第161話 【二人から三人へ】
結婚して、2年が経とうとしていた。
初夏の朝。長崎の高台にある新居に、静かな朝の空気が満ちていた。
眩しい日差しが差し込むキッチンで、ふたりはいつものように並んで立っている。
「凪くん、また寝癖ついとるよ。……ほら、じっとしとき」
パジャマ姿の英理が、小さな踏み台に乗って凪の頭を湿らせたタオルで押さえる。
「ええねん、どうせ介助で汗かいてボサボサになるんやから。それより英理、トースト焦げとるぞ」
「え! ……もう、凪くんが喋りかけるけんよ」
「ねえ凪くん、今日のロケ弁、西京焼きのお弁当らしいとよ。凪くんの分も持って帰ってあげたいね」
「いらんわ、そんなん。仕事集中せぇよ。俺は夜、和也と釣った魚で一杯やってるから」
そうぶっきらぼうに送り出しながらも、凪は英理を乗せた車が見えなくなるまで見送っていた。
♢
夕方、仕事から戻った凪が庭の植木に水をやっていると、ポケットのスマホが震えた。
『凪くん、撮影終わったよ。すごく疲れたけど、明日の朝帰るけんね。野菜いっぱいのちゃんぽん作っといて!』
メッセージに既読をつけ、「おう、気をつけて帰れ」とだけ返信し、凪は静かに画面を伏せた。
♢
帰宅した翌朝。いつもの家に、柔らかな朝の光が差し込んでいた。
凪がいつものように出勤の準備をしていると、洗面所から戻ってきた英理が、凪の服の裾を小さく引っ張った。
「……凪くん、ちょっとええ? ……あのね、大事な話があるんと」
「なんや、改まって。……また仕事の悩みか? それとも、どっか体調でも悪いんか?」
「……違うと。あのね。……うちに、赤ちゃんができたんと。……凪くん、お父さんになるとよ」
凪は手に持っていた車の鍵を、畳の上に落とした。
「……お父さん……? ……俺が? ……ほんまか、英理」
「うん。さっき、検査薬で確認して……。まだ、ちっちゃい命なんだけど、ここにおるとよ」
英理は凪の大きな手をそっと取り、自分のお腹に重ねた。
「……凪くん、手がすごう震えとるよ」
「当たり前やろ。……俺、……まさか俺の人生に、こんな日が来るとは思てへんかった」
「ずっと、お前の隣におれるだけで十分やと思っとったから……」
「凪くん。うちね、すごく嬉しいんと。……この子と一緒に、これからも凪くんの隣におれるんやね」
「……お前こそ、俺みたいな男を……お父さんにしてくれて、ありがとうな」
凪は英理をそっと抱きしめた。
「英理。俺、一生かけて、お前とこの子を守るからな」
「頼りにしとるよ。……でも、今日はお仕事、遅刻せんようにね」




