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第112話 【順調という名の孤独】

2016年のあの日、凪が炎の中に消えてから……。


英理の時間だけが、あの日から止まったままだった。

それでも、仕事だけは目まぐるしく続いていた。


英理はこの一年、まるで自分を追い詰めるかのように現場に立ち続ける。

主演作は次々とヒットを重ね、国民的女優としての地位は不動のものとなっていた。


(一年。もう、一年も経ったんとね)


楽屋の鏡の前、英理は自身の黒髪をそっと撫でる。


既読がつかなかった最後のメッセージ。

その後、凪のスマホは解約されたのか、「現在使われておりません」という無機質なアナウンスが流れるだけ。


半年前、どうしても耐えかねた英理は、兄・和也に、すがりつくように問い詰めていた。



「お兄ちゃん、ほんまに凪くんのこと、何も知らんの? スマホも繋がらんし……! お願い、何か隠しとんなら教えて!」


「……英理。もうあいつのことは、探さんでやってくれ」


「なんで……!? お兄ちゃんにとって、凪くんは一番の親友じゃろ? なんでそんな冷たいこと言えるんよ!」


「冷たいんやない!」


その声はどこか掠れ、震えていた。


「……あいつはもう、自分の決めた道を行っとるだけじゃ。現場で忙しいんかもしれんし、新しい人生を歩んどるのかもしれん。それを……今の華やかな世界におるお前が追いかけ回して、あいつの邪魔をしてどうするんや」


「邪魔なんて……!」


「住む世界が違うなったんじゃ」


和也は冷たく突き放す。


「あいつの人生には、もうお前はおらん。……頼むから、あいつを解放してやってくれ」



「……どこかで人を助けとる」

「忙しくて連絡ができんだけ」


英理は毎日、服の下のネックレスにそっと触れていた。

それだけが、今日も撮影に向かうための支えだった。



一方、都郊外の静寂に包まれた療養施設。


そこには、一年前の火災現場で大きな負傷を負い、未だに意識が戻らない「身元不明の男」がいた。


消防署からの公的な支援は続いていた。


傍らに付き添う救急救命士の佐伯は、この一年、非番のたびに彼を訪ね続けていた。


「……もう一年よ。あんたが守った女の子は、もうすぐ小学校に上がるって。……あんただけよ、ずっとここで眠ったままなのは」



それから半年が過ぎ。


過密なスケジュールの合間を縫って、英理は久しぶりに長崎の実家へと帰省していた。


「……英理、あんた、また痩せたんじゃないん?」


母・美津子が心配そうに声をかけるが、英理は、


「仕事が充実しとるけぇね」


と、テレビで見せるのと同じ完璧な笑顔で返す。


凪の本当の現状をすべて知っている美津子は、そんな英理の姿を直視できなかった。

和也も何も言わず、黙って庭の掃除を続けていた。


その日の午後、英理は地元の喫茶店で親友のナオと再会した。


ナオは、国民的女優となった親友に対しても、昔と変わらない遠慮のなさで向き合う。


「……英理、あんたもうええ加減にしんさい。その顔、鏡で見とるん? 全然笑えてないよ」


ナオの直球の言葉に、英理は持っていたコーヒーカップを微かに揺らしながら、


「……え、そうかな。最近、主演作も決まったし、順調なんよ」


「仕事の話をしとるんじゃないんよ! 凪くんのことよ。……あんた、一回もあいつの話をせんようになった。まるで、自分から忘れようとしとるみたいに」


英理は静かに視線を落とす。


ナオには、棟方との醜い破局も、凪と連絡が取れなくなったことも、すべて打ち明けていた。


「……忘れてないよ。でも、和也が『もう探すな』って。あいつはあいつの道で頑張っとるんじゃから、邪魔しちゃいけんって……。あの日、既読にならんかったのも、きっとそういうことなんよ。凪は、もう私に愛想を尽かしたんよ。……もう、私を必要としてないんよ」


「仕事に明け暮れとる時だけは、何も考えんで済むんよ。凪がどこかで誰かを助けとるって、そう思うだけでええんよ。……今は、これが私の『順調』なんよ」


ナオはそれ以上何も言えず、ただ、親友の指先を悲しそうに見つめることしかできなかった。


英理は東京へ戻り、また仕事の日々へ戻っていった。


凪は、誰にも知られないまま、眠り続けていた。

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