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美雪が、初めて杉浦に会った日。
彼が着ていた服を、美雪は強烈に覚えている。
それは、鮮やかな色彩のコントラストで、美雪の記憶に焼きついている。
その服装からはアンバランスなほどの子供じみた言動と、年齢を感じさせない顔立ち。まるで芸能人みたいだ、なんて思ったことは笑い話のような、本当の話だ。
美雪が感じたその感覚は、当たってはいないけれど、間違いでもなかった。
杉浦は、新進気鋭のプロデューサーと呼ばれている人だった。とてもそうは見えないけど、やり手だって言われているらしいことも、後で知った。
彼は、美雪を現実に引き戻した。
ただ流されるように日常を過ごしていた美雪に、身近な人に恋することを教えてくれた。それまで考えたこともなかったのに、美雪は何よりも大切な存在を見つけた。いつの間にか、自然に彼は美雪の心の中に入り込んでいた。自分でもびっくりしてしまうくらいの変化に、ついて行けないくらいに。
子供みたいで、大人で、そして、笑顔の素敵な人。
美雪に黙って、彼はいなくなったけれど。
戻って来てくれたのだから、もういい。
杉浦が出した答えは、きっと誰もが待ち望んでいたもの。
だから、美雪は、どんな存在でもいいから、杉浦に傍にいて欲しいのだ。
「……まだかな」
こんな所でいつまで待たせる気なんだろう、と思いながら、美雪は苛々と時計を眺めた。
屋根もないんだから、早く迎えに来て欲しいのに。
久しぶりのデートだというのに、遅れて来るなんてひどい、と憤慨したくなる。
学校に迎えに行くから正門の所にいてね、なんて杉浦は言っていたけれど。
終業式が終わってかれこれ一時間は経つというのに、まだ来ない。終わる時間を、言い間違えたのだろうか。と、また不安になって来る。
もう一度時計に視線を落とすと、やはり、約束した時間からきっかり一時間が過ぎている。
彼が来たら、遅刻だって言ってやろう。それで、今日のは全部奢りだ。思いきり高いご飯をねだってみようかな、なんて、物騒なことも考えて。
終業式が終わった後も残っている物好きなど、それほどいない。だから、人のいなくなった学校は、何だかちょっと寂しそうにも見えた。
そんな校舎を眺めて、美雪はため息をつく。
「……遅い、な」
待つのは、嫌ではないのだ。
たぶん、嫌いではないと思う。
わくわくしているから。今は、彼を待っている間にどきどきできるから。
目を、閉じると。
ギターの音が聞こえる。
観客のざわめきが聞こえる。
それは、予感。彼が目指す到達点への、序章。
二人は動き出す。
二人が組むという話は、本格的に進み始めた。以前に噛み合わなくなった歯車を取り戻して、二人は、もう一度音を作り始めている。音楽シーンの頂点を見るために。
だけど。
彼らは、手の届かない、遠い雲の上の人ではなくて。
ちゃんと、美雪の傍にいてくれるから。
だから、美雪は彼らの行く道を見て、彼らが戻る場所で待っていることができる。
そう、思うのだ。
「美雪!」
目の前に滑り込んで来た赤い車の運転席から、杉浦が顔を出した。
「早く乗って!」
早口で急かされて、美雪は走って助手席に廻る。相変わらず健在のマイペースに、美雪は言おうと思っていた文句がどこかに飛んで行ってしまった。
大体、遅刻をして来たのは杉浦の方で、文句を言うべきは美雪のはずだ。なのに、何で早くしろと文句を言われなければならないのか、理不尽な気もするけれど。
この人のこういうところには適わないなって、そんな感じがした。
杉浦は、美雪がシートベルトを締めるのも待ちきれないまま車をスタートさせた。
焦って彼の横顔を見ると、まるでずっと欲しがっていた玩具を買ってもらった子供みたいに、にこにこしていた。
「……何かあった?」
「うん。決まったんだ、今日」
「何が?」
「俺たちのユニット名だよ。聞きたい?」
別に、美雪があえて聞きたいなんて言わなくても、きっと大喜びで自分から喋り出すのだろうけど。
だって、喋りたくてうずうずしているって、丸見えだ。
ここで美雪が「そんなことはどうでもいい」とか言ったら、今度は、子供みたいに口を尖らせて拗ねるのだろう。この、杉浦晃という人は。
そういう表情も見てみたい気がしたけれど、それは次の機会に取っておくことにした。
「……教えて」
「《TRUTH》って言うんだ。真実って意味なんだけど。カッコいいだろ」
と、自慢そうに胸を張った。
すごく彼らしい言い方に思えて、美雪は思わず吹き出してしまった。
「なぁに笑ってんだよっ。笑う場所じゃないじゃん。ここは感激するとこだろ。……どーでもいいけど、笑ってないで俺さまのギターを聴きなさい。本邦初公開、心して聴けよ」
偉そうにそう言って、杉浦はプレイヤーのスタート・ボタンを押した。
数秒の空白を置いて、流れ出す音。力強いギター・リフと軽快なドラムの音が重なる。リズムを刻むベースは心地いいくらいだ。そして、伸びやかに歌い上げる慎の声が重なった瞬間、美雪は息を飲まずにはいられなかった。
ああ、二人はこういう音楽が作りたかったのだと、その瞬間にわかったからだ。
慎の歌に、杉浦がコーラスをかぶせる。重なるハーモニーは、二人の本気と笑顔を思わせる。彼らの音を皆が絶賛する日は、たぶん、もう遠くない。
だけど、美雪は、ずっとこのままでいようと思う。
たとえ杉浦がトップ・アーティストと呼ばれるようになって行ったとしても、美雪は何も変わらない。美雪が好きになったのは、ギタリストの杉浦晃ではないのだから。
好きになった人が、たまたまそういう方向へ来てしまっただけだから。
そう、自信を持って言える。それは、美雪の誇りでもあった。
「……感想は?」
「……最高……」
美雪のつぶやきに気をよくしたのか、杉浦は更に嬉しそうな笑顔になった。
車は、信号で緩やかにスピードを落とす。
信号待ちの、車の中。
流れるギター・ソロの音に誘われるように、杉浦は。
美雪に、キスをした。




