第12話 【天然の壁】
佐藤は助けを求めるように、思わず隣にいるナオの方を向いた。
顔を真っ赤にして、すがるような視線を送る佐藤。
そして、それを「よしよし」と満足げに笑いかけるナオ。
(えっ…?)
英理の脳内で、パズルのピースが
「とんでもない誤解」
の方向へカチリと組み合わさってしまった。
(そういえば、ナオはこの間からやたら佐藤くんの話ばっかりしてた…。
今日の昼休みも、わざわざ私に佐藤くんを紹介して、良いところをたくさん教えてくれたのも…)
(今のこの佐藤くんの顔…完全にナオのことを見て赤くなってる! ナオが私に佐藤くんをアピールしてたのは、親友の私に『この人いい人でしょ?』って、自分の好きな人を認めてほしかったから…?)
英理は急に居たたまれなくなった。
自分は何も知らずに、二人の恋の成就に協力させられていた「邪魔者」だったのではないか。
「…あ、あの!」
英理は、二人の間に漂う(と英理が勝手に解釈した)甘い空気を壊してはいけないと、慌てて立ち上がった。
「私、ちょっと用事思い出した! ごめん、二人で…ゆっくり話しとって!」
英理は慌ててお弁当箱をカバンに詰め込む。そして、佐藤とナオの顔を交互に見ながら、二人の秘密を守るかのようなひそひそ声でこう言った。
「ナオ、気が利かんでごめん。あんたらのお邪魔しちゃって…。あとは二人きりで、楽しんでね」
言い残すと同時に、英理は風を切るように教室から走り去って行った。
残されたナオは、あまりの衝撃にしばらく言葉を失い、固まる。
(は? 今、なんて言った?)
ナオと佐藤を「お似合いのカップル」だと勘違いし、気を遣って身を引いた。
そのあまりにも飛躍した、けれど英理らしい天然すぎる誤解に気づき、ナオは額に手を当てて深くため息をついた。
一方、佐藤は
「な、今のって、どういう…?」
「はぁ…。佐藤くん…あんた、今の英理の勘違いっぷり、分かった?
あの子、私たちのこと『そういう仲』やと完全に勘違いして、身を引いたよ」
「はぁっ!? な、なんでそうなるんだよ!」
「あんたの赤面した顔が悪かとよ! もう、これやけん英理は。放っておくととんでもない方向に話が進むんやけん」
「ナオ。神之浦さんって、もしかして…かなり天然なところ、ある?」
ナオは肩をすくめた。
「やっと気づいた? 今さら何を言うかと思えば。あの子はね、真面目なんやけど、ピントが絶妙にずれとるとさ。
まあ、そういう真っ直ぐでピュアすぎるところが、あの子の最大の魅力なんやけどね」
「なんか、思ってた以上に手強かやな。俺、普通にアピールするのさえ難しかやんか」
「そうよ。普通のアプローチじゃ、あの子には一生届かんばい。
ま、心配せんでよか。ただ、これからは英理の『天然フィルター』をどげんかせんばいかんね」
ナオはニヤリと笑い、佐藤の背中をバシッと叩いた。
「……ナオ。俺、ちょっと自信なくなってきたわ」
佐藤は力なく笑い、隣を歩くナオにぽつりと本音をこぼした。
「神之浦さんってさ、あんなに優しくて、俺みたいなのにも真っ直ぐ向き合ってくれて。
でも、俺の気持ちなんて、あの子の天然な思考回路の前では完全に蚊帳の外なんだよ。
神之浦さんが好きになる人って、一体どんな人なんだろうな」
ナオは、そんな佐藤の横顔をじっと見つめた。
昨日、英理が一瞬見せた「凪のことを想っているであろう切ない表情」が、ナオの脳裏をよぎる。
(佐藤くんは真っ直ぐで誠実なんやけど……確かに勝算は薄いかもしれん)
ナオは少しだけ言葉に詰まりながらも、相談相手として逃げずに答えた。
「佐藤くん……。英理がどういう人を好きになるかは、正直、私にも分からん。あの子は、誰かの肩書きとか格好良さじゃなくて、ふとした瞬間の『優しさ』や『温かさ』をすごく大切にする子なんと」
「あの子を好きになる人は、きっとあの子のその天然なところを、丸ごと受け止めてあげられるような人やと思う。
……自信なくす必要なんかなかよ。
今、こうやってあの子のために悩んで、あの子の勘違いにさえ笑いそうになっとるあんたが、一番あの子に近付いとるとやけん」
ナオの言葉に、佐藤はハッとして少しだけ顔を上げた。
「……そうかな」
「そうよ。とりあえず、明日は『邪魔者扱いされること』を覚悟で、また普通に話しかけに行こう」
その日の放課後。
英理は小さく肩を落としながら、ナオの隣へ歩み寄ってきた。
「……ナオ。さっきは、ほんまにごめんね」
「ん? 何が?」
「私、空気が読めんくて。二人きりの時間を邪魔しちゃったよね。
佐藤くん、本当によか人そうやったし、ナオがお似合いって思うともよく分かったよ」
英理は真剣な眼差しで、ナオの手をきゅっと握りしめた。
「ナオ、私、ナオのこと全力で応援するけん! 佐藤くんとの恋、頑張ってね。これからは絶対に邪魔せんごとするけん!」
親友の恋路を一番に応援する――そんな真っ直ぐで、あまりにトンチンカンな言葉を聞いたナオは、掃除用のホウキを握ったまま固まった。
(はぁ。やっぱり、そうくるよね)
「……英理、あんたねぇ」
ナオは苦笑しながら、英理の頭をポンと軽く叩いた。
「応援してくれるとは嬉しかけどさ……。まあよか、今のところはそう思っといてもらっても構わんよ」
ナオはわざとらしく溜息をついたが、頭の中では(この『天然の壁』をどうやって崩していこうか)と、次の作戦がぐるぐると回り始めていた。
翌朝。
佐藤が登校し、昇降口から教室へ向かって廊下を歩いていると――向こうから英理が軽やかな足取りで歩いてくるのが見えた。
「あ、おはよう、佐藤くん!」
英理は昨日とはまるで別人のように、屈託のない爽やかな笑顔で声をかけてきた。予想外の挨拶に、佐藤の心臓が大きく跳ね上がる。
(えっ、神之浦さんから声をかけてくれた……!?)
わざわざ隣のクラスの自分を見つけて挨拶してくれたことに、佐藤は顔を真っ赤にしながら精一杯の笑顔を返した。
「お、おはよう……神之浦さん!」
今度は昨日のように動揺して逃げ出すこともなく、しっかりと挨拶ができた自分に、佐藤は少しだけ自信を持った。
しかし、その喜びは一瞬で打ち砕かれる。
英理は佐藤のすぐそばまで歩み寄ると、内緒話でもするように少しだけ小声をひそめた。
「あのね、佐藤くん。
ナオのこと、ほんまによろしくね! ナオ、とっても良い子だから。
じゃあ、またね!」
英理はそう言って佐藤の肩をポンと軽く叩くと、悪気など欠片も感じさせない満面の笑みを残し、そのまま自分の教室へと去っていった。
廊下に一人残された佐藤は、英理の後ろ姿を見送りながら、複雑すぎる表情で固まった。
「……よろしく、って……」
その様子を少し離れた角から目撃していたナオは、口元に手を当てて吹き出しそうになるのを必死にこらえていた。
(ああ、もう! 英理、ほんまにどこまで天然なんと)
その後の休み時間。
「……ナオ、ちょっと時間ある?」
「お疲れ、佐藤くん。
また英理に『ナオのことよろしくね』って言われたと?」
ナオがズバリ言い当てると、佐藤は深々とため息をつき、ナオの前の席にへたり込んだ。
「なんであんなに無邪気なんよ。
朝から俺に会いに来てくれたのかと思って、正直、心臓が持たないかと思ったわ。どうすればいいんだ、」
佐藤は頭を抱えて唸る。
「うーん、そうやねぇ……」
ナオは腕を組み、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ならさ、作戦を変えよう。『ナオと佐藤くん』っていう構図を、英理の脳内から強制的に排除すると」
「……排除するって、どうやって?」
「あんたが英理に対して『ナオと俺は全然そういう仲じゃなか』って、直接否定してみたらどう? それも、私がいないところで、あの子が言い逃げできんようなタイミングでさ」
ナオは佐藤の肩をバシッと叩いた。
『俺はナオのことは友達としか見とらん。俺が見とるのは、英理、あんたばい』ってね。
これくらいの直球じゃなかと、あの天然の壁は砕けんと思うよ」
佐藤はゴクリと喉を鳴らした。
今日まで「まずは友達から」と慎重に進めてきた戦略を捨てる、あまりにも勇気のいる一歩だ。
「……ナオ。本気でそうするべきだと思うか?」
「あんたのその真っ直ぐさ、英理の心にぶつけてやりなよ。
佐藤くん、腹を括りなさい。今日の昼休み、作戦を実行するよ」
「今日の……昼休み!?」
「そう。英理と私、そしてあんたの3人で、体育館の横に行こう。
あそこなら放課後ほど人はおらんし、落ち着いて話ができる。
私が『飲み物買ってくるわ』って言ってその場を離れるけん、残された二人で、あんたがちゃんと決着をつけなさい」
「二人きりにして、そこで俺が……」
「英理のあの思い込みを、あんたの言葉で全力で破壊するとよ!」
佐藤は深く息を吸い込み、両手で強く拳を握り締めた。
「……分かった。ナオ、ありがとう。ここまできたら、もう逃げない。今日のお昼、絶対に伝える」
「もし英理がパニックになっても、私が後でちゃんとフォローしてやるけん。
さあ、行くよ。あんたの青春、見せてもらいなっせ!」




