第2話 【名前も知らない少年】
三原高校の教室は、始業前の気だるい熱気に包まれていた。
「ちょっと英理、その制服どうしたん。ボロボロやん、派手に転んだね」
席に着くなり、親友のナオが雑誌を放り出して駆け寄ってきた。
英理は乱れた前髪を直しながら、小さく息をつく。
「今朝、あの坂道で自転車のパンクして、ちょっと大変やったと」
「え、マジで? 大丈夫やったと!?」
ナオが目を見開いて身を乗り出す。
英理は、ブレーキが利かなくなって生け垣に突っ込んだこと、そして通りすがりの男子学生が自分をかばうように受け止めてくれたことを、かいつまんで話した。
「へぇ。で、その人どこの生徒?」
「ううん、鳴滝の制服やった」
「鳴滝かぁ。あの坂の上にある西山分校やろ? あそこ、ちょっとヤンチャなやつ多くなか。変な絡まれ方せんやった?」
「ううん。逆に、自分の体をクッションにして守ってくれたと。……なんか、関西のほうの言葉話しとった」
「へぇ、あそこにそんな優しいやつおるんやね。で、名前は?」
「聞いてない。お礼言う暇もなかったけん」
「まあ、そのうち分かるっちゃない? 案外、英理のお兄ちゃんの友達だったりしてね」
「……そうかな」
ナオはそれ以上追及せず、自分の席へ戻っていった。
スカートについた乾いた土を払いながら、英理はもう一度、窓の外に目をやった。
あのとき自分を受け止めた腕の感触や、低く掠れた声が、妙に生々しく頭から離れない。
――名前、聞けばよかったな。
英理はそう思いながら、坂の上にある西山分校をぼんやりと思い浮かべた。




