第165話 【ひかり】
長崎市内の病院の分娩室。今、新しい命が生まれようとしていた。
凪は、古傷と火傷の痕が残る右手を、英理に潰されそうなほど強く握りしめられていた。
「凪くん、痛い! ばり痛い」
「……おう、分かっとる! 頑張れ、英理! 息吐くんや! 救助の時と同じや、しっかり息吐け!」
元レスキュー隊員とは思えないほど狼狽え、顔を真っ赤にしながら叫ぶ凪。
英理は、これまでの女優人生で一度も見せたことのない、剥き出しの形相で最後の力を振り絞った。
――オギャア、オギャア!
静まり返った廊下まで響き渡るような、力強い産声。
眩しい光が窓から差し込む中、二人の間に元気な女の子が誕生した。
看護師から手渡された小さな体を、凪は震える両腕で抱いた。
「……英理。……お疲れ様。……見てみ、めちゃくちゃお前に似とるわ」
英理は、汗と涙で濡れた顔を綻ばせ、凪の腕の中の赤ん坊を見つめた。
「当たり前やん。うちの命はね、ずっと前にお父さんの手に守られたんよ。……やけん、この子は世界で一番、幸せな子になるんよ……」
凪は、自分の掌に残る古い傷痕を見つめた。
英理の身体を受け止めた瞬間に走った激しい衝撃も、火災現場の絶望も、孤独だった夜も。
今はただ、この小さな手を握っている。
「……名前、決めたよ」
英理が凪を見上げた。
「……『ひかり』。……凪くんがうちに見せてくれた『光』と、二人で歩んできたこの坂道の景色を、この子に贈るんよ」
窓の外には、遠く長崎の坂道が見えていた。
♢
新生児室のガラス越しに「ひかり」を眺めながら、ナオは泣いていた。
「ちょっと、ナオ。あんたがそんな泣いたら、どっちが産んだかわからんくなるやん」
ベッドの英理が幸せそうに笑うと、ナオは慌てて涙を拭い、枕元へ駆け寄った。
「……だって、嬉しいんやもん! 高校の時から、あんたたちがどれだけ遠回りしたか見てきたけん……。凪くんのあの傷だらけの手がね、今こんなちっちゃい命を抱いとるんよ。泣かん方が無理やろ……!」
ナオはそう言って、隣で不器用に赤ん坊をあやす凪を振り返った。
「英理も、凪くんも。ほんまによく頑張ったね……あんたが命がけで守り抜いた手が、今、新しい命を抱いとるんよ。……これからは、この子が二人の『光』になるんやね」
「……おう。俺の人生、このためにあったんやなって……今、ほんまに思うわ」
ナオは、目の前の二人を見つめた。
「英理、凪くん。……あんたたちは世界一不器用やったけど、誰より真っ直ぐやった。おめでとう。最高の家族になりんさいね」




