第18話 【一番いいところで】
「あ、凪また戻ってきた」
女子の一人があからさまに声を潜め、不満げに顔をしかめる。
「ちょっと、なんでまた戻ってくると?」
「ほんとそれ。さっき追い出せたと思ったのに、邪魔やなぁ」
冷ややかな視線を向ける女子たち。
しかし、彼女たちが凪の背後に続く二人の姿に気づいた瞬間、その言葉は途中でピタリと止まった。
「…は?」
先ほどまで凪を邪魔物扱いしていた女子たちの視線は、英理の姿に完全に釘付けになった。
(な、何であの子? しかも、うちの学校の子やないよね?)
英理の持つ、透明感、遠くからでも目を奪われるような可憐な美貌。
同性から見ても、その可愛さは次元が違った。
「ねぇ嘘でしょ? 何あの子、めちゃくちゃ可愛くない?」
「待って、芸能人? モデルか何か? !」
「なんで? なんであんな子が、凪の後ろにおると?」
「え、もしかしてあいつの彼女? いやいや、流石にそれはないよね?」
女子たちが混乱している中
英理はナオの隣に腰を下ろし、凪がその向かい側に座った。
その瞬間、ボックス席の空気が一変。
それまで和也を囲んでいた女子グループの視線は、単なる「驚き」から「信じられないものを見る目」へと完全に変わってしまった。
「ありえんっちゃけど」
女子の一人が、思わず隣の仲間の耳元で引きつった声で話す。
「ちょっと、あれマジで嘘でしょ? 凪て普段あんな感じなのに、裏でナンパでもしたと? それとも私たちが知らんだけで、実はめちゃくちゃモテる系なん?」
「とりあえず、何か頼むか? 喉乾いたやろ」
「うん、ありがとう。じゃあ、私はストロベリーシェイクにしようかな」
英理もまた、凪の自然な振る舞いに合わせるように、少しだけ緊張を解いて答えた。
「俺はコーラでええわ。ナオは?」
「私は……フライドポテトと、オレンジジュースで」
三人の会話は、先ほどまで店内に漂っていた重苦しい空気から穏やかな日常の風景に溶け込んでいた。
(英理あんた、一番大事なこと、まだ何も聞けてなかやん)
ナオは、凪がメニュー表に視線を落としている隙を突き、英理の耳元へ顔を寄せた。
「ねえ、英理。さっきの雰囲気で満足しとるみたいやけど、一番大事なこと、聞いてなかやろ?」
英理が「えっ?」と驚いたようにナオを見る。ナオは、少し呆れながら。
「『今、好きな人おると?』とか
『付き合っとる人おると?』って。ば聞かんと、あんたのこの気持ち、永遠に宙ぶらりんのままよ?」
その言葉に、英理の瞳が揺れる。
(そうや。彼の気持ちば確認しに来たはずなのに、今のこの距離感だけで、私はどこか満足してしまっとった)
「言えるかな。今、聞くべきとかね」
「行けるよ。あんたが自分の気持ちば確かめに来たとでしょ? 今しかないよ」
「英理、うちちょっと席外そうか? 二人の方が話しやすいやろ?」
ナオが小声でそう耳打ちし、立ち上がろうとしたその瞬間。
英理は慌ててナオの袖を掴み、ブンブンと小さく首を横に振り。
「だ、駄目! 絶対隣におって!」
そんな二人のやり取りの気配に、凪が不意にメニューから顔を上げた。
「ん? どうしたん? 二人でコソコソと」
凪は不思議そうに眉を寄せ、交互に英理とナオを見つめた。
「あ、いや! 何でもなかよ。
ただ、ちょっと、今日のお店のおすすめ、どれが美味しいかなって話しとっただけで」
「あの、凪くん」
英理は一度小さく息を呑み、恥ずかしさを懸命に噛み殺して、震える声で。
「今、凪くんて、好きな人とか…付き合っとる人、おると?」
凪は心臓が跳ね上がったかと思うほど驚き、そのままフリーズする。
「…え?」「…っ!」
思わず間抜けな声が漏れた。
自分に向けられるはずのない問いかけ。凪は、今の状況の恥ずかしさと、何よりも英理という少女の顔がすぐ近くにあることの破壊力に、完全に思考が停止した。
ナオが隣で、今にもニヤつきそうなのを必死に堪える。
凍りついたように固まってしまった凪の横顔をじっと見つめながら、心の中で激しく突っ込んでいた。
(あんた、ほんとに分かっとると?)
(英理は、うちの高校、あの三原高校で「伝説の美少女」って呼ばれとるとよ? 毎日どれだけの男が英理の気を引こうと躍起になっとるか。
佐藤くんをはじめ、大勢の男たちがその心を射止めようと必死になっとる、そんな「憧れの対象」が、あんたにそんな質問しとるとよ?)
ナオにとって、目の前の光景は信じがたい奇跡のようなものだった。
(あんた、今自分の置かれとる状況の意味、ちゃんと理解しとると? 英理がどれだけの勇気ば出して、あんたに「付き合っとる人おると?」なんて聞いたとか。その価値、分かっとるとよね!?)
ナオはもどかしさと、親友への愛おしさで胸がいっぱいになった。
凪がこの質問の重さを理解していないのなら、今すぐ胸ぐらを掴んで教えてやりたい衝動に駆られる。
しかし、凪はまだ、信じられないものを見るような目で英理を見つめたまま、一言も発することができない。
(はぁ、ほんとにもう。なんなんこの鈍感男!)
凪は、英理の真っ直ぐな瞳に見つめられ、脳内の処理能力が完全にオーバーヒートしている。
「あ、あの、好きな人、とか」
「…あ、いや、なんというか! そういう予定もなければ、見当も…ないから! あかん、なんか今、自分でも何言うとるか分からんようになってきた…!」
あまりの必死さと狼狽ぶりに、英理は驚きを通り越して、クスクスと小さく吹き出してしまう。
(ふふっ。凪くん、こんなに慌てとる)
隣で見ていたナオは、あまりの面白さに吹き出すのをこらえるのが精一杯だった。
(ぷっ、あはは! あんた、顔真っ赤にして何やっとるとよ!)
その時。
「ん? 何やら騒がしいと思ったら、お前らここにおったんか!」
ナオは内心で「今、一番いいとこやったのに!」と舌打ちしたくなる気持ちを抑え。
「あぁ~和也くん、タイミング良すぎやろ」
「は? 何がや? てか、凪。お前、なんやその顔」
和也は全く状況を理解しておらず、屈託のない笑顔で凪の肩をバシバシと叩いた。




