第147話 【新婚旅行・一日目】
静かに執りおこなわれた結婚式から数ヶ月。
二人は新婚旅行の行き先として選んだヨーロッパへと旅立った。
最初に足を踏み入れたのは、歴史と芸術の街・イタリア。
♢
「……すげえな。映画のセットみたいや」
「凪くん、見て! この小さなギャラリー、ガイドブックの隅っこに載っとったとこよ。……うわ、静かでバリ素敵ね!」
重厚な額縁に飾られた絵画や彫刻が並ぶ落ち着いた館内。
薄暗い展示室で壁一面の巨大な油彩画を見上げ、凪は静かに息を呑んだ。
「……この光と影の表現、何百年も前の画家の情熱がそのまま残っとるみたいやな。やっぱり本物の芸術って魂に響くわ」
すっかり感化された様子で腕を組み、知った風に展示品を眺めて歩く凪。
展示室の隅にぽつんと置かれた無垢の木製椅子を見つけると、その場でぴたりと足を止めた。
「どうしたと、凪くん」
「なるほどな。この削り出しの無骨さ。
余計な装飾を削ぎ落とした静寂の中に、作者の強い孤独と葛藤が表現されとるわ。この椅子も相当奥が深いな……」
通りすがりの外国人男性が、不思議そうに椅子と凪を交互に見つめて去っていく。
隣でぽかんとしていた英理は、小さく凪の袖を引いた。
「凪くん、それ……ただの監視員さん用のベンチよ。ほら、横に『Non sedersi』って札が下がっとる」
「……えっ」
「うんうん、素晴らしいね。凪くんの作品タイトルは『座ったら怒られる椅子』やったね!」
耳まで真っ赤にした凪が早足で歩き出す。
「先に行っとくぞ」
「待ってよー!」とお腹を抱えて笑いながら、英理は彼の背中を追いかけた。
♢
館内をゆっくり巡ったあと、二人は路地裏にある老舗のジェラテリアへ向かい、ジェラートを食べることにした。
店内には香ばしいナッツとフレッシュなフルーツの香りが漂い、地元の人々や観光客で賑わっている。
「なぁ英理、ここは俺に任せとき。男見せたるわ」
色鮮やかなジェラートが並ぶショーケースの前で、凪はすっと英理の前に立ち、覚えたての英語で前に出た。
「チャオ! えーっと……ツー・カップ! このピスタチオと……イチゴ! ディスワン、OK?」
完璧に決めたつもりの凪だったが、陽気なヒゲの店員は首をひねり、「プレーゴ?」と肩をすくめて見せた。
「あ、いや……ディスワン! えーっと、コッパ……ツー! ……あれ、通じへん……?」
汗をかきながら完全に固まってしまった凪を横目に、英理はくすっと笑うと、ショーケースのガラスへ顔を寄せた。
「すみませーん! うち、これとこれ! バリ美味しそうなこの緑のやつと、イチゴのやつ!」
完全な日本語、しかも堂々とした長崎弁。
「お、おい、恥ずかしやろ英理……」
すると、それまで困惑していたヒゲの店員が英理の顔を正面から見つめ、パッと大袈裟に顔を輝かせた。
「オォー! マンマ・ミーア! ベルティッシマ!」
店員は胸に手を当てて「ピスタッキオ! エ・フラゴラね!」と、手際よくカップにジェラートを盛り付けていく。
「グラツィエ! ほら凪くん、ちゃんとお礼言わんと」
「グラツィエ……って、おい! 明らかに英理のやつだけ量多くないか!? 生クリームの盛りまで全然違うぞ!」
「『バリ綺麗な人だね』って褒めてくれたとよ。ほら、溶ける前に食べよう」
「ていうかお前、しっかり『褒められた』ことだけは理解しとるやないか」
♢
二人は店を出て、石畳の段差に並んで腰を下ろした。
「……ん、めっちゃ美味いな。英理のは何味なん?」
「ふふ、ひとくち食べてみる?」
二人はスプーンを重ね合い、甘い一口を分け合った。
♢
二人は広場に面した陽当たりの良いオープンカフェに移動し、エスプレッソを注文した。
「……英理、ええんか? 帽子も被らんで。誰
かに気づかれるぞ」
「ええんよ。うちはもう、凪くんの奥さんなんやもん。誰に何を見られても、何も怖くなかよ。……ね、凪くん、こっち向いて」
英理はテーブル越しに、凪の右手をそっと両手で包み込んだ。
「すごな、お前は。俺はまだ、この石畳を歩くだけで少し気後れしとるのに」
「ふふっ、凪くんはそのままがいいとよ。……あっちの子供たちが笑っとる。うちらも、あんな風にずっと笑って生きていこうね」
英理の言葉に、凪はテーブルの下で包まれた手に、少しだけ力を込め返した。




