第130話 【誤送信の裏切りと、瀬戸内の導き】
過労と極度の精神的ストレスで倒れた英理は、都内の病院のベッドで、力なく天井を見つめていた。
枕元でスマホが揺れ、桜庭からの通知が入る。
『英理さん、体調どう? こないだお見舞い行けて安心したけど、無理してない? 正直君が心配すぎて今日の現場も身が入らないよ。
今すぐ抱きしめに行きたいけどあいにく生放送で……。
僕のためにも早く最高の笑顔見せてね。愛してるよ』
画面を見つめる英理の指先が、わずかに躊躇う。返信を打とうとしたその数秒後、再び画面が点滅した。
『さっきの送った(笑) マジで重いわ。病室で泣いてる顔が目に浮かぶよな。
でもこれでしばらく大人しくしてるだろうし今夜は思いっきり遊べるね! 昨日の続きどこでする? 迎えに行くから待ってて』
静まり返った病室で、英理の息が止まった。
自分宛てではない、どこかの女へ向けた誤送信。
「……ハハッ」
口から乾いた笑いが漏れた。
さっきまでの『愛してる』という言葉の残像が、一瞬で冷たく腐敗していく。
自分の苦しみすら、男にとっては別の女と遊ぶための口実でしかなかったのだ。
英理は震える手でスマホの電源を切ると、ベッドの脇へ滑り落とした。
服の下のネックレスを、鎖が指に食い込むほど強く掴み直す。
(凪くん……。うち、もうここにはおられんよ……)
瞳から静かに熱が引き、冷ややかな拒絶だけが残っていた。
♢
その後、英理は都心から少し離れた総合病院へと転院し、療養を続けることになった。
落ち着きを取り戻し始めた夕暮れ時。
英理は点滴台を押し、深くかぶった帽子の下に顔を隠して中庭の廊下を歩いていた。
リハビリテーション科の入口にあるベンチに、肩を上下させて座り込んでいる女性の姿があった。
白石だった。彼女もまた、精密検査とリハビリのためにこの病院に入院していた。
いつもの英理なら気配を消して通り過ぎるところだったが、息を整えるその女性の横顔から、なぜか目が離せなくなった。
初対面のはずなのに、不思議な静けさを纏っている。
英理は引き寄せられるように足を止め、静かに声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「あ……すみません、ちょっと張り切りすぎちゃって」
白石は顔を上げ、穏やかに微笑んだ。その瞳には、どこか凛とした強さがあった。
「あなたも体調を? お互い、無理は禁物ですね」
相手が女優の神之浦英理であることには気づかず、ただ同じように疲弊した一人の患者として見つめてくる。
「はい。ちょっと、独りで歩くとに疲れちゃって」
ぽろりと零れた方言混じりの言葉。
「独りで頑張りすぎちゃダメですよ。
私ね、瀬戸内の島で、不器用だけど本当に優しい人に助けてもらったんです。『ただ隣におるだけでええ』って……その言葉に、救われたの」
『隣におるだけでええ』
そのフレーズが、英理の胸の奥深くに響いた。
かつて、あの日坂道で凪が示してくれた温もりの記憶と、完全に重なる。
「……その方、素敵な人ですね」
「ええ。今は少し離れているけれど、その人の手のぬくもりを思い出すだけで、また歩こうと思えるの」
白石は自分の手元を見つめ、思い出したように微笑んだ。
「もし自分が壊れそうになったら、一度海を見に行ってみて。
東京の夜景も綺麗だけど、瀬戸内の凪いだ海は、自分の傷跡も受け入れられるようにしてくれるから」
看護師が白石を呼ぶ声が届く。
「じゃあ、お大事にね。きっと、あなたにも本当の味方がどこかにいるはずだから」
会釈をして去っていく白石の背中を、英理はいつまでも見つめていた。
桜庭の冷酷な言葉。そして、見知らぬ女性が口にした「不器用な愛」の面影。
英理は胸元のネックレスを固く握りしめた。
(瀬戸内の、海……。凪くん、あんた……そこにおると?)




