第110話 【俺たちだけの家族】
半年もの間、身元不明のまま眠り続けていた凪。
消防署が彼の身元を特定するため、わずかな手がかりを辿って連絡を入れたのが、彼の母校である鳴滝高校。
そこから当時、一番の親友だった和也へと連絡が回る。事態を知った和也は、母の美津子と共にすぐさま東京の病院へと駆けつけた。
集中治療室(ICU)の重い扉を開けた瞬間、二人は言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。
目に入ってきたのは、幾重もの包帯に覆われ、無数の管と人工呼吸器に繋がれた身体。
頼もしかった男の面影は、そこにはほとんど残っていなかった。
「……嘘じゃろ。……これが、凪なんか……?」
和也の声が、小さく震えている。
「……凪くん……なんで、こんな……なんでこんなになるまで……」
美津子は口元を両手で覆い、涙で視界が歪む。
その場に膝をつきそうになるのを必死で耐えていた。
「……脳のダメージが深くて、意識が戻る見込みは……ほとんど無いって、さっき先生が……」
和也は掠れた声で呟く。
消防の仲間から手渡されたのは、熱でドロドロに溶け、黒い塊となった凪のスマホ。
それを前に、和也は胸を抉られるような衝動に襲われた。
「……母さん。あいつ……凪のことは、英理には一生言わん方がええ」
和也の声には、親友への激しい情愛と、妹の未来を守らなければならない決意が混ざり合っていた。
「今、英理は世間からも祝福されて、新しい道を歩いとる。あいつが選んだ幸せの中に、このボロボロになった凪を連れていくわけにはいかん。……それは、凪が一番嫌がることじゃ」
美津子は、規則的な機械音だけが響く病室を見つめ、溢れる涙を静かに拭う。
「……そうじゃね。凪くんは、あの子の人生の邪魔になるくらいなら、自分は消えてもええと思っとる……最初から、そういう覚悟で英理の事を大切にしてくれた人じゃけぇ」
和也は、手の中にある黒い塊――凪のスマホを見つめた。
「……今日から、凪は俺たちだけの家族じゃ。英理の人生には、最初からおらんかったことにしよう。
それが、凪が命を懸けて守り抜いたもんへの、俺たちの最後のけじめじゃ」
美津子は震える足で歩み寄ると、佐伯から受け取った、かつて二人で撮ったあどけなさの残る写真に目をやる。
そして、包帯に巻かれた無骨な凪の手を、両手でそっと包み込む。
「……凪くん。あんたの勝ちよ。あの子は、あんたのこと、もう追いかけん。……だから、安心して、戻ってきんさい。あとはうちが、あんたの居場所になるけぇ」




