第170話 【父親の威厳】
ある雨の日の午後。リビングで並んで雑誌を眺めていた英理と、十七歳のひかり。
「ねえ、ひかり。あんた、あんなに行くの嫌がっとった塾、最近なんだか楽しそうやけど……。もしかして、急に勉強が面白くなったとか?」
「……な、なわけないやん! 勉強なんて楽しいわけないし! ただ……集中できる環境っていうか、教え方が上手い人がおるだけやし」
「教え方が上手い人? 塾の先生の話?」
英理がニヤニヤしながら身を乗り出すと、ひかりは「あ……」と口を押さえ、目を泳がせた。
「……あんた、嘘つくときはお父さんそっくりに目が泳ぐんやから。先生じゃないんでしょ? で、どんな子なん? 優しいん?」
「……べ、別に特別な感じじゃないって。ただの……勉強教えてくれるクラスメイト。塾の自習室が一緒なだけやし。……ばり無口なんやけど、私が解けん問題あったら黙ってヒント書いてくれたり……。なんか、困っとる人を放っておけんタイプ。……でもね、お母さん。あの子、私に全然興味ないみたいなんよ。いつも一定の距離感っていうか」
英理は穏やかに微笑んだ。
「……いいやん。不器用な男の人ほど、一度決めたら真っ直ぐなんよ。あんたのお父さんも昔はそうだった。うちが話しかけてもモゴモゴして、ハッキリせんかったけど……うちが困っとったら、自分のことなんか構わず助けに来てくれたんやから」
「お父さんみたいな人、他にそうそうおらんよ」
「そうかもね。……でもね、ひかり。もしその子が、あんたのために大切なものを差し出すような時が来たら、その時はちゃんと捕まえんさいよ。自分の気持ちに素直になったら、好きって気持ちは止まらんくなるんやから」
「お母さん、実体験は重みが違うね」
ひかりは少し顔を赤らめながら、英理の言葉を聞いていた。
その時、玄関のドアが開いた。
「ただいま。なんや、二人でこそこそと」
濡れた傘を立てかけながら、凪がリビングに入ってきた。
「お父さん、おかえり! 今ね、ひかりに『男の見極め方』を教えとったんよ」
「……変なこと教えるなよ。ひかり、変な男に捕まるなよ。俺が許さんからな。だいたい、お前はまだ高校生やろ。彼氏とか付き合うなんて、十年早いわ!」
「へぇー?」
英理がゆっくり凪を見る。
「『高校生はまだ早い』ねぇ。……ねえ凪くん、高校生だった頃のうちらはどうだったっけ?」
「……ぐっ!」
「お父さん、自分だけルール違反じゃない?」
「いや、そういうことやなくて……!」
「じゃあ、何が違うん?」
「俺らは……その……」
「また言い訳しとる」
「ほら、話そらさんの。高校生の頃、うちらは手ぇ繋いどったよね?」
「……繋いでへん!」
「繋いどった」
「ひかり、即答すんな!」
「しかも恋人繋ぎ」
「なんで知っとるんや!」
「お母さんから聞いた」
「英理!」
「だって本当のことやもん」
「じゃあ、なんで今のひかりには『十年早い』なん?」
「十年ちゃう! いや、だから……英理……ちゃう! ひかりや! ひかりにはまだ早いんや!」
「お父さん、何言っとるん?」
「……もうええ。俺、コーヒー淹れてくるわ」
「逃げた」
「逃げてへん! コーヒー淹れるだけや!」
「お母さん。今度、二人の高校生の頃の話、全部聞かせて」
「もちろん。凪くんには内緒ね」
「聞こえとるぞ!」




