第10話 2年後
【~La~La~La~LaLaLaLa~ふんふんふふん~】
前世で耳にした、名前も思い出せない歌。
歌詞さえあやふやなその歌のリズムに乗りながら、ソアラは軽やかに灯台の螺旋階段を駆け降りる。
灯台の中で幾重にも反響した歌声は、思いがけないほど大きな響きとなり、まるでラッパを吹き鳴らすかのように、灯台の外へとあふれ出ていた。
歌が無明を退けるように霧は晴れ、灯台の外へ出たソアラの目の前には、爽やかな光が降り注ぐ村の景色が広がっていた。
【ふんふ~ん、ふふふ~ん】
すでに鼻歌には歌詞の影も形もなく、ただリズムだけを刻みながら、身体を上下に揺らして村はずれの牧草地へと向かう。
霧が晴れたためだろう。
家々からは、村人たちが作業のために顔を覗かせ始めている。
牧草地ではちょうど、キャビィが小屋から羊たちをせっせと出している姿を見つけることができた。
「メェ~」
初めは各々好きな方向に駆ける羊たちだったが、その耳にソアラの鼻歌が聞こえると急転回、一斉にソアラの方へ向けて走り出した。
「「「メェ~」」」
「うぇ!? ちょ、ちょっと――」
喜声を上げ、迫りくる白いモコモコの波。
かつてなら飲み込まれていただろう、その迫力と勢いをヒラリと軽やかに躱し、そのうえで群れの横で注意を引くように再び鼻歌を歌い出す。
「ソアラ、こっちにお願い!」
その様子に、少し離れた位置でキャビィは笑いながら手を上げている。
この村で出会って早二年。
キャビィの体つきは、男性だということを感じさせるものへと、少しずつ変化していた。
二年前には見下ろしていた背丈はほぼ並んでおり、元より敵わなかった腕力は、既に大人顔負けの力強さ。
だが、無垢な笑顔は未だ陰ることなく、太陽のように眩しくソアラを照らしていた。
「おはよう、ソアラ。手伝ってくれてありがとう」
「ふふふっ、どういたしまして」
羊の頭数は数えきれないほどのものではないが、岩場の目立つこの村の立地から、牧草地も無遠慮に使えるものでもない。
キャビィの指定した今日の食事場へ羊たちを誘うと、羊たちは一定の間隔を保ちながら、地面へと視線を落とした。
その様子を確認すると、キャビィはいつものように近くの岩の上に駆け登り、ソアラへと手を伸ばした。
「今日の歌はまた、随分と速かったね。こんな速い歌、初めて聞いたよ」
「あら、キャビィの耳には合わなかったかしら?」
悪戯っぽく笑いながら手を取るソアラ。
その身体を、キャビィはまるで重さを感じさせないように簡単に引っ張り上げる。
「耳に合わないなんて、とんでもない。ソアラの歌う歌ならなんでも好きだよ」
「えーっ、それ、答えになってないよ」
岩の上に並んで座り、談笑を交わす二人。
ソアラは、変わらない友人の横顔を見ながら、あることに気付いた。
昔も同じように軽口を交わしてはいたが、その表情にはどこか緊張感があった。
だが、今はその表情に余裕が感じられる。
トラブルが発生しても対処できるという、経験から来る自信の表れなのだろう。
そんな友人の成長が何故か頼もしく感じられ、ソアラの口元に小さな笑みが浮かんだ。
(キャビィも……男の子、だね)
「ん……どうした?」
「何でもないですよーだ」
「? なんだよ、変なヤツだな?」
「ふふっ、それはお互い様よ」
降り注ぐ陽光と頬を撫でる風が、染み入るように心地よかった。
「それより……そろそろ毛刈りの時期じゃない? 今年は私にも手伝わせてくれるって言ってたよね」
「ああ、今日明日くらいに商人が買取袋を持って行商に来るだろうから、それからかな」
「私抜きで始めないでよね」
「分かってるよ――それより、ソアラ。あれ、誰だか分かるか?」
手を握りながら念押しするソアラに、キャビィは少し頬を染めながらそっぽを向いて応え……そして、視線の先に誰かの姿を見つけた。
牧草地の隅に座り込み、何かを広げ、手を動かしているその姿は――
「画家……かしら?」
「ソアラ、『ガカ』ってなんだ?」
「えっ……あ、そうね。絵を描いてお金を稼いでいる人、かな?」
「んー、よく分からん」
外界とあまり交流の無い寒村に生まれ育ったキャビィだ。
小さい頃から働くことが当たり前で、歌って踊ることくらいしか娯楽の無い彼にとって、絵を描いて生活の糧を得るという存在は理解の外なのだろう。
いくつか例えを交えながら説明しても、首を捻るばかりだった。
そんなソアラとキャビィの様子に興味を惹かれたのか、画家らしき男は立ち上がり、気安く二人に近付いてきた。
「こんにちは、お二人さん。しきりに首を傾げておられますが、そちらの男性、どうかされましたか?」
「こんにちは。不躾で申し訳ありませんが、画家の方とお見受けしますが……」
炭で汚れた手、肩掛けのカバンから突き出ている羊皮紙の束、仕立ての良い服。道楽かどうかは分からないが、ちゃんとした財力を背景に、生業として画家をやっているとみて間違いなさそうな人物。
岩から降りたソアラに、彼は、別段気を悪くする様子もなく応えた。
「ええ、そうですよ。よくご存じですね、お嬢さん」
「ソアラと申します。彼……キャビィが、画家という職に明るくなかったため、教えていたのですが……」
「中央から離れた土地の方にはよくある事です。むしろ逆に、ソアラさん、貴女の博識さに私は驚きますよ」
「いえいえ、そんな……それより、何を描いてらしたのですか?」
画家の男はソアラに応えるように、手元の羊皮紙を広げてみせる。
そこには、羊の前で笑うソアラとキャビィの姿が、木炭でスケッチされていた。
「ほら、キャビィ見て! これが画家のお仕事よ!」
「えっ……えっ、えっ……」
キャビィの視線が、ソアラの顔とスケッチを忙しなく行き交う。
そして――
「す、ごい……」
ぽつりと漏れた言葉に、画家は嬉しそうに笑った。
「まだ下絵ですがね。しばらくこの村に滞在しますし、完成したらお二人にもお見せしますよ」
「「本当ですか!?」」
重なったソアラとキャビィの声に、画家は再び笑う。
「君たちの姿があまりにも温かなものだったので、思わず勝手にモデルにさせてもらったお詫びでもあるからね。
ここは本当に、穏やかでいい村だ。
きっとまだまだ画になりそうな素敵な光景に出会えそうだよ」
画家のその言葉に、ソアラは大きく深く頷くのだった。




