1年男子生徒たちは
「おいマジかよ、2年の高田先輩だ」「ついに本人に来たぞ!」と息を呑む、
女子生徒たちは「キャー、先輩から会いに来るなんてヤバい!」と顔を覆って見守っている。
高田は、後輩女子たちからの視線を一身に浴びながら、いかにも「頼れる先輩」といった風を吹かせて余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「よお、神之浦。ちょっと話、いいか?」
1年の教室を見下ろすような上から目線と、すっかり「惚れられている先輩」の顔をした高田の登場に、教室中の緊張感はピークに達していた。




