第134話 【追う足跡】
和也とナオは、日に日に衰弱していく英理を救うため、「凪を連れ戻すしかない」という結論に至った。
かつて凪が勤務していた東京の消防署や、搬送された病院、そして当時の同僚たちの連絡先を、二人は手分けして執念深く当たり始めた。
「…あいつ、自分を消すつもりやけん、普通のやり方じゃ見つからんぞ」
和也は仕事の合間を縫って、長崎から何度も東京へ電話をかけ、あるいは自ら足を運んだ。
かつての消防署の同僚は「彼は退職時、一切の連絡先を残さなかった。ただ、瀬戸内の方で働く…とだけ言っていた」という、わずかな手がかりを残すのみだった。
一方、ナオも独自のネットワークを駆使し、医療従事者や福祉関係の知人を当たった。
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「瀬戸内って広すぎるよ…。でも、あいつの性格なら、絶対に人助けができる場所にいるはず。レスキューができなくなったなら、福祉とか、介護とか…そういう現場に潜り込んでるんじゃない?」
二人は、愛媛や香川の離島、沿岸部の施設リストを一つずつ潰していく日々が続いた。
「もしもし、突然すみません。こちらに元消防士で、三十代半ばの男性はいませんか?」
来る日も来る日も、「そのような方は存じません」という冷たい返答が繰り返される。
「……和也くん、もうすぐ2ヶ月が経つよ。英理はもう、点滴だけで生きてるようなもんやん。間に合わんかったら、うち等どうすればよかと…」
ナオが駅のベンチで、検索結果で埋まったノートを抱え、瞳に涙を浮かべる。
その時、和也のスマホに一通のショートメールが届いた。
画面に映っていたのは、かつて凪の同僚だった救急救命士・佐伯の名前
『お久しぶりです、和也さん。凪くんの行き先の事は本人の希望で伏せていました。でも、彼の地元の友人だというあなたたちの必死な噂を聞きました。
…彼が今、どこにいるか。そして、あの日、彼がどんな思いで消防を去ったのか。…一度、お話ししましょう』
「…ナオ、これは…」
暗闇の中に、初めて一筋の光が差し込んだ瞬間。
二人は、英理の命を繋ぎ止めるため、その「答え」を求めて、東京に向かった。
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東京…かつて英理と凪がそれぞれの夢を追い、そして過酷な運命に翻弄されたこの街。
今の二人にはひどく冷たく感じられた。
指定された都内の『純喫茶 風の跡』に現れた佐伯は、どこか慈しむような瞳をしていた。
「お久しぶりです、和也さん。急に呼び出してすみません。
実は春の署所異動で他署へ移っていたので、あなたたちが凪くんのことを探して回っていたという噂に気づくのが遅くなってしまいました。
同僚から、お二人の必死な姿を聞いて、これ以上黙っているのは凪くんのためにも良くないと思ったんです」
和也は身を乗り出し、掠れた声で問いかけた。
「佐伯さん…あいつ、凪は今、どこにおるんですか? 消防を辞めてから、あいつは一体…」
佐伯は、かつて凪がリハビリテーションセンターで必死に自分自身と戦っていた日々のことを、静かに語り始めた。
「彼はリハビリ中、ずっとある女性、白石さんという方に支えられていました。
その方も同じように『痛み』を抱えた人で…。
凪くんは、彼女の紹介で、瀬戸内の小さな施設へ向かいました。
彼が最後に言ったんです。『もう俺は、あいつの重しでしかない。あいつが幸せになれるなら、それでええんです。…それが、最初からの俺の目標だったんだから』って」
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「…しまなみ、ですか」
ナオが、ノートを握りしめながら呟く。
「愛媛県の今治からしまなみ海道を渡った先にある、高齢者施設です。住所はここに書いておきました。
…でも、和也さん、ナオさん。彼は今、自分の正体を隠して、ただの『凪さん』として穏やかに暮らしています。彼を連れ戻すことが、本当に彼のためになるのか…それは、あなたたちが決めることです」
佐伯から手渡されたメモには、しまなみ海道の島の名と、施設の名前が記されていた。
リハビリ後の凪が、かつての栄光も、そして英理への執着もすべて捨てて辿り着いた、穏やかな海。
「…ありがとう、佐伯さん。あいつを…救ってくれて、ありがとう」
和也とナオは深く頭を下げ店を出た。
「和也くん、すぐ行こう。しまなみへ。…英理に、本物の『凪くん』を返してあげんとダメやん」
二人はその足で羽田へと向かった。
2005年の坂道から始まった長い、長い迷路の出口が、ようやく瀬戸内の潮風の中に、その姿を現そうとしていた。




