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 公式な場できちんと言ったことはないんだけどね、と、慎は前置きして、話を始めた。

 慎と杉浦とは、中学の時からの同級生だったという。最初の頃は、何も考えていなくて、ただ、つるんでいるだけの仲間だった。それが変わったのは、音楽に憧れ始めた頃から、なのだろう。

 いつの間にか、二人でやっていることが当たり前のようになっていた。それ以外のメンバーがいたとしても、二人の絆が消えてしまうことなんて、考えもしなかったのだ。

 杉浦の音があって、慎が歌っていることが、とても自然だった。最初の頃はへたくそで、今になって聴くと、顔から火が出そうなくらいの代物だった。けれど、その時はその時なりに真剣だったのだ。

 けれど、絶対にやり遂げてやろうっていう気合だけは誰よりも強かった。信じていた、と言い換えることもできるだろう。《BE》でなら、夢を現実にすることができるってことを、自分たちが闇雲に信じていた。

 実際、そうなるはずだった。《BE》は、大手のプロダクションが主催したオーディションの全国大会で優勝した。その副賞として、デビューも決まっていた。

 デビューしたからと言って、成功するとは限らない。それでも、確信していた。たとえ何年かかったとしても、絶対にトップを取れる、と。

 だが、全ては一瞬で終わった。高校の卒業式を控えた時に、忘れたくても忘れない事故が、起きたのだ。

 そこまで話した慎は、悔しそうに唇を噛んだ。

「杉浦が、悪かったわけじゃない。誰が悪いとか、たぶん、根本的なことはそんなんじゃないんだ」

 それは、よくある事故だった。

 誰でも一度くらいは、その手の事故の話を聞いたことがあるのかもしれない。その当事者になることはなくても、ありえる話だと誰もが納得する事故。

 卒業式シーズンで浮かれて、取ったばかりの免許と車ではしゃいだ。よくある高校生の、バカ騒ぎの顛末。それに巻き込まれて、杉浦は大怪我を負った。卒業式に、彼は来ることはできなかった。

 そんなことが原因で、ぎくしゃくするほどの関係だったとは思わなかった。だが、杉浦は、事故以来ギターを弾くのをやめてしまった。弾けないはずがないと何度も言ったのに、彼はどうしてか頑なだった。

 そして、《BE》のデビューは白紙撤回になった。ギタリスト不在のバンドなんて、見てくれとしてはあまり見映えのするものではなく、必要ないと言われてしまったからだ。

 だが、その後の展開は慎の想像の範疇を超えた。事務所は、慎一人であれば、ソロとしてデビューさせてもいいと言って来たのだ。他のメンバーへの連絡はなく、慎一人だけに、こっそりと。

 それは、ずっと一緒にやって来たメンバーを、裏切ることにも等しい。迷った末に、慎は卒業後、東京へ出て来た。たとえ一人でも、デビューすると決めた。与えられたチャンスを、無駄にしたくなかったからだ。

 当然、後ろめたくてたまらなかった。《BE》のメンバーには、連絡することもできなかった。杉浦が一年後に東京の大学に進学したということは人づてに聞いて知っていたけれど、裏切りを詰られるのが怖くて連絡する勇気はなかった。

 どんなに言葉を飾っても、慎は杉浦を、そして《BE》を裏切ったことに変わりはない。どういう顔で会って、そして、何を言ったらいいかもわからなかった。

 杉浦と再会したのは、今年に入ってからのことだった。

 スタジオでの、思いもかけない再会だった。

 TURBOのことは、彼らが出て来た時から気にはなっていた存在だった。それでも、まさか、杉浦がプロデュースしているとは、思ってもみなかった。だが、思い返してみれば、それは予感めいた確信からの感情だったのかもしれない。

 たまたまスタジオが重なって、そこでばったりと鉢合わせた。杉浦も驚いていたが、本当に驚いたのは、むしろ慎の方だった。杉浦の方は、この世界に入った時から慎に会うかもしれない可能性に感づいていたかもしれないけれど、慎は正に不意打ちだったからだ。

 それでも、嬉しかった。

 杉浦は、まだ音楽を捨てていないということが、その再会でわかったからだ。どういう形であれ、杉浦は今の音楽シーンに関わっている。慎と無関係の場所で生きているわけではないということを、知ることができたからだった。

 だから、声をかけた。我ながら卑怯だとは思ったけど、興信所に頼んでいろいろなことを調べてもらったうえで、それでも杉浦と組みたいと思ったから。

 だが、杉浦の返事は拒絶だった。

 杉浦が、欲しい。杉浦の音が、欲しい。それは、切望だった。渇望だった。今の慎の音楽に欠けているものは、杉浦のギターだ。今、現状でお世話になっているギタリストに文句や不満があるわけではない。だが、彼は杉浦ではない。それだけのことだった。

 もう無理かもしれないと、思う。それでも、諦めたくなかった。慎が杉浦の音を必要としていることを、杉浦自身に理解してもらいたかった。

 そして、いずれは自分のためにギターを弾いて欲しい。それが、ただひとつの願いだった。

「それとね、久我さん」

 と、慎は穏やかな笑みを浮かべた。

「今更、気休めにしかならないかもしれないけど、ひとつだけ信じていることがある。杉浦は、きっと君の所に帰って来ると思うよ。だから、待ってて。俺が、昔、待てなかった分まで、君が待っていて欲しいんだ。無理なことを言っているのかもしれないけど」

 何だか、泣いてしまいそうだった。

 慎の話す杉浦への想いが、美雪の心の中へと忍び込んで来る。それは、美雪自身の想いと重なって、とても切ない気持ちになった。

 杉浦は、慎のこの気持ちを受け取ってくれるだろうか。

 こんなにも想ってくれている人を、裏切ることができるのだろうか。

 車の中に流れる曲は、しっとりとしたバラードに変わっていた。今の慎よりも少し子供っぽさを残す歌い方が、胸に切ないメロディーを紡ぐ。

 これが、《BE》の曲なのだ。杉浦や慎が、追い求めていたはずの音。いつの間にか見失って行った、ただひとつの夢。

「この頃は、無敵だった。今思うと、本当に。未来は無限にあるって信じていた。今でも信じていないわけじゃないけど、この頃とは違う。ただ夢中で音楽を追っていただけの頃とは、別世界に来ていることが自分でもわかっているから。でも、捨てられない。逃げられない。それを望むつもりもない。だって、俺たちは音に魅入られているんだ。だけど、時々戻りたくなるんだ。まるで昨日のことのように昔を思い出す時があって、そういう時は、やたらと戻りたいって思う。絶対に戻れないってわかっていてもね……」

 彼がつぶやくその言葉の裏には、表面的なものだけではなく、いろいろな想いが込められているような気がした。

 そして、思い出す。

 ライブの最中に客席を大きく見渡して行く、慎の切ない眼差しを。

 誰かを探しているような眼差し。それは、単なる演出の一部にしか過ぎないのだと思っていた。けれど、あれは本当に慎が誰かを探しているのかもしれない。

 それは、杉浦であり、慎が大切にしていた想い出の中の誰かなんだろう。

 その視線の本当の意味を美雪が知ることは、きっとないだろう。でも、彼にとって、それはとても大切なことなのだとしたら、その部分も含めた彼のことが好きで、美雪のようなファンはライブを見に行くに違いなかった。

 そして、美雪は見たこともない《BE》のライブを思う。慎がいて、杉浦がいたステージ。切ないほどに甘く流れるギターの音は、美雪が見たことがないはずのライブ空間を見せてくれるような、そんな気がした。

 この音を、ライブで聴きたい。

 杉浦のギターで歌う慎を、この目で見たい。

 そう、切実に思った。

 杉浦は、慎と道を分けた後にどんな生活をして来たのだろう。デビューのチャンスを失くして、一人で東京に出て来て、そこで何を思って過ごして来たのだろう。

 それでも音楽を捨てられなくて、最初の目的とは違った場所で音楽を作り始めた自分に、何を求めていたのだろう。

「……あの、でも、《WING》ってのは……?」

「《WING》は、杉浦が大学の時に組んだバンドの名前だよ。俺も、詳しくは知らないけどね。ボーカルのトモが事故死して、それで活動休止になったって聞いてる。ライブを一度もやることなくね。その時のメンバーの一人が、五十嵐恵梨。ボーカルだった森沢智弘は、彼女の従兄弟だ」

 ああ、そうか。

 それで、恵梨が言っていたのだと、納得する。

 杉浦のこと。「私が一番大切にしていた人の、一番大切な友だち」だ、と。

 美雪は、杉浦のことを知りたいとずっと思っていた。

 でも、知らなくても彼を好きになることはできる。好きでいることもできる。

 きっと、これからも。

 美雪は、杉浦のことを好きでいられる。そう、信じられる気がした。

「……久我さん。《BE》は気に入ってくれた? もし気に入ってくれたなら、これはあげるから。家に帰ってからゆっくり聞いてみて」

 慎はそう言いながら音楽を止めると、プレイヤーからCDを取り出してケースにしまって、それを美雪に渡した。

「感想、聞いてもいい?」

 悪戯っ子みたいに笑って、少し不安げな光で俺を覗き込むその瞳。そこに、いつまでも子供のように夢を追い続けようとする輝きが見えた。

「ライブが見たくなりました。いつか、見せて下さい」

 それは、《BE》の曲を聞いた美雪の、一番素直な言葉だったのだと思う。

 慎は美雪の言葉を聞いて、すごく嬉しそうな顔でにっこりと笑った。

「それね、最高の褒め言葉だよ。杉浦にも言ってやって欲しいね。もしかしたら、君の言うことなら素直に聞くかもしれないし」

 わずかな溜め息を言葉の隙間に割り込ませて、慎は少し遠くを見つめていた。見ているのは窓の外だったけれど、彼が追っていたのは、きっともっと違うものだ。

「……今度のツアーね、最終は東京なんだけど、来てくれるかな?」

 ふと思い出したように、慎は口にした。

「行きますよ。チケットが取れているかどうかは、まだわからないけど」

「……何、それ」

 きょとんとして聞き返す慎が、妙におかしかった。

 この人、自分の人気のものすごさを、ひょっとしたらわかっていないのかもしれない。

 だから、美雪は慌てて付け加えた。

「知らないんですか? 慎のライブのチケットって、手に入らないので有名なんですよ。ファンクラブ会員でも買えないことだってあるし、ネットオークションなんか見たら、安くても数万円はするんですから。もちろん、そんな手は使わないけど、プラチナチケットだから、手に入ったら行くってことでいいですか?」

「……そうなんだ?」 

 知らなかったなー、なんて、呑気に言って、慎は首を傾げている。

 それを横目で見ながら、美雪はドアを開けて、外に出ようとした。

「……あ、待ってよ。このまま送るよ」

「いえ、いいです。私の家、ホントにすぐ近くですから」

 慎の申し出を断って、美雪は慌ててお辞儀をした。

「……じゃあ、また今度」

「今度って……。次に会う時は、ただのファンとミュージシャンですよ」

 美雪がそう言うと、慎はちょっと寂しそうな顔になって苦笑した。

「でも、君は杉浦の恋人なんだろ。なら、俺は君に声をかけるよ。君が嫌だって言ってもね。そのうち、バックステージパスを送りつけてあげるから、待ってて」

 やたらと断定的な台詞を残して、慎は車をスタートさせた。一人取り残された美雪は、自分の家の方へと歩き出しながら思い返す。

 慎と杉浦はすごくいいコンビだと、思ったのだ。

 だから、いつか二人の音が聞けることを期待してしまうのは、間違いではないと思う。そんな気が、した。

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