第13話 【佐藤の告白と、天然の壁】
昼休みが始まり、教室の喧騒の中
「おーい、英理! 今日はちょっと体育館の横まで行こう。そこの自販機のジュース、新作が出とるらしいんよ」
ナオがそんな適当な理由を口にすると、英理は手元のお弁当箱を抱えたまま、きょとんとした表情で小首をかしげた。
「え、わざわざ体育館の横まで? 購買のところじゃダメなん?」
「そこはそれ、気分転換よ。ね、佐藤くんも一緒にどう?」
ナオが佐藤の方を向くと、必死に平静を装って頷いた。
「……あ、ああ。俺も、ちょうどそっちに用事があってさ」
「へえ、そうなん?」
英理はナオと佐藤を交互に見つめたが、ナオの強引なペースに抗う術もなく、パタパタと二人について歩き出した。
「もう、ナオはほんまに行動が読めんね。あ、でも佐藤くんも来るんやったら、またナオと二人でお喋りできるね!」
英理は無邪気にそう言って、佐藤の隣を歩くナオにニコニコと微笑みかけた。
ナオは心の中で(今はまだ、そうやって笑ってていいよ)と苦笑しつつ、体育館裏の人影が少ない場所へと二人を誘導していく。
時折吹く風が、英理の綺麗な黒髪を揺らす。
そのたびに漂う微かな香りに、佐藤は改めて自分の決意を固めた。
(……やるんだ。この静かな場所で、俺の想いを伝えるんだ)
「あ、やばい!」
ナオはわざとらしく自分のポケットを探り、大げさに声を上げた。
「ごめん! 今日、教室に返さなきゃいけないプリントば机の中に忘れてきたんよ。
二人とも、ちょっとそこで待っとって。すぐ戻るけん!」
と言い捨てると、逃げるような足取りで校舎の方へと駆け出していった。
その場には、静寂が訪れた。
英理はキョトンとした表情で、「ナオったら、おっちょこちょいなんやから」
と苦笑いしながら佐藤の方を向いた。
「ごめんね、佐藤くん。せっかく一緒に来たのに、ナオがすぐ戻るって言うから」
佐藤は全身を揺さぶるほど胸の鼓動が高鳴るのを感じた。
(今だ。ナオがいなくなった……。ここから先は、俺と神之浦さんだけの時間だ)
佐藤は拳をぎゅっと握りしめ、英理の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「いや、大丈夫。
実は…ずっと、神之浦さんと二人で話したいことがあったんだ」
佐藤のただならぬ気配に彼女もまた表情を引き締める。
「…話、って?」
英理が少し困惑するように首を傾げた、その瞬間だった。
「神之浦さん、僕とナオのこと、勘違いしているみたいだけど」
佐藤は一呼吸置き、英理の瞳を射抜くように見つめた。
「僕の好きな人は、ナオじゃない。
英理さん、あなたです。
ずっと前から、ずっとずっと前から好きでした。
だから、僕と付き合ってください!」
静寂が場を支配した。
「え…?」
(えっ、ちょっと待って? ナオの恋を応援してたのに、私に? 佐藤くんが、私を?)
英理の頭の中では、「ナオと佐藤の恋物語」というパズルが、音を立てて崩れ落ちていく。
「あの、えっと」
「チョ、ちょっと待って佐藤くん、今、なんて?」
佐藤の告白の衝撃は確かに大きかった。
面と向かって「好きだ」と言われたことへの恥ずかしさで、頬は真っ赤に熱くなっていた。
だが、それ以上に英理の胸を占めていったのは、じりじりと焼けるような「怒り」だった。
(…この人、今、なんて…?)
英理の視線が、驚きから少しずつ厳しいものに変 わっていく。佐藤の真っ直ぐな瞳を見つめる英理の眉間には、深い皺が刻まれた。
(嘘でしょ。だって、佐藤くんはナオが好きなんでしょ? ナオも、佐藤くんのことを!)
ナオが佐藤のことを話すときの嬉しそうな顔、佐藤を立派な人だと褒め称えていた声。
(ナオは、私の親友だよ!? そのナオを裏切って、あろうことか私にこんなことを言うなんて。
佐藤くん、最低だよ!)
英理は自分への告白の言葉、
羞恥心は一瞬で影を潜め、英理は震える声で佐藤を問い詰めた。
「佐藤くん。あんた、自分が今、何言ったか分かっとるん!?」
英理は拳をぎゅっと握りしめ、佐藤を強く睨みつけた。
彼女の瞳から溢れ出たのは、悲しみと、ナオを大切に思うあまりの激しい憤りだった。
「ナオはね昨日も、今日も、ずっとあんたのことばっかり考えてたんよ! 私に『佐藤くんのいいところ』を教えてくれた時だって、ナオは本当に幸せそうやった。
あんた、そんなナオの気持ちを全部踏みにじる気!?」
英理の瞳には、怒りで涙がじわりと滲んでいた。
それはナオという唯一無二の存在を侮辱されたことへの、抑えきれない憤りだった。
「あんたみたいな人、大嫌い! そんな軽々しい気持ちで、ナオを困らせて、悲しませて! あんたが今やってることは、ただナオを傷つけるだけの最低な裏切りだよ!」
英理は肩を揺らして呼吸を荒くし、佐藤を激しく糾弾する。
英理の中で、ナオの笑顔と、いま目の前で告白をしてくる佐藤の姿が重なり、怒りが極限まで達した。
「私のことなんてどうでもいい。でも、ナオを泣かせるような人…私、絶対に認めんよ! 今日から、二度とそんな口きかないで!」
英理はそう言い放つと、あまりの怒りに肩を震わせながら、逃げるようにその場から走り去ろうとした。
影に隠れてその様子をすべて聞いていたナオは、予想以上の「こじれ方」に血の気が引く思いだった。
(あかん! 英理、怒らせすぎた! …でも、あの天然、これ以上放っておいたら、英理の私に対する罪悪感と、佐藤くんに対する嫌悪感が修復不能になる!)
物陰からナオが慌てて飛び出してきた。
「ちょっと待って、英理!もう、二人ともそこまでにして!」
ナオの突然の登場に英理は肩をびくりと震わせ、佐藤は驚きに目を見開いた。
英理はナオの顔を見た瞬間、我慢していたものが決壊したかのように、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。
「ナオっ、ナオは、こんなに頑張ってるのに、佐藤くんがっ」
英理はナオに駆け寄ろうとせず、ナオへの同情が入り混じった表情で立ち尽くしている。
ナオはそんな英理の肩を優しく抱き寄せ、それから呆然と立ち尽くす佐藤に鋭い視線を投げかけた。
「佐藤くん、あんたも黙ってないで何か言わんの!まあいい、今はここで何を言っても英理には届かんね。
これ以上ここで騒いでたら注目されるし、一度全部落ち着いて話そう」
ナオは泣きじゃくる英理の手を引き、佐藤に「ついてきなさい」と目配せをした。三人は人気のない校舎の裏、放課後まで誰も来ない静かな備品倉庫の近くへと移動した。
「いい、英理。これから話すことは、あんたがさっきまで信じていた
『物語』とは全然違う真実よ」
ナオは英理の涙をハンカチで拭いながら、深く息を吸い込んだ。
「まず最初に言うね。佐藤くんが好きと言ったのは、ナオじゃなくて、最初からずっとあんたのことなんよ」
「えっ?」
英理はしゃくりあげながら、ポカンとナオを見た。
ナオは苦笑いしながら、この数日間の「恋人役作戦」の全て――佐藤がナオに相談を持ちかけたこと、二人が付き合っているという誤解が英理の中で勝手に膨らんでいったこと、そしてそれをナオも面白がって放置してしまったことを、一つひとつ丁寧に説明し始めた。
英理はナオの言葉の一つひとつに驚いて目を見開き、だんだんと事態の全貌を理解し始めた。
さっきまでの激しい怒りは、驚きと恥ずかしさ、そして何より
「ナオと佐藤がそういう仲ではなかった」という安堵感へと塗り替えられていく。
英理はナオと佐藤の顔を交互に見つめ、顔を真っ赤にして口をパクパクさせた。
「そ、じゃあ、あの昨日の
『お幸せに』とか言ってた私…」
思い出したのか、英理はあまりの恥ずかしさに両手で顔をすっぽりと覆ってしまった。
佐藤はその様子を見て、ようやく安堵の溜息をつく。
ナオはニヤリと笑い、佐藤の背中をポンと押して言った。
「ほら、さっきの告白の続き。
もう一回、ちゃんと言いなさいよ」
「ご、ごめん…佐藤くん…。
私、あんなこと言って、ほんまにごめんね」
佐藤は英理の前にしゃがみ込み、視線を合わせた。
「謝らなくていいよ、神之浦さん。
ナオを思って怒ってくれたんだろ? そんな真っ直ぐなところも、俺はずっと、いいなと思ってたんだ」
佐藤の声は先ほどとは違い、震えはなく、ただひたすらに温かく響いた。
彼は深く息を吐き、改めて自分の気持
ちを言葉にする。
佐藤は少し照れくさそうに、でも逃げずに英理の瞳を見つめた。
「さっきは怒らせちゃってごめん。
でも、どうしても伝えたかったんだ。
勘違いとか、ナオとの関係とか、全部抜きにして。
俺は、神之浦さんのことが本当に好きです。
もしよかったら、俺と付き合ってくれませんか?」
英理は真っ赤になった顔を上げ、佐藤の真剣な眼差しをじっと見つめた。
佐藤の告白は本当に嬉しくて、胸が熱くなるほど温かいものだった。
でも、その胸の奥で、カチリと何かが引っかかる音がした。
「佐藤くん」
英理は震える手で自分の胸元をぎゅっと握りしめた。
頭の片隅に、どうしても消えない影がよぎる。
あの事故の日、自分を命懸けで守ってくれた人。
お兄ちゃんの部屋で再会した、あの傷ついた腕を持つ、不器用な『凪』の姿。
もし今、このまま佐藤くんの気持ちを受け入れたら、自分の中にずっと残っているこの甘い感情、一生抱えたままになってしまうのではないか。
自分の中で本当の気持ちを確かめなければ、佐藤くに失礼だ、そんな直感が、英理の胸を締め付けた。
「ごめん。佐藤くんの言葉、本当に、すごく嬉しかった」
英理は絞り出すように言った。
「佐藤くんのこと、今の私がそのまま『うん』って言ったら、佐藤くんに嘘をつくことになる気がして。
もう少しだけ、考えさせてほしい。
私、どうしても、自分の中で整理をつけなきゃいけないことがあるの」
「…そっか。急かしてごめん。神之浦さんが大事な答えを出せるまで、俺は待つよ」
佐藤はそう言って、優しく微笑んだ。
ナオは少し離れた場所からそのやり取りを見守りながら、英理の横顔にある「迷い」に気づいていた。
(英理。やっぱり、凪くんのことが)
ナオは少し胸を痛めながらも、親友として英理の決断を優しく見守ることにした。




