第06話 冬支度
森の木々に斧を打ち付ける音が、凍える空気に染み渡るように響き渡っている。
薪を抱える者、食料を村の保管庫に詰め込む者、家屋の隙間を板で塞ぐ者。
数日前から舞い始めた雪に急かされるように、村人たちは冬支度の最後の準備を急いでいた。
もちろん、それはソアラたちも例外ではない。
レミィは村人や灯台守の手を借り、今日も薪の確保にせわしなく動いている。
「私も何か手伝えない?」
そう申し出るも、レミィは『お嬢様に斧を持たせるなんて!』とにべもなく、村人たちや灯台守にしても同様だった。
かといって、こんな寒村の冬支度の経験がないソアラに、考えて動けというのは無理な話。
聞けども返ってくるのは慮る言葉ばかり。
結局は傍で彼女たちの様子を見ていることしかできなかった。
(居た堪れない……)
やがて、忙しなく動く彼らの姿を見るうちにそんな気持ちを抱き、ソアラは気付けば逃げるように村外れまで歩いてきていた。
村の北側に位置する灯台から吹く、身を切るような冷たい風を背に受け、左手の森からは斧のリズム、正面の牧草地からはいつも聞こえてきていた牧歌。ソアラが興味を引かれたのは牧歌の方。
(……そういえばこの歌、誰が歌ってるんだろう?)
そんな風に、一度気になれば心がむず痒くなってくるもの。
手持ち無沙汰も幸いし、ソアラは心の疼きに従って牧草地へと足を進めていった。
岩肌の目立つ、牧草地と名ばかりの荒地に流れる牧歌。
正直、ソアラにとっては心惹かれるものでも、上手いと唸るようなものでもない。
本当に、手持ち無沙汰な心の隙間に入り込んだ素朴な音の波。
肩を寄せ合い、メェ~メェ~と声をあげながら草をついばむ羊の群れの間に、さざなみのように広がっていく懐かしさを感じさせる響き。
歌っているのは少年。
愛らしくもどこか哀愁を感じさせる羊たちを監視する、羊飼いの少年。
彼は、数十頭の羊の動向を視界に捉えながら、同時に周囲の変化へも気を配っている。
その振る舞いは、ソアラの幾つも年下に見える身体つきであっても、一端の羊飼いのそれだった。
当然、彼は近付いてくるソアラの姿にも気が付いた様子で、その姿を認めると、牧歌を歌うことをやめてしまった。
近寄ればその顔は耳まで真っ赤で、まるで気付いていないように羊たちを見つめるていを装いながら、時折ちらちらと窺うようにソアラに視線を投げている。
「こんにちは」
大きな岩の上に座っていた彼の身体がびくりと跳ね、音が鳴りそうなぎこちなさでその首がソアラの方へと向く。
「こ……こんにちは」
「お仕事のお邪魔だったかしら?」
「だ、大丈夫……です。お姫さま」
田舎の羊飼いというイメージそのままの、純朴で素直そうな少年の初々しい振る舞いよりも、ソアラは自分に対する呼称に首を傾げた。
「お姫さま?」
「父ちゃんが……キミを灯台のお姫さまって……」
少年の視線が、髪や顔、そしてソアラの服をなぞっていく。
「ふふふっ、私はお姫さまなんかじゃないわ」
「えっ……でも、すごく綺麗で……」
「あら、ありがとう。でも今はもう……本当に、今の私は何なのかな?」
ソアラの呟きに、今度は少年が首を傾げる番だった。
小さく傾ぐ首と、強い光を放つ瞳。
少年は何かを決心したように、腹に力の入った大きな声をあげた。
「キャビィっていうんだ!」
「え?」
「ボクの名前、キャビィ。だから……」
「え、あぁ。私の名前はソアラよ。よろしくね、キャビィ」
「うん、よろしく! ほらソアラ、こっちに来て座りなよ」
少年の――キャビィの表情は、ソアラの応答にぱっと輝いた。
華やぐ雰囲気のまま、キャビィは自分の座る隣を叩き、岩の上からソアラに向けて手を伸ばす。
「大丈夫、ちゃんと引っ張るから。ほら」
何の打算も、何の下心も感じない宝石のような青く澄んだ瞳。
子ども心の、そんなあけっぴろげな好意に逡巡する必要もなく、ソアラはその手を取る。
まだ小さな手。だけど、子どもらしくない硬い掌。
腕の力は、その小さな身体の見た目に反して力強く、引っ張り上げられたソアラの身体は、まるで滑るように岩面を駆け登った。
「座って座って」
引っ張り上げられ、抱き留められたソアラは、そのままキャビィの隣へと座らせられる。
腰を下ろした岩肌は氷のように冷たかったが、ソアラが努めて平静を装ったのは、悲鳴をあげることがキャビィの純粋な好意を無下にするようにも思えたからだった。
「ほら、こうして座って羊たちを眺めていたら、嫌なことなんて忘れられるよ」
羊の群れを指し示すキャビィに、群れの中央、一頭の羊がソアラたちの方に向けて顔を上げた。
『メェ~』
真剣に。
まるでそうだと言わんばかりの一鳴き。
それに合わせるように、周囲の羊たちも一斉に顔を上げた。
『メェ~、メェ~、メェ~!』
「ぷっ――ふふふ、あははは」
まるで示し合わせたかのようなその行動に、ソアラの笑い袋の緒は簡単に切れる。
キャビィはそれを見て最初は驚いた様子だったが、やがてソアラに合わせるように笑いだした。
「ソアラもそんな風に笑うんだね」
ひとしきり笑った後そんな言葉を口にするキャビィに、ソアラは尋ねる。
「どういう意味?」
「父ちゃんからお姫さまって聞いてたし、さっき初めて見たとき、歩き方とか、雰囲気とか、服とか、本当にお姫さまなんだなって思ったんだ」
「え、そんな――」
いい服じゃない、と言いかけたソアラの言葉は、キャビィの着ている粗末な服に目が行った瞬間、喉の奥に消えていった。
「でもほら、そんなふうに笑ってるのは、ウチの妹と同じ。普通の女の子だなって」
「普通の女の子……」
「そう、普通の女の子だよ」
ソアラは羊の姿を見つめる。
決して豊富ではない牧草地の草を、奪い合うでもない姿。
身体を寄せ合い、寒さを凌いで体温を分け合う姿。
「そう……よね」
ソアラの耳に、いつの間にか歌詞もメロディも定まらない鼻歌が聞こえてきていた。
キャビィは羊たちの様子を見ながら、どこか機嫌よさそうだ。
「――あっ!」
一頭の羊が、足元の不確かな岩場の方へと牧草を求めて群れから離れていく。
キャビィはすぐさま岩を飛び降りると、その一頭の行く手を阻み、手際よく群れの元へと誘導する。
その様はまるで――
「ふふふ、牧羊犬みたい」
そう小さく笑うソアラは、自分の身体が、途切れた鼻歌を惜しむように揺れている事に気付いていなかった。




