第11話 闇ギルド
ヴィラン襲撃から数時間後……
開会式の混乱と、その後の歪な宴を終え、ドイル邸の前に一台の馬車が停まっていた。
「ではローズ、送り届けさせよう。今日は大変だったな。ゆっくり休むのだよ」
「はい……叔父さまも、どうかお体を大切になさってくださいね」
窓越しに温かな笑みを交わし、馬車がゆっくりと夜の街へと走り出す。
遠ざかるドイル邸を車窓から見つめながら、ローズは一人、深く重い息を吐き出した。
(叔父さまが立ち直ってくれたのは、本当に嬉しかったけど……)
ローズは一人、深く気が滅入っていた。
学園を卒業すれば、強制的に聖騎士団……あの毒蛇の牙の下で働かなければならない。
「……最悪で、最低な連中……ッ!」
悔しさと恐ろしさに、自身のスカートをぎゅっと力強く握りしめる。
そして静かに目を閉じ、ミカエルへと祈りを捧げた。
(どうか……友達だけでも幸ある未来をお与え下さい……どうか、どうかお願いします……)
◇
その頃……ローズを見送ったドイル伯は、静かに屋敷の中へと足を踏み入れていた。
パタン、と重厚な扉が閉じた瞬間。
ドイルの顔から温和な笑みが綺麗に消え去り、冷ややかな無表情へと変貌する。
「……フゥ……」
短く冷めたため息を一つ吐くと、彼は無言で2階へと向かった。
上質な貴族服を脱ぎ捨て、深く重い漆黒のローブに身を包む。
そして手にしたのは、目元から額にかけてを覆う白銀の彫刻が施された髑髏のハーフマスク。
それを顔に装着すると、くり抜かれた目の奥から、慈悲のかけらもない老練な眼光が覗く。
柔らかな好々爺の面影は微塵もなく、そこには暗黒街を統括する『闇ギルドの元締め』の姿があった。
静かに隠し扉を開け、ドイルは地下への暗い階段を下りていく。
(マッシュ、レイラ、ボビー……毒蛇の牙共め!!せいぜい今を楽しんでおるがいい!!)
階段を下りきると、突き当たりには人の背丈ほどもある大きな古鏡が一つ、静かに鎮座していた。
ドイルは仮面の奥の瞳を冷たく光らせ、鏡面へ向けて静かに手を掲げる。
「……偽りの光を棄て、深淵に道を乞う。
ノクス・スペキュラム」
低く響く呪文とともに、鏡の表面が水面のようにゆらりと揺らぎ、不気味な漆黒の波動を放ち始めた。
ドイルは躊躇うことなく、その暗闇の波紋の中へと足を踏み入れる。
「……ほう。随分様変わりしたな」
数年前、ドイルはこの闇ギルドを創設した。
この世界の悪をここに集めるために。
(以前までは、不良貴族や盗賊程度しか集まらぬ場所だった。粗末なプライドと、劣悪な悪意の匂いしか漂わない空間だったが……)
鏡のゲートを潜り抜け、薄暗くも重厚な石造りのホールへと足を踏み入れる。
燭台の小さな炎が揺れるその奥、黒塗りのカウンターに佇んでいた人物が、静かに一礼した。
隙のない黒の給仕服に身を包んだ、若く美しい受付嬢である。
表のギルドと何ら変わりない洗練された所作だが、その瞳には光がなく、深淵のような冷たさを宿していた。
「おかえりなさいませ、マスター」
鈴を転がすような静かな声が、静寂のホールに響く。
「……ヴィランはどこだ?」
「ヴィラン様はカジノにおられます。お呼び致しますか?」
「いや、いい。大方の予想はついておる。
ヴィランにはいつもの部屋で待っていると伝えておいてくれ」
「かしこまりました……それと、こちらヴィラン様から贈り物でございます」
カウンターの奥から、受付嬢が滑らかな手つきで一本の黒いボトルを取り出す。
ラベルすら貼られていない、闇ルートでしか流出しない最高級果実酒……『ブラッド・ルビー』だ。
「ふん!相変わらず、洒落たことをする男よ。
グラスは2つ用意して持ってきてくれ。
レモンも添えてな」
「承知致しました」
ドイルはゆっくりとVIPルームへ向かって足を進める。
通路の左右に並ぶ個室からは、漏れ出でる怪しげな談笑や商談の声が聞こえていた。
『今日、新しいブツが入荷するって聞いたんだが……』
『ふふ、ご案内致します。どうぞこちらへ……』
『このモンスターを5体ちょうだい』
『さすがはマダム、お目が高い』
廊下に響くその声に、ドイルは仮面の奥で口角を上げる。
(モンスターの取り引きが活発化しておる……全てはあの男とワシの思惑通りだ)
その時……不意に、一つの個室から怒号が響き渡った。
「ふざけるな!!そんな値段は法外だ!!」
「……お静かにお願い致します、侯爵様」
「わかっているのか!? 誰がこのギルドを支えていると思っている!! 俺様の力がなければ、このギルドは成り立たないのだぞ!?」
(……やれやれ)
「おい、そこのメタルゴーレム」
『ギィ?』
「あの部屋で騒いでいる男を殺して、見せしめとして外に飾っておけ。うるさくてかなわん」
『ギィ!』
メタルゴーレムは嬉しそうに目を歪めると騒いでいる部屋へと入っていく。
「な、なんだ!? 俺は客……ぎゃあああ!?」
激しい悲鳴と、骨の砕ける不快な音が廊下に響き渡り……次の瞬間、そこはピタリと死のような静寂に包まれた。
周囲の個室にいた客たちも、己の命が繋がったことに安堵しながら息を潜めている。
「……愚か者め」
一瞥もくれず、ドイルはVIPルームの扉に手をかけた。
(静かだ……それでいい。それでいいのだ)
「静寂こそ……我らにふさわしい」
重々しくソファーに腰を下ろすと同時に、コンコンと扉が静かに叩かれる。
「入れ」
「失礼いたします」
現れたのはヴィランだった。
「ようこそ、闇ギルドへ……」
ヴィランは芝居がかった動作で深々と頭を下げる。
「ドイル様……いや、ギルドマスター。敵対組織を三つほど滅ぼし、奴らに最高の恐怖と絶望を与えてくださったそうですね」
ヴィランが指をパチンと鳴らす。
すると背後からストーンゴーレムが歩み寄り、黒い輪っかのような物体が載せられた銀トレーを差し出した。
「報酬のダークリングでございます」
トレーの上に並べられたのは、不気味な黒光りを放つ特殊な輪。
一般の金貨や銀貨とは一線を画す、この闇ギルドの内部だけでしか流通しない絶対的裏通貨……ダークリング。
権力や武力、命の取引すらも可能にする、悪の経済圏の象徴であった。
ドイルは仮面の奥で満足げに目を細め、その黒い輪を静かに見つめる。
「もうかなり貯まってらっしゃるはず……モンスターでもお買いになりませんか?」
「いや、不要だ」
「……では、なにをお望みで?」
「ククク、まぁ、焦るなヴィラン。そこに座ってくれ」
「はい」
ヴィランがソファーに座った瞬間、先ほどの受付嬢がレモンを添えたグラスとブラッド・ルビーを静かに運んできた。
「まずは乾杯だ。貴様の日の目に!」
「ありがとうございます、乾杯」
「……うん、良い果実だ。樽も良い」
「……当たり年だそうです」
「ふむ……今日の襲撃……あえて生徒たちを殺さなかったな?」
「はい」
「理由を聞いても良いかな?」
「簡単な話……弱者は殺すより利用したほうがいい。ただそれだけのことでございます」
「その理屈は理解できるが……どうかな?
人の心を侮ってはいないだろうな、ヴィランよ」
「滅相もございません」
「そうか……それならばそれで良い」
ドイルが満足げに頷いた、その時だった。
ヴィランのすぐ背後の空間が、ぬらりと歪む。
水面が揺らめくように影から現れたのは、息をのむほど美しく、どこか浮世離れした妖艶な美女の姿であった。
精緻な人形のような整った顔立ち。しかし、その瞳は液状の怪異特有の不気味な光を宿している。
ヴィランの盾であり、変幻自在の暗殺者……クイーンスライムである。
彼女は滑らかな動作でヴィランの肩に手を置くと、その耳元へ妖しく顔を近づけ、甘い声で囁いた。
「……例の王子が後金払わないってさ。……どうする? 私がヤッてやろうか?」
「……後回しだバカめ。今は大切な商談中だぞ」
ヴィランが軽く手で制すると、クイーンスライムは不満そうに薄赤い唇を尖らせ、スッと姿を無機質な粘液へと変形させながら静かにヴィランの背後に身を潜めた。
そのやり取りを冷ややかな目で見守っていたドイルが、ゆっくりとグラスをテーブルに置く。
「実は……ワシから貴様に一つ頼みたい仕事があってな」
「ほう……ギルドマスターからのご指名ですか?」
「ある冒険者パーティのことだ。奴らはワシが狙っていた古代遺跡の宝物を横取りしたばかりか……ワシの秘密に触れてしまったのだ」
ドイルの眼光が、ハーフマスクの奥で底知れぬ殺意を帯びて光る。
「宝物の奪還、そしてその冒険者の男の抹殺。……引き受けてもらえるか?」
「ククク……もちろんですとも。『私の顧客』の秘密を守るのも、武器商人の嗜みでございますから」
「……頼んだぞ。詳細は後で送る」
そう言ってドイルはVIPルームから去って行った。
「どちらにせよ、今優先すべきなのは……明日の小テストだな。忌々しい!」
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