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20/22

20

 一年が、過ぎて。

 それでも、美雪の周りはほとんど何も変わっていなかった。変わって行ったのは、街中に流れる流行の曲くらいだった。

 有線やヒット・チャートを賑わせる曲の中に、杉浦の名前が見え隠れする。以前よりも頻繁にメディアに名前が登場しているのは、プロデュースする相手が多くなったせいだ。そして、それらは慎が飛ばすヒットと競い合うようにして、チャートを上りつめて行く。

 コンピューターでプログラムされた音符の中に、時折割り込んで来る、やたらと人間的な音色を紡ぐギターの音。それは、杉浦が今もギターを諦めてはいないことの証なのだと、美雪に思い出させる。

 慎は「ライバル登場」などと言って、茶化していたけれど。

 きっと、本心はうずうずしているはずだった。

 何故なら、明らかに杉浦の音は変わったから。

 耳障りがいいだけだった今までの曲調に、ギターの響きが加わった。たったそれだけで、曲のイメージは一新した。彼の作る曲は、一歩ずつだけど確実に目標へと近づいて行っている、そんな気がしている。

 だから、美雪には杉浦を想い出にしてしまうことなんてできなかった。そうしてしまえれば、もしかすると、もっとずっと気持ちは楽になれたのだろうけど。

 杉浦がいなくなってから、いろいろなことを考えた。

 考え過ぎてぐちゃぐちゃになればなるほど、美雪が杉浦のことが好きだというひとつのことしか残らなかった。忘れてしまおうとしたけれど、それはするだけ無駄な努力だった。今でも、彼は美雪の大好きな人に変わりはなかった。たとえ、ずっと会っていなくても。

 そして、確実に社会での認知度を上げて行く杉浦の音を聞くたび、美雪は、彼への想いが決して色褪せてはいないことを知る。逆に、想いは強くなって行く。

 会いたい。

 彼に、会いたい。

 そう思う気持ちは、やはり、日を追うごとに大きくなって行く。大丈夫、と何度となく言い聞かせている自分が、嘘っぽく見えて来る。

 慎は、今では大切な友だちの一人になっていた。

 別に頼んだわけではないのだけれど、彼は忙しい仕事のやりくりをつけてはお店に顔を出しているし、ついでに、それにくっついて来る追っかけに恵梨は腹を立てていたりする。トップ・アーティストと呼ばれる人であっても、恵梨にしてみれば友人の昔の友だち、程度の認識らしい。

 とは言え、彼はただ遊びに来ているだけではなかった。慎はいつまでも杉浦が姿を現さないことを、とても心配していた。だから、自分の立場を利用してたくさんのことを調べてくれていたのだ。お店に来るのは、それを美雪に報告するためだった。

 杉浦の細かいスケジュールはもちろんのこと、彼がどこでレコーディングをしているのか、どういうスケジュールで行動しているのか、美雪はほとんど全部を知っていた。これで行動に移したら杉浦の追っかけができるのではないか、というくらいに。

 ……だけど。

 怖くて、行けなかった。

 杉浦に会うのが、怖かった。

 今、杉浦と会って、どんなことを言えばいいのかわからなかったし、そもそも、どんな理由をつけて会いに行けばいいのか、わからなかった。

 そう言うと、慎は『好きな人に会いに行くのに理由なんか必要ないんじゃない?』と笑っていた。けれど、空白の時間を埋めるためには、何かしらの理由が必要だった。なけなしの勇気を奮い起こすための、理由が。

 本当は、わかっている。

 理由など、本当は要らないのだ。会いたいと思っている自分の気持ちを、理屈で誤魔化しているだけだ。

 ただ、杉浦に会うことで全部が終わってしまうような気がして、待っていることが無駄だったことになるのが嫌で、自分に言い訳しているだけだった。

 美雪は今でも杉浦のことが好きで、杉浦も同じ気持ちでいてくれるのなら、何も問題はない。

 でも、絶対にそうだという保証は、どこにもなくて。

 会いたいけど会いたくない。知りたいけど知りたくない。

 ふたつの気持ちを持て余しながら、美雪は、日々を過ごしている。

 そんな時。

 慎が、美雪に電話をかけてきた。

 いつもだったらかけてくる事のない、深夜に近い時間帯に鳴った携帯電話。ディスプレイの発信通知に、美雪は珍しいと思いながらも電話をとった。

「……もしもし?」

「あ、水原です。久我さん、でいいよね?」

 いつもよりも、高いトーン。少し興奮気味に聞こえる、忙しない息遣い。

けれど、慎の電話はいつだって紳士的だ。携帯電話なのだから、基本的に美雪以外が出ることなんてありえない。だというのに、彼はいつも必ず名前を名乗って、美雪のことを確認する。

「そうですよ。携帯なんだし、着信が誰だかわかりますから、すぐに用件を言っていただいても大丈夫ですよ。いつも言っているのに」

「でもさぁ、万が一間違えていたら、変な間違い電話になるし。しかも、真夜中に近いよ、今。俺だったら怒るよ、そんな電話。いくら何でも、知らない人に怒鳴られたら嫌だから」

 まあ、それはそうかもしれない、と、美雪も苦笑する。

 覚えているつもりでも、違う番号を押しているかもしれない。間違えて、違う履歴を呼び出しているかもしれない。そういうことが、絶対にありえないとは言いきれなかった。

「あの、こんな時間に何か? 緊急連絡ですか?」

 多忙な慎は、普通の生活をしている美雪たちとは、生活時間帯が合わないことが多い。だから、やたらと電話して来ることは少ない。

 たまに、かなりどうでもいいことで電話して来ることもあるけれど(「新曲聞いてくれた?」とか)、それでも、美雪に合わせた普通の時間帯で、だ。こんなふうに、真夜中に近い時間に、慎からの電話が来るなんて初めてのことだった。

 だから、緊急連絡なのでは、と、そう思った。

 そんなの、あるのだろうか? なんて、最初は思ったのだけど。

「んー、緊急かな。あのね、久我さんに一秒でも早く伝えたいことがあったから。本当は、直接会って言った方がいいかなって思ったんだけど、しばらくスケジュールがぎっちり詰まっていてね。時間が取れそうもないんだ。だから、電話でって思ったんだけど、それもなかなかうまく行かなくてさ。さっき撮影がようやく終わって、解放されたんだ。で、早速電話しているって状況」

「……相変わらず、忙しそうですねぇ。撮影って、時期的に雑誌のですよね。いつ発売のですか?」

「えーっと、来月? たぶん。いや、俺のことじゃなくて。俺が話したいのは、別のことなんだよね」 

 と、慎はそこで一呼吸おいた。

 その言葉に、どきりとした。

 その一瞬の沈黙の間に、美雪は頭の中で目まぐるしくいろいろなことを考えた。

 でも、いくら考えても思いつくことはたったひとつ。

 杉浦のこと。

 慎が一秒でも早く美雪に伝えたいことなんて、そのことしか考えられなかった。

「……杉浦のことなんだけど」

「はい」

 自分の予想が外れていなかったことに、半分ほっとして、半分どきどきしている。

 聞きたいような、聞きたくないような、複雑な気持ちで。

 慎が何を言いたいのか見当もつかなかったけれど、今の状況を変えることになるのは間違いないと、そう思えて。

「今日、あいつと会ったんだ」

「……え?」

 聞き返す美雪の声に重ねるように、慎は先を続けた。

「俺のツアーが始まるよね。それで、今日からスタジオでリハーサルに入ったんだ。そうしたら、隣のスタジオでTURBOのリハをやっていたんだよ。あいつがいるかいないかどうかはよくわからなかったけど、TURBOは知らない仲じゃないしさ。俺個人の好き嫌いはともかく、無視もどうかと思って挨拶がてら覗いたら、いたんだ。あいつ、めちゃくちゃ元気だったよ。かなりの勢いで怒鳴り散らしていてさ。あんなプロデューサー、俺だったらお断りだよ。なーんか全然変わっていなくて、逆に力が抜けたね。少しは成長していることを、期待していたんだけど」

「あの、杉浦さんとは話せたんですか?」

「うん、話した。落ち着いて、怒鳴らずに話せたよ。あいつと喧嘩腰じゃなく話したのって、思えば久しぶりの体験でね、ちょっと感動もした。それで、今の連絡先を教えてくれって言ったら、二つ返事で教えてくれたんだ。君のことは何も言っていなかったんだけど、とりあえず知らせておいた方がいいと思って。今のあいつの携帯番号、言うからメモして」

 慎がゆっくりと繰り返す電話番号。それを聞き漏らさないようにして、美雪は焦って書き取った。

 心臓が、どきどきしている。

 思いもかけなかった展開に、ついて行けない自分を冷静に見ている自分がいる。

 だけど、思うことはたったひとつ。

 杉浦に会いたい。杉浦の声を聞きたい。

 美雪の中に息づく、彼への想い。それは、一気に溢れ出そうとしていた。

 ずっと、好きでいたかった。杉浦自身に戻って来る気がなかったとしても、美雪は杉浦のことを好きでいたかった。

 それはとても勇気の要ることで、美雪は、何度も挫けそうになって、そのたびに誰かに励まされてここまでの時間を過ごして来たのだ。 

 それは、時には慎の歌うラブ・ソングだったり、杉浦の作るダンス・ナンバーだったり、恵梨や鈴子との他愛無いお喋りだったりしたけれど。

 全部、美雪の宝物だった。

「知っているとは思うけど、あいつ、最近、更にいろんな所で注目されているじゃない。もう、気の早いファンがついているらしくて、スタジオから出たら追っかけが待ってるんだよ、あいつのこと。俺の追っかけかと思って身構えたけど、全然反応なしでさ。拍子抜けした」

 やたらと愉快そうに話す慎の声が、どこか遠い世界のことのように聞こえていた。白い紙の上で踊る数字の羅列が、現実とは程遠いもののように思えて来るのを、止められない。

 だけど、現実にこの番号は杉浦へと繋がっているのだろう。今更、慎に嘘を教えるくらいだったら、最初から話に応じたりはしないはずだから。

「今から、かけてみればいいよ」

 誘うような慎の声が、美雪を現実の世界へ引き戻した。

「……え、今から?」

「そう。まだ寝てないと思うよ。俺よりもスタジオを出たのは遅かったはずだから。もしも繋がらないようだったら、留守番電話にでもメッセージを入れておけばいいんじゃない? いくら何でも留守電には繋がるだろうし。それに、今までのあいつの迷惑行為に比べれば、深夜の電話ぐらい許されると思うよ。第一、君にはその権利があるんだから」

 慎は、何度こうして励ましてくれただろう。

 実際に面と向かって言葉にすることはなくても、歌詞に込められたメッセージには、慎の歌を聴く全ての人が美雪と同じように励まされているんだと、そう信じている。

「……ありがと、水原さん」

「その言葉は、俺から杉浦に言いたい言葉だな。電話したら、杉浦に伝えておいてよ。俺がありがとうって言っていたって。何かね、今日はあれだけ話せてすごく嬉しかったんだ。連絡先も聞くことができたし、昔に戻ったような気がしている。あ、それと、もうひとつ伝言。数日中に正式なオファーが行くと思うけど、もう一度俺と組んでみようってこと、伝えて。スタジオで再会したのが運の尽きだってこと、覚悟しているんだろうなって」

 くすくすと笑いながらそう言って、慎は電話を切った。

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