第156話 【やっぱり、会いに行こう】
英理が東京での映画撮影のために家を空けて、二ヶ月が過ぎた頃。
仕事を終えた凪は、静まり返ったリビングでソファーに深く腰掛けていた。
「……はぁ、静かすぎるな」
手持ち無沙汰にスマートフォンを取り出すと、ふと――二人が再会する前、英理が国民的女優として遠い世界にいた、あの空白の年月が頭をよぎった。
(あの頃、俺はどうやって、あいつへの想いを繋ぎ止めとったっけ……)
吸い寄せられるように画面をタップする。
開いたのは、今ではもう覗くこともなくなったインターネットの掲示板。
かつて孤独だった凪が、英理の近況を知るために密かに覗いていた――『神之浦英理マニアの会』という秘密のファンサイトだった。
(あの時は、ここに並ぶ見ず知らずの人らの噂話だけが、お前と俺を繋ぐ細い糸やったんや。俺はお前の姿を、ここで必死に追いかけることしかできんかった……)
掲示板の最新スレッドを眺めていると、ある書き込みが目に入った。
『【大募集】神之浦英理最新映画・初日舞台挨拶! 東京の劇場で一緒に最前列で応援しませんか?』
そこには、熱狂的なファンたちが、
『何としてもチケットを当てて、長崎からみんなで遠征しよう!』
と盛り上がっている案内が書かれていた。
(初日、舞台挨拶か……)
凪は画面を見つめたまま、しばらく動かなかった。
(何やってんねや、俺は)
そう思ったはずなのに。
気がついたときには、凪は『応募する』のボタンを人差し指でカチリと押していた。
画面には、
『映画初日公演・同行者募集への応募が完了しました。投稿者からの返信をお待ちください』
という無機質な文字が表示される。
「はぁ……ほんまにアホやな。……あかん、今すぐ取り消し……」
凪が慌ててキャンセルボタンを探そうと画面をスワイプした、その瞬間だった。
ピコン。
静かなリビングに、LINEの通知音が響いた。
画面を見ると、送り主は東京にいる妻――英理だった。
『凪くんお疲れ様! 今日で映画の収録全部終わったけん、今からみんなで最終日の打ち上げ行ってくるね! 蒼くんも一緒やよ♪ おうち、ちゃんと綺麗にお掃除しとる?(笑)』
メッセージと一緒に、クランクアップの花束を抱えた英理を中心に、スタッフやキャスト陣が勢揃いした記念写真が送られてきた。
その隣には、爽やかな笑みを浮かべた国分蒼の姿もしっかりと写っている。
写真の中で笑っとる英理を見て、凪はしばらく画面から目を離せなかった。
こうして写真で顔を見ることはできても――やっぱり、直接会いたい。
そしてもう一度、写真の中の国分蒼に目を向ける。
(まあ、蒼くんも頑張っとるんやろうけど)
ほんの少しだけ、胸に引っかかるものがあった。
けれど、それ以上に強かったのは――英理に会いたいという気持ちだった。
(……よし。やっぱり初日、絶対に東京へ行こう)
キャンセルボタンを探すのをやめ、凪はスマートフォンを伏せた。




