第159話 【帰還全部バレてたました】
過酷な東京での撮影日程を終え、ようやくまとまった休みの取れた英理が、今夜、長崎へ帰ってくる。
夜の長崎空港駐車場。
凪は年式こそ古いが、手入れの行き届いた愛車のエンジンを切った。点滅するハザードランプのオレンジ色の光越しに、助手席の窓から空港の到着ロビーへ続く通路を見つめていた。
半月前、東京の劇場で重変装の末にファン軍団へ紛れ込み、至近距離で「あなたによく似た人を知っている。お幸せに」と囁かれた。
あれ以来、連絡こそ普段通り交わしていたものの、面と向かって顔を合わせるのは今日が初めてだった。
無事に帰ってきた嬉しさの裏で、凪の胸には、あの言葉がずっと引っかかっていた。
――あれは、本当にただの偶然だったのか。
もし英理が、あの時の自分に気づいていたのだとしたら。
そう考えるたびに、胃の奥がじわじわと締め付けられるようだった。
♢
「わあ、お寿司! すごく嬉しい。役作りの制限も終わったから、今夜はお腹いっぱい食べるんだからね」
神之浦家。リビングの大きなテーブルの中央には、英理の無事帰宅を祝う特上の寿司桶がデンと据えられていた。
「英理、本当にお疲れ様。よく頑張ったねぇ」
「まずは無事に終わって良かったよ。今日は遠慮せんでたくさん食べんね」
「英理ちゃん、お疲れ様でした。映画も楽しみにしとるよ」
和也の妻・香織が笑顔でお茶を配り、ナオは「撮影中あんまり食べられんかったとでしょ!? 大トロもウニも全部食べんね!」とお箸を手に大はしゃぎだ。
「わあ、すごく美味しそう……! いただきます。んーっ、やっぱり家で食べるのが一番だねぇ」
帽子とサングラスを外した英理は、いつものように大好きなウニを口に運んだ。
隣に座る凪は、英理の近くに醤油皿を寄せ、自分も寿司を食べ始めた。
(ほんま、無事に帰ってきてくれて良かったわ……)
「それにしても、今回の映画も初日からすごいヒットなんだって?」
「そうなんよ! 初日にサプライズで舞台挨拶があったとよ。SNSでもすごく話題になっとったと!」
(ゲホッ……!!)
お茶を飲んでいた凪は、思いきりむせ返った。
「凪くん、大丈夫? お茶熱かった? 背中撫でようか?」
「あ、いや……何でもない。ちょっと喉に引っかかっただけや……」
「ナオ、その舞台挨拶ね、私と国分くんのトークで『客席から何人かステージに上がってもらう』って企画をやったんだけど」
「えっ、何それ面白そう!」
「そうなの。最前列に『神之浦英理ラブ』って書かれた真っ赤なTシャツのグループがいてね、すごく熱狂的に応援してくれてたの。……だけど、その真ん中に一人だけ、全身真っ黒の服でサングラスとマスクをした怪しいお兄さんが混ざってて」
「えぇっ、何それ! そんな怪しいファンがおったと!?」
「そうなの。その黒づくめのお兄さん、マイクを向けられても固まっちゃって、声も出ないのね。でも、なんだかすごく気になっちゃって。だからマイクを切って、小声で『あなたによく似た、不器用で優しい人を一人知っているんです。大切な人をずっと大事にしてくださいね』って言ってあげたの。……ねぇ凪くん、その人、一体だれだったと思う?」
「あ、あかん……! す、すみません! 大変申し訳ございませんっ!」
凪はこぼれそうになったお茶を手拭いで拭きながら、慌てて立ち上がった。
「ちょっと凪くん、なんでそんな焦っとると……」
ナオが呆れた顔をする横で、美津子もぽかんと凪を見つめていた。
「……皆様! ズボンにお茶をこぼしてしまいましたので、外で乾かしてまいります! どうぞ、俺のことは気にせず! 失礼しますっ!」
「えっ、乾かすってどこで……!?」
「着替え貸すけん!」
凪はリビングを飛び出していった。
「……行っちゃったねぇ」
「あははは! なにあれ、分かりやすすぎて面白すぎるんだけど!」
「まさか本当に変装して、うちの目の前に現れるなんて、夢にも思わなかったよ」
「本人の目の前まで変装して来るとか、最高じゃん英理!」
♢
「あ、そうじゃ。みんな、ちょっとええかね」
和也がお箸を置き、みんなを見回した。
「さっきの『神之浦英理ラブ』の真ん中におった黒づくめが、本当に凪だったって話……。これから凪が戻ってきても、みんな、知らないフリで通してあげようや」
「え〜? なんでよ、もっといじり倒そうや!」
「凪、ああ見えてすごく真面目で不器用だから。これ以上いじったら、本当に恥ずかしさで長崎から引っ越してしまうかもしれん。男のメンツを守ってあげんと」
「そうねぇ。凪くんのこと、そっとしておいてあげましょう」
「そうだねぇ。あの子の優しい嘘、みんなで騙されたフリをしてあげようね」
「和也、みんな、すごく優しいね。ありがとね!」
「よし、じゃあ口裏合わせはバッチリね! 英理、外で凍りついとる旦那さんを早く連れ戻してきんさい!」
「うん、行ってくるね!」
♢
(あかん、完全に終わった。和也にもナオにも、あの不審者スタイルが全部バレてしもうた……)
その凪のもとへ、パタパタと足音が近づいてきた。
英理は凪の服の袖を両手でギュッと握りしめた。
「ねぇ、凪くん。お家に入って、うちのすぐ隣で一緒にお寿司食べよ? ……うち、凪くんが隣におらんと、すごく寂しいとよ……」
「……え?」
「ねぇ凪くん、もうお茶こぼしたの気にせんで? 一緒に中に入ろう?」
英理は凪の腕に頭を預けた。
(……あかん。お前、ほんまに反則やわ……)




