もうひとりの従兄弟
623年秋
入鹿の父、山背には叔父に当たる蘇我毛人の容態が良くないと、風のうわさが耳に入ってきたのは、田の刈り入れもすっかり終わった頃だった。夏からの水不足が祟っての予想通りの凶作で、更に悪いことは重なるもので、原因不明の高熱と腹痛が続く流行病まで、巷に蔓延し出したらしい。
不穏な空気の中での身内の発病は、日頃余り飛鳥には訪れない山背の脚をも、彼の地へ運ばせた。
けれど、祖父の馬子ほどには、毛人との繋がりが薄い山背である。
いきなり訪れるわけにも行かず、山背は斑鳩を出て、まず畝傍の入鹿の元を訪れた。
しかし、彼は不在で、主の代わりに山背の前に出てきた、帰化人の娘が彼の行き先を教えてくれた。
飛鳥寺の近くの、司馬氏の工房にいるのだという。
そういや、昔からよく出入りしていたな。
何度、危ないからやめろ、と祖父の馬子に窘められても、片岡の手をひいて、よくふたりで遊びに行ってたことを思い出しながら、山背は馬首をそちらに向けた。
近づくとそこは、設営された幾つもの窯から立ち込める煙、金属を打つ槌音、掛け声。
物を作り出すには、これほどの力が必要なのかと思わせるような熱気が漲っていた。
この飛鳥川の辺にたてられた司馬氏の工房は、もともと飛鳥寺建設のためのものだった。
屋根を葺く瓦、寺の梵鐘。仏具。鏡。
様々なものを作り出すための、この国の技術の粋が集められた場所、と言っても過言ではない。
作業用の小屋が、何棟も建てられ、中ではそれぞれ二十人ほどの工人たちが働いている。
山背は入鹿の姿を求めて、ひとつずつの建物を見て回った。
工人たちは己の作業に手一杯なのか、こっそり中を窺う山背の姿など、気にも留めない。
あいつ、何処にいるんだ。
少し苛立ちを感じながら覗いた、四つ目の小屋に、彼はその姿を認めた。
『ばかだ、あんた』
あんな暴言を残して、自分の前から消えたのに、入鹿はそんなことはもう忘れた、と言いた気な無邪気な笑顔を山背に向けた。
「珍しいな、あんたがこんなところに」
「久しぶりだな。最近斑鳩には顔見せないじゃないか」
山背の問いに、入鹿は少し、困ったような顔になった。
「ん、ああ」
なんとも歯切れの悪い返事をして、山背から目を逸らす。
「片岡とけんかでもしたか」
「そんなんじゃない。――片岡元気?」
「普通かな。お前が来ないから何となく沈んでる気はするが」
「そっか」
少しだけ緩めた口元も、何だかいつもの華やかさがないような…。
だが、理由があったとして、山背にこぼすような入鹿ではないことは、知っている。
彼の顔を見て思い出したことがあって、山背は、別の話を切り出した。
「そういえば、お前が盗人扱いしたあの少年」
「あ、ああ」
入鹿もすぐに誰のことか、脳裡に浮かんだらしい。
中臣氏の御気古を訪ねると言っていた東国訛りの少年。彼の行方など、入鹿には露ほどの興味もないのだが、山背は更に言葉を続けた。
「無事に三嶋についたらしい。後日、手紙と幾つか品物が返されてきた」
「品物って…」
勝手に持ち出そうとしたのを、山背が見逃した装飾品のことか?
「もしも、御気古に受け入れてもらえなかったら、路頭に迷ってしまう。それで、つい出来心であんなことをしたのだと」
朗らかに話す山背は、彼の言い分をまともに信じ込んでいるようだ。
「真から悪い男じゃなかったんだろ」
「あんたの基準なら、悪人なんかいなくなるよ」
鎌子の言い分が、事実だとしても。
許されることではないし、返せば罪が無くなるってものでもない。
そもそも、あんたが変に温情をかけるから、間違いも出来心も起こしやすくなるってものじゃないのか。
入鹿の胸のうちに湧く、幾つもの説教。
が、彼はそれを飲み込んで、代わりに息を吐いて、肩をすくめた。
自分の言葉など、山背の善意(と本人が信じきってるらしきもの)に弾き飛ばされるのがオチなのだから。
人の良さ。人を疑わない大らかさ。山背の長所でもあり、短所でもある。
騙されたとしても、恨むでもなく、憎むでもなく、そんなこともあるさ、で片付けてしまう。
ここまで行くと、大物なのか、紙一重のただのばかか、入鹿にも判断つかない。
もう、鎌子の話は諦めて。
「来いよ」
入鹿は、山背に誘い掛けると、奥の炉の方へ歩き始めた。
時折火柱が飛んでくる激しさで、炉の中の炎は、燃え続けている。
「出来た?」
そう言って、入鹿は溶解炉の前に陣取る初老の男と、少年に声を掛けた。
「おお、若」
入鹿の姿に、目を細めた初老の男は、鞍作止利。名高き名工と誉れ高い彼だが、入鹿の乳母の兄でもある。
蘇我の嫡男の養い親として、彼は入鹿をわが子のように、否、端麗な容姿、目から鼻に抜ける賢さ、入鹿が持って生まれた性質を、わが子よりも愛している。
入鹿に尋ねられて、炉の中に入れた銅を、一旦止利は自分の側に引き戻し、その様子を瞬時に観察する。
「いい塩梅になってきました」
「本当か?」
きらきらした眸で覗き込んだ、止利の隣に陣取った少年の顔に、山背は驚いた。
面差しが、幼い頃の入鹿によく似ている。
細く柔らかな髪をみずらに結い。その髪がじっとしていない彼の動きを表すかのように、絶えず肩先で右に左に揺れている。形のいい、弓なりの眉、大きくくるくると動く瞳。常に悪戯を考えているような口角の上がったやんちゃな口元。
「だ、誰、その子。お前の子?」
山背がありえない疑問を口走るくらい、少年は幼い頃の入鹿に似ていた。
「初めてだっけ」
意外そうに、入鹿は言ってから、少年の肩に、自分の手を置いて、山背の方に向き直った。
「田村皇子と法提郎女の間に生まれた、古人皇子です」
「入鹿、この者は?」
身丈は入鹿の胸元くらい。山背をぎろりと睨んでから、小柄な古人は入鹿を見上げて訊く。
「山背王です。厩戸皇子の一の王です。お互いの父母が兄弟姉妹になりますから、我等三人従兄弟同士になりますね」
「ふーん」
入鹿の説明で、何を何処まで理解したか、古人は何となく頷いて、また三人で止利の手元に注目した。
形無く溶けた銅を、止利は真剣そのものの瞳で、慎重に鋳型に流し込んで行く。
「これは何を作ってる」
山背はそっと、入鹿に尋ねた。
「風鐸」
「風鐸?」
建物の四囲の軒につるし、風に吹かれると、かそけき音を立てる風鐸。
「どうするんだ、これ」
「俺の屋敷に吊るそうと思って」
「屋敷に」
意外な言葉に、山背は目を丸くする。
寺にはつき物だが、これを己が屋形にねえ。
贅沢というか、風流というか…。
蘇我の財力と、司馬の技術の知識の二つを併せ持つ、彼ならではの発想だな。
養い親か。
意識がそちらに飛んで、山背の頭を掠めた疑問があった。
「その子、古人は何処の屋形に…」
山背の声を耳障りなもののように、止利は眉間に皺を寄せて、彼を見た。
が、勿論そんな不満は口には出せず、またゆっくりと丁寧に作業を続ける。流しこむ鋳型は6個。既に、入れ物の中の銅も半分ほどになっている。
入鹿は山背の袖を掴んで、少し離れた場所に引っ張った。
「古人が何?」
「ああ、うるさくして悪かった」
「止利は職人気質だから。で、何?」
「古人は、何処の屋敷で育てられてるんだ?」
何でそんなことが気に掛かるのかと、入鹿は眉を上げながら。
「父の豊浦の屋形に…」
と、まさに山背が欲しかった答えを告げた。目的が達せられるとばかりに、山背は、身を乗り出す。
「いや、本当は今日、ここに来たのは、お前と共に豊浦に来訪したかったんだ。臥せっていると聞いたが、叔父上は大事ないのか?」
が、息子であるはずの入鹿の答弁は、余りに心許なかった。
「確かにしばらく、朝参していないみたいだけれど…。別に問題ないんじゃないか」
「お前、逢ってないのか?」
「病を得てからは、お逢いしていない」
「薄情な息子だなあ」
「俺の顔見れば、治るってものでもないだろ。俺は、薬師でも祈祷師でもない」
治るとか治らないとか、親と子の間に流れる情って、そんなものじゃないだろ? 淡白過ぎる彼と父の関係性に、山背は甚だ疑問を抱く。
「今日も古人連れ出すのに、豊浦に行ったのではないのか」
「こんな処」
連れ出しているとわかったら、それこそ大目玉。こっそりと、裏庭から古人が抜け出してきたのだという。
「……」
呆れて言葉を失った山背は、額に手を当てた。
その瞬間。
「あつっ」
槌音や窯の火の燃え盛る音を引き裂くような、古人の叫び声が、ふたりの耳に届いた。
従兄弟揃い踏み。




