第114話 【静かなる旅立ちの兆し】
2019年、春。
凪は都心から少し離れたリハビリテーションセンターで、懸命にリハビリを続けていた。
そんなある日の午後。
凪が中庭のベンチで荒い息を整え、激しく震える膝を押さえながら汗を拭っていると、隣の病棟から車椅子を押して出てきた一人の女性と目が合った。
「……あ、すみません。ここ、いいですか?」
落ち着いた声の主は、凪よりも少し年上の、どこか凛とした佇まいの女性。
彼女もまた、この施設でリハビリに通っているようだった。
「……おう。どうぞ」
凪が短く答えると、彼女は少し痛ましそうに話しかけてきた。
「……足、ずいぶん大変そうですね。リハビリ、お辛くないですか? ……それ、お仕事でのお怪我ですか?」
「……いや。ちょっと」
凪が言葉を濁すと、彼女はそれ以上踏み込もうとはせず、ただ静かに初夏の風を感じるように瞳を閉じる。
「私、白石 糸音と言います。……また、ここで会えるかもしれませんね」
「……あ、あの……俺、諏佐凪……凪です」
彼女はその名を確かめるように、凪を見た。
「では、凪さん。また明日の午後にでも」
彼女は穏やかに微笑んで去っていった。
凪はベンチで一人、自分の右足と、刻まれた火傷の痕をじっと見つめる。
英理が新しい光を見つけ、年下のアイドルと幸せになり、華やかな世界で笑顔を取り戻した。
もう自分のようなボロボロの身体を持った男の居場所など、どこにもない。
(……新しい出会い、か……)
(俺も、そろそろ「あの日」から動かなあかんのかもしれんな)
凪はベンチから立ち上がった。




