第124話 【同じ痛みを抱く男たち】
病室の外、風が吹き抜ける非常階段の踊り場で、二人の男は対峙していた。
相良は凪の作業着と不自由な右足を一瞥すると、白衣のポケットに手を突っ込んだまま切り出した。
「単刀直入に言います。糸音を僕に返してください。君が彼女の隣にいることは、彼女を危険に晒し続けることと同じだ」
凪は、静かに相良を見据えて返す。
「あんたの言う『安全』いうのは、あいつを東京の病院に閉じ込めて、機械に繋ぐことか?」
「それが医療だ! 感情論で命が救えると思っているなら、おめでたい。
君は救助隊にいたそうだが、現場で一番邪魔なのは『情』だろう? 今の彼女には二十四時間の管理と、最新の投薬治療が必要なんだ。君にそれが用意できるのか? 彼女が苦しんで倒れるのを、ただ隣で見ているだけか?」
「俺には、そんなもんは用意できん。あいつを一日でも長く生かす力は、あんたの方が持っとるんやろうな」
「分かっているなら話は早い。彼女も揺れているんだ。僕のところへ戻れば、安全な日々が送れる。君のような、過去に縛られた人間の隣じゃなくな」
相良の鋭い視線に対しても、凪は一歩も引かなかった。
「……相良さん。あいつはあんたの前で、ずっと『いい患者』になろうとしとる。東京におった時と同じ、誰かの期待に沿う自分を生きてるんや。
……でもな、ここにおる時の糸音は、嫌いなものを残したり、くだらんことで笑ったりする。俺は、あいつがそのままおれる場所を失くしたくないんや」
「綺麗事だな。死んだら全部終わりなんだよ」
相良の声音に、低い苛立ちが混じる。
「ああ。救助隊としては失格やもしれん。
でもな、俺はもう、誰かのために自分を殺して生きる辛さを嫌というほど知っとる。
あいつにまで、そんな思いはさせん。あいつがここにおりたいと言うなら、俺は絶対に手を離さん」
二人の間に、硬い沈黙が流れた。
♢
場所を病室前の廊下に移しても、張り詰めた空気は消えなかった。
白石の眠りを妨げぬよう、互いの声だけが低く抑えられている。
「……僕は、あの子を失いたくないんです」
壁に背をあずけた相良の口から零れたのは、先ほどまでの高圧的な態度とは違う、絞り出すような低音だった。
「わかっとるよ。あんたがどれほどあいつを大事に思っとるか。あんたの持っとる医療の知識には、俺は逆立ちしても敵わん。
あいつをこの世に繋ぎ止められるのは、あんたなんやろう」
凪の落ち着いた声に、相良は顔を背け、固く唇を噛み締めた。
「なら、分かってください。あの子は、ここで穏やかな死を待つにはまだ若すぎる。
東京へ戻れば、まだ試せる治療があるんです。僕は……あの子に未来を見てほしい」
「未来、か。……相良さん。あんたの言う未来には、あいつの『今の笑顔』は入っとるんか?」
「生きなければ、笑顔も何もない」
相良の声が、かすかに震える。
「そうやな。あんたがあいつの命を一番に思う気持ちは、絶対に正しい。
……でも俺は、あいつが今日という日を自分の足で歩いとる感覚を守りたいんや。どっちが正しいんか、俺にも分からん」
相良は閉ざされた病室のドアを見つめたまま、ゆっくりと息を吐き出した。
「……少し、時間をください。……あの子がどうしたいのか、もう一度冷静に確かめます」
「……ああ。ゆっくり考えてやってくれ」
凪もまた、静かに白石の眠る扉へと視線を向けた。




