(47) 大好物
王国の物流を支える大動脈である「王の道」
それは王都を起点に四方へと延びる石と魔法で舗装された幹線道路である。
その王道を、一行はフードリア公爵領に向けて進んでいる。
行列の先頭には女傑バーミヤの乗る豪華な馬車が。そしてその馬車を警護する騎士たちがいる。
その騎士たちに混じり、二人の護衛剣士の姿があった。
すなわち。大陸最強とも称される剣聖その人と、その門下随一の俊英カカズチである。
なお、この老剣聖の姿は騎士たちの熱い視線を集めていたりする。
なにしろ剣聖とは武の頂点にして生ける神話なのだ。
だから同じ武の道に生きる者として、騎士たちの目は剣聖の一挙手一投足をどうしても追ってしまうのだ。
その剣聖は片時も油断することなく、鋭い眼光を後方に放っていた。
そう、後方に。
剣聖は公爵家の馬車のみならず、行列の最後方までくまなく目を配っていたのだ。
まるで騎士たちが剣聖をチラチラと見るように、剣聖もまた最後方をチラチラと気にしている様子であったのだ。
「爺様、後ばかり見すぎです!」
昼刻。
小休止で隊列が停止した折に、カカズチはついにその不満を口にしたのだ。
「せめて任務中は仕事に集中してください!」
「まあカカズチよ、初日からそのように張り詰めていては保たぬぞ。ホレ、干し芋でも食わぬか」
「なッ」
それにカカズチは絶句してしまった。
そして思わず咄嗟にこの祖父から顔を背けてしまったのだ。
祖父剣聖のその不器用な笑顔に、懐からおずおずと食べ物を差し出す仕草に動揺してしまったのだ。
なぜならば、それはカカズチが初めて見る祖父の顔であったからだ。
武の道の頂点たる剣聖の顔ではなく、まるで孫に接するただのお爺ちゃんの顔であったからだ。
「くそ、あの男のせいか」
(弟子だかなんだか知らんけど、この人も女の子なんだからもっと優しくしてやれよな)
「あの男が爺様にあんなことを言うものだから……」
それが無性に腹立たしくて、なのにくすぐったさに頬が緩んでしまって。
それだからカカズチもまた不器用に。
「じ、爺様、それではひとつ頂きますか」
顔を背けたまま、おずおずと手だけを伸ばしてみたのだ。
しかし。
「え」
いつの間にか祖父の姿が消えているではないか。
「いいから、爺さんはこっちに来るなってば」
「そんな、休憩の時間くらいはよいではないですか」
あちら側が、行列の最後方が騒がしい。
そこにはボロ鎧のチンピラと幼女の姿と。
「ポポラマ殿よ、ポポラマ殿もホラ、干し芋でも食べませぬか」
まるで食べ物で孫のご機嫌を取ろうとするような、我が祖父の姿があったのだ。
ギリ。ギリギリギリ……。
「ぬ、ぬぬぬ、今はダメだ、今はまだ要人警護の任務中だから……。しかし、だがしかし」
この日の夕刻には最初の宿場町に到着するのだ。
そこで本日の任務はひとまず終わり、翌日までは各自の自由時間となるのだ。
だから、だから。
「その時には、その時こそは、アヤツをば、あの男をば」
カカズチはその腰の愛剣をギュッと握り、決意を固めていた。
「ふう、ふう、ふう、待っておれよ、叩き斬ってやるからな、必ずや成敗してやるからな、この剣で真っ二つにしてやるからな!」
「わわわ、泣かないでくだされッ。ポポラマ殿よ、どうか泣かないでくだされええぇッ」
◇◆◇◆◇
「えーと、その、バーミヤ様、ご配慮痛み入ります」
「うふふふ。どうかお気になさらず、殿下」
その馬車の中でバーミヤは艶然と笑みを見せて。
「殿下を歩かせ私が車中というわけには参りませぬもの。それに城外市とは違い、人の目もありますものねぇ」
バーミヤの言う「人の目」とは貴族や騎士や高位聖職者や大商人らのことである。
つまり王宮に招かれて、かつての第二王子オータニウスを見たことのある者たちのことである。
貧しい庶民しかいない城外市とは異なり、街道や宿場町にはどこに「人の目」があるか分からないのだ。
この一行の中に、行方不明の第二王子が紛れていることがバレてしまう恐れがあったのだ。
よってそれを危惧したバーミヤによって、竜兵はこの馬車の中へと引込まれたのである。
つまり先程の小休止の折に。
「ガタナー商会のリューへーなる者はおるか。先公妃様が道中の話し相手に所望しておられる。着いてまいれ」と、やや強引に馬車に同乗させられたのである。
もちろんこれにはガタナー商会の女性従業員らも大いにザワついて。
「さすがはお貴族様、お歳を召されていてもやる事がエゲツないわね……」「リューへー君がかわいそうだわ……」「ああ、これからあの馬車の中ではあんな事やこんな事をされるのね……」「公爵夫人はいたいけな美少年が好物……ジュルリ」
それで現在。
この馬車の中には三人きりである。
すなわち広い車中には竜兵、バーミヤ、若い侍女の三人きりであった。
「この者のことは殿下もご存知ですわね」
竜兵に深々と頭を下げた侍女を指して。
「殿下のご正体について極力伏せておきたいゆえ、世話係の者を変えたのですよ。殿下もどうか道中のことはこの者にお申しつけください」
そう。彼女こそはサイゼリーナとともに、竜兵の正体を知っていた人物だったのだ。
その侍女に向けて竜兵は。
「ではどうかよろしくお願いしますね」
王子にしてはやけに深く長く、その頭を下げたのだった。
それに傍らのバーミヤは眉を顰めたものの、少なくとも当人に対しては。
『ボクの兄様がいつもご迷惑をお掛けしてすみません!』の意図は十分に伝わったはずである。
「ごほん。つまりこれで現在、殿下のご正体を知る者はここにいる三人のみということに……あらあら、いけないッ」
そう。
すっかり失念してが、この一行には「人の目」がもう一人残っていたのだ。
すなわち。かつて王宮に招かれ、第二王子オータニウスの姿を見たであろう者が。
そう。この朝になって急遽予定を変え、このフードリアの一行に加わった者がいたではないか。
しかし。
「ああバーミヤ様。剣聖様への口止めならば不要ですよ」
「!」
目の前の第二王子がサラリと言うものだから。
「つまり剣聖は殿下のことを絶対に吹聴しない、吹聴するはずがないってことですのね。なぜならば……」
女傑バーミヤの目がとたんに鋭くなって。
「なぜならば剣聖は、殿下が城外市の庶民に紛れていることをとっくに知っていたから。いいえ、それだけじゃないわ。剣聖は殿下のことを以前から知っていたからこそ今回も護衛として駆けつけて、つまり、つまりは……」
このとき、バーミヤの中で謎の断片がカチリと嵌まったのだ。
「つまりあの赤騎士とは! 殿下の騎士を名乗ったあのスターダスト卿の正体とは!」
「いや違いますから」
フードリア公爵家の豪華な馬車の中で。
「謎は全て解けたわ!」顔のバーミヤと。
「いやいや赤騎士の中の人は、そんなに立派な人じゃありませんから」顔の竜兵と。
そんな二人の間の妙な空気、妙な沈黙の中で。
「はあぁ……」
その微かなため息だけが、やけに大きく響いてしまうのだった。
そう。女主人と王子から視線を外していた侍女さんの。
馬車の小窓から行列の最後方を睨みつけていた侍女さんの。
「はあぁ……。大ッッ嫌いですから……」
その微かなため息だけが……。
◇◆◇◆◇
「後ろが騒がしいわね、いったい何を揉めているのかしら」
夕刻。
フードリア公爵家の一行は、無事予定通りの時刻に宿場町へと到着したのだ。
バーミヤの馬車がカタチばかりの手続きで市内へと入門したときに。
竜兵がバーミヤの用意した豪華な宿所を断り、馬車を降りようとしたときに。
「だからたとえ特認商人だろうと、積荷を全て検めるまではここを通す訳にはいかぬと申しておるのだ!」
門前で、町の小役人が怒鳴っていたのだ。
ガタナーに対し、イライラした声で怒鳴っていたのだ。
「ええい分からぬ奴だな。ともかく、分からぬならば荷馬車はここに置いてゆけ」
「いつまで? 知るか、たとえ何日掛かろうとも積荷を全て検めるまでだ!」
「本当に、本当に分からぬ奴だな。何日掛かろうと我らの知ったことか!」
「はあぁ、馬鹿な男ね」
バーミヤが吐き捨てるように。
「あの者は袖の下を要求してるのよ? すんなり通りたければ賄賂を寄越せと言ってるのよ?」
「はい、そのようですね」
「ガタナーときたら、商人のくせにそんな事も」
「分かっているに決まってるじゃないですか」
「ふん。ならばそんな端金、とっとと差し出せばいいじゃないの」
「それが出来ない方なのですよ」
「それなら尚さら馬鹿な男よ。ここで端金を惜しんで貴重な時間を無駄にする積りなのかしら。何日も何日も荷馬車を留め置かれて大損する積りなのかしら」
バーミヤとて、不正や汚職に対して憤りの感情はある。
しかし損得の勘定もできぬ無能に対しては、憤り以上に強い嫌悪感を抱いてしまうのだ。
「これがシェインならば、いいえブラック商会でなくともマトモな商人であれば誰だって、賄賂くらいは支払うものよ」
「はい、バーミヤ様。ボクもそう思います」
でもね、と竜兵は続けて。
「たしかに普通の商人ならば、こんなときに僅かな賄賂を拒んだりなどしないでしょう。けれどそれができない方だから、頑固な程に曲がらない方だからこそ、ガタナーさんは今ここにいるのではないでしょうか。市民権も買えぬ程の身上から国王陛下に接見する機会を得て、特認商人となりフードリア公爵家の指名商会ともなって今ここにいるのは、損得勘定で賄賂を支払うような普通の商人ではなくて、まさに今のガタナーさんではないですか」
「はぁ、殿下。あなたまでシェインみたいな事を」
門前ではまだ怒鳴り声が続いている。
「だから検査といったら検査だ! おまえたちの荷の中に国家ご禁制の品が混ざっているかもしれないではないか!」
「なんだとそこのチンピラめ、今なんと申した! このワシがご禁制品をコッソリ入れるに決まってるだとお!」
「だから検査に不正などはない! 法規によって検査は必ず複数人で当たるのだぞ! 貴様ワシが国法を破るとでも申しておるのか!」
そんな騒ぎに、バーミヤは何かを思いついたようにニンマリして。
「ねえ殿下、このままですとガタナー商会の荷はここで足留めですわね」
困ったわぁと頬に手を当てて。
「私たちは予定通りに明朝ここを出立しますから、このままですとガタナー商会を置いて行くことになりますわ。契約書にあるとおり、期日に遅れるようなら積荷は買取れませんわねぇ」
「それは」
「それどころか違約金も発生しますわよ? 我がフードリアに対しても、廉価で荷馬車を貸してくれたブラック商会に対しても」
「はい……」
「ですから殿下、ひとつ私と賭けをしませんか?」
「え」
「ガタナーがこのまま賄賂を払わずに、明朝私たちとともに出立できたなら殿下の勝ち。賄賂を払わずに出立時間に遅れるようならば私の勝ち。そして負けた者は勝者の願うことをひとつ聞く。どうですか、シンプルな勝負でしょ?」
「しかしそれは……」
「あらあら、ガタナーは天意に守られているのですよね? 賄賂など曲がったことをせずとも天意とやらが守ってくださるのよねぇ? それでしたら今回も無事に切り抜けられるはずですよねえ」
「それはしかし……」
「ご安心ください。私とてここでガタナーを見捨てる積りはございません。殿下が負けを認めて頂けたなら賄賂の端金などこの私が肩代りいたしますゆえ。そうすればガタナー商会は私たちとともにこの町を出立できますわ。契約違反もなく違約金も払わずに済みますわ」
「はぁ。バーミヤ様は賭事がお好きなのですね」
「あらあら殿下、それは違いますわ」
バーミヤは女盗賊の笑みで。
雁字搦めに縛り上げた獲物を見るような笑みで。
「私は賭事など嫌いですわ。私が好きなものは「絶対に勝てる勝負」だけですのよ」
◇◆◇◆◇
「しっかしアタマに来るよな、あの野郎。結局ガタナー商会の荷馬車は置いてけって」
安宿の大部屋ではチンピラが憤っていた。
今晩はガタナーを含めて、商会の男性陣全員がこの一室で過ごすのだ。
ちなみにバーミヤと別れて戻った竜兵は、常よりも暗い顔をしていたためなのか、従業員たちの引きつった笑顔で迎えられたのだった。
「え、あの、ボクは皆さんの心配するようなことは何も……」
「いいんだ! いいんだよリューへー君、何も言わなくていいんだよ!」
「うん、忘れましょ! そうよ、何もなかったんだから、今日のことは忘れてしまいましょ!」
「汚れてないからね! リューへー君は全然汚れてないからね!」
「はあ……」
「ははは君たち、おかしな誤解でリューへー君も困っているじゃあないか。先公妃様はけして悪辣なお方ではないからね」
その手の心配をまったくしていないのは、手荷物を置くやすぐに出ていったガタナーと。
「ち、あの女盗賊め。竜兵ばかり贔屓しやがって、羨ましいッ」
いつもの胴鎧を着けたままゴロリと大の字になった、チンピラだけであった。
「それにしてもあのクソ野郎、何が不正などせぬだ! 何が法規だ、何が国法だ! あからさまに賄賂を要求してくるような野郎が、そんなもの守る訳ないじゃんか」
「あの兄様、実はその事でお話があるのですが」
「ふぁああ……。ん、なんだよ竜兵。悪いが話なら明日の朝にしてくれないかな。少し寝ておきたいんだ」
「明日の朝では遅いのです! それでは遅いのです!」
そう。明日の朝になればバーミヤたちはこの町を出立するのだ。
その時にガタナーはいったいどうするのか。
諦めて賄賂を支払い荷馬車を引き取るのか、それともバーミヤに賄賂を支払ってもらうのか、それすら拒みここに幾日か足留めを喰らう羽目になるのか。
いずれにしても賭けはバーミヤの勝利である。
そのときに勝者の権利として、バーミヤが竜兵に要求してくるもの。
そんなものなど決まっている。
「サイゼ姉様との……」
だからそうならないためには、竜兵がこの勝負に勝つためには、今晩しか残されていないのだ。
門衛たちが今晩のうちに全ての荷馬車の検査を終えて、ガタナー商会が今晩のうちに荷馬車を引取ること。
それ以外に竜兵の勝利はないのだ。
それなのに。
「あああ、日が沈んでしまいましたよぅ。町の城門も閉じてしまいましたよぅ。賄賂もなく今から検査をさせるなんて、いくら兄様でも絶対に無理じゃないですかぁ」
竜兵がため息をついたときだった。
「失礼するぞ!」
突然ガラリと引戸が開けられて。
「起きろ貴様、今日こそは決着をつけてくれるぞ!」
剣聖とともにいたあの女剣士が、大の字のチンピラにいきなり抜身の真剣を突きつけたのだ。
これには大部屋にいた従業員たちも皆蒼白になって、部屋の隅でガタガタと震えるばかりであった。
「ふぁああ……。だから話なら明日の朝にでも……」
「ええい寝るな、起きろ! 起きて私と尋常に勝負するのだ!」
「人が寝てるとこ起こしやがって、いったい何なんだよ……」
「つべこべ言わずにその剣を拾え! 私と勝負するのだ!」
「えええ、なんで俺がそんなことせないかんのさ。今日は忙しいんだから勘弁してくれよな」
「寝ていたくせに何が忙しいだ、ふざけるのも大概にしろ!」
日もすっかり暮れてしまい。
人気のない空き地の暗がりである。
女剣士は「私と真剣で斬り合いをせよ!」と哲也をここまで連れ出したのだ。
「あのぉ、剣士様」
「何だ少年! この男の弟とはいえ庇い建てするなら貴様とて容赦致さぬぞ!」
「あのぅ事情は知りませんが、それでもおそらくボクの兄様が悪い事だけは分かるのですが、それについて兄様を庇う積りもないのですが、それでも斬り合いなんて物騒なことなどは……」
「く、何故だ」
「え」
「少年よ、今のおまえはこの男の身を全く案じておらぬではないか! こうして兄に真剣を突きつけているというのにまるで平気な顔ではないか! この男が斬られて果てるとは思っておらぬ顔ではないか! この男が私に負けるものとは微塵も思っておらぬ顔ではないか!」
「それは」
「何故だ、何故だ、何故なのだ!」
「ええと……」
「いったいこの男には何があるというのだ! こんな弱そうな男に、こんなつまらぬ男に、いったい何があるというのだ!」
「それは……」
「こんな男に、こんな男に、私の爺様が……」
「あの、どうか落ち着いて……」
「ええい貴様も黙っていないで答えろ! いったい貴様は何者なのだ!」
「……」
「ええい、立ったまま寝るなぁ!」
激昂するあまり、この女剣士にはまるで話が通じないものだから。
「……」
肝心の兄も、まるで無警戒にウトウトしていたものだから。
「うわぁ、こんなことをしている時間なんてないのに……」
そして竜兵自身もまた、明朝にバーミヤから突きつけられるであろう要求に頭を悩ませていたものだから。
「そうか、そうやってあくまで無視を決め込むのだな。貴様もこの私を女の身と侮っているのだな……」
その剣を鞘に納めた女剣士に気を緩めてしまったのだ。
竜兵もまた油断してしまったのだ。
急に静かになった女剣士は全身の力をすうッと抜いて。
「ならば無視などできぬよう、教えてやらねばなるまいな」
ニイッと笑みを浮かべたのを見て、そのときになってようやく、竜兵はそれが剣聖門下の抜刀術の型と思い出したのだ。
「いけないッ、兄様、起きてッ!」
「参る!」
それは人には見えぬ一瞬の中の握、抜、斬。
見事な抜刀術だった。
足運びはまるで瞬間移動のようだった。
自然体で立っていたはずの女剣士が、次の瞬間には兄の眼前で剣を振り上げた姿勢になっていたのである。
更に。
「むんッ」
その次の瞬間には、兄の背後で剣を振り下ろした姿勢になっていたのだ。
チン。
女剣士が洗練された仕草で納刀すると。
カラン、カラン。
縦に両断された粗末な胴鎧が、兄の足下に落ちて転がったのだ。
「え」
「え」
竜兵と、彼の兄とが同時に声を漏らした。
そして同時に目を丸くした。
「ふん、ようやく目が覚めたようだな」
「あ、あ、あ、ああああ……」
「何が、どうして、こんなことが、こんなことが……」
女剣士は光速の抜刀術で斬り上げ斬り下げ、哲也の胴鎧を真っ二つに両断したのだ。
チンピラの身にも衣服すらにも刃を当てぬよう、その胴鎧のみを見事に両断して見せたのだ。
「どうだ、これで私が侮るべき相手ではないと分かっただろう。さあさあ貴様も剣を取れ、いざ尋常に勝負いたせ!」
「そんな、そんな……、そんなことって……」
「なんてことを、俺の大切な、大切な……、ああああ……」
「ふふふ、なあに私とて命まで取る積りはない。だがそうだな、敗者は勝者の足を舐めるというのはどうだ?」
「うわあああああああぁぁ!」
「うおおおおおおおおぉぉ!」
「さあさあどうした、どこからでも掛かってくるがいい」
「あああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「どこからでも掛かって……」
「ああああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「どこからでも……」
「あああ、ああああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおお、おおおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「ええいうるさい! 小汚い鎧を斬られたくらいで大袈裟に泣くな!」
「あああ、ああああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおお、おおおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「な、たかが胴丸ではないか! 私が斬ったのはただの木製の、古くてみすぼらしい安物ではないか!」
「あああ、ああああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおお、おおおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「お、大袈裟に泣くな! それではまるで、まるで、私がおまえたちの大事な家族でも斬り殺したみたいではないか!」
「あああ、ああああ、うわあああああああぁぁ!」
「おおお、おおおお、うおおおおおおおおぉぉ!」
「そ、そんな、おまえたちはなんでそんなに……」
「師匠様! 御令弟!」
哲也と竜兵の魂を切り裂くような慟哭を聞きつけたのか、血相を変えて走って来たのはカカズチの祖父剣聖であった。
「こ、これは!」
その剣聖の目もまた驚愕で丸くなった。
哲也の足下の胴鎧を見るや、両断されて転がる胴鎧を見るやたちまち蒼白となって。
「この斬り口はまさか……、おまえか、カカズチ……」
「爺様聞いてください、この男は」
「答えろカカズチぃ! 貴様が斬ったのかぁ!」
「ひッ」
カカズチは混乱していた。
訳が分からなかった。
祖父剣聖は、なぜこれほどまでに怒っているのだろう?
この兄弟は、なぜこれほどまでに悲しみ泣いているのだろう?
これではまるで自分が、絶対に斬ってはいけないものを斬ってしまったかのようではないか。
これではまるで自分が、取り返しのつかないことでもしでかしたかのようではないか。
そしてカカズチは更に信じられぬものを見てしまうのだ。
「申し訳ございませぬ!」
剣聖が、大陸最強にして武の頂点たる剣聖が、生涯不敗の生ける神話の祖父剣聖が。
「どうか、どうか、どうかぁ!」
チンピラの足下に丸くなり、地に両手両足、額をつけていたのである。
土下座して侘びていたのである。
「けして許される事とは思いませぬが、これなるは愚かな愚かな弟子ではございますが」
チンピラに対して、血を吐くように侘びていたのである。
「それでもワシには、ワシにとってはかわいい孫娘なのです、さすれば!」
そして剣聖は顔を上げるやその腰の佩刀をスラリと抜いて。
「この年寄の首ひとつを以て、孫娘の命ばかりは何卒、何卒!」
「じ、爺様ぁ!」
その刃を自分の首に当てたのである。
「やめろ、爺さん」
それをモヒカン頭のチンピラが制して。
「ぐす、もういい。いいんだ。爺さんが死んだところで何もならんさ。だからもういいんだ」
「師匠様……」
「ぐす、それに言っただろ、女の子相手に怒鳴ってんじゃねえよ」
「ははッ」
「ぐす、自分の孫娘ならさ、もっと優しくしてやれよな」
「ははーッ」
このやり取りを前にして。
無敵の祖父剣聖と、モヒカン頭のチンピラとの信じられぬやり取りを目の当たりにして。
「そんな……、どうして爺様が……、いったい私は何を斬って……、何が、どうして……」
溢れて止まらない涙で世界がグニャリと歪んで。
混乱した頭で大地もグルングルンと回転して。
その手からは愛剣すらもチャリンと落としてしまって。
「嘘だ、嘘だ、嘘だもん、こんなの嘘だもんッ、うわーーーーん!」
まるで幼い子どものように泣きじゃくりながら、どこかへと走り去ったのだった。
「ぐす、ちくしょう、酷いことしやがって」
「ぐす、ぐす、兄様、タカギさんが……」
「く、師匠様。やはりワシの首を」
哲也は両断された胴鎧を拾い上げ、悲しそうに呟いたのだ。
「竜兵、コレを頼む。俺は今から行かなきゃならんから」
それを竜兵に渡して去ろうとした哲也に。
「ちょ、兄様、待ってください。いったいどこに」
「どこって、高木さんを迎えに行くんだよ」
「え」
「え」
「あ、竜兵。それ捨てるんじゃないぞ。こんな風になっちゃったけど、俺たちにとっては大切な大切な思い出の品だからな」
「え」
「え」
竜兵はその手に持った胴鎧をもう一度マジマジと見た。
それは木製の胴丸みたいな拵えで、傷があったり塗りが剥がれたりでとてもボロっちい安物で……。
どこから見てもただのボロ鎧で……。
いかにも城外市の店で売っていそうなボロ鎧で……。
「兄様、まさかコレ!」
そのときに。
ぎゃあああぁーーーーーッ!
遠くから、ちょうどガタナー商会の荷馬車が留め置かれた辺りから男の叫び声が聞こえてきたのだ。
まるで不意をつかれて魔物に出くわしたような、魔物に顔をベロリと舐められたかのような、男の悲鳴が聞こえてきたのだ。
「おっとやべ、急がないと。じゃ、行ってくるわ!」
その悲鳴に向かって、哲也は走って行ったのだ。
「いつの間に……」
「御令弟、これはいったいどういう」
「いつの間に、兄様もタカギさんも、いったいいつの間に……」
その手に持つボロ鎧もカタカタと震えて。
そう。そうなのだ。
考えてもみれば、最初から分かりきったことではないか。
賄賂を要求してきたあの小役人。
職権を乱用してガタナー商会の荷馬車を差し押さえたあの小役人。
(なんだとそこのチンピラめ、今なんと申した! このワシがコッソリ入れるに決まってるだとお!)
そのガタナー商会の荷物に対して、いかにも何かの細工をしそうだったあの小悪党……。
「そんなの、そんなの、兄様とタカギさんの大好物に決まってるじゃないですか! あの二人がこんなチャンスを見逃すわけないじゃないですかぁ!」
「御令弟、いったい何が?」
「入れ替わっていたんですよ! 最初から、あの入門手続きのイザコザのときから兄様はコレを、このただの木でできたボロ鎧を着けていて、タカギさんはそのまま荷物の箱に紛れて隠れていたんですよ!」
「ではタカギ殿は生きておるのですね!」
「はい、生きてます。ああよかったぁ、タカギさんはちゃんと生きてるんです! 生きていてまた誰かのことをからかってたんです! それできっと今頃は」
「師匠様の……」
「はい。きっと今頃は何食わぬ顔で兄様の、泥亀のボロ鎧に戻っているんですから!」
◇◆◇◆◇
翌朝。
集合場所へと先公妃バーミヤを乗せた豪華な馬車がやってきた。
小窓から覗いたその顔は、石像のように固まっていた。
集合場所に並んでいたガタナー商会の荷馬車を見て、その頬が引きつっていた。
そこに侍女に連れられて少年がやって来て。
「先公妃様、おはようございます」
明るい顔で、ニコニコと屈託のない笑顔で馬車へと乗り込んだのだ。
その一方で。
「爺様……」
暗くどんよりした顔の女剣士がいた。
「爺様、私は、昨夜の私は……」
安物の鎧を斬ったと思っていた。
古くてみすぼらしい胴鎧を斬ったと思っていた。
しかし違ったのだ。
粗末なボロ鎧とはいっても、あの兄弟にとっては違ったのだ。
おそらくは大事な大事な形見の品で。
おそらくは親の残したたったひとつの形見の品で。
だからあの兄弟はあれほどまでに悲しみ泣いたのだ。
自分は人として、とんでもない非道を行ってしまったのだ。
それを祖父剣聖も知っていた。
おそらくは剣聖とあの兄弟の親とは旧知の仲で、その胴鎧のことも知っていたのだ。
そのボロ鎧の持つ重さをよく知っていたのだ。
カカズチのしでかした事の重大さを、取り返しのつかない程の罪の重さを、剣聖は知っていたのだ。
なのに祖父剣聖はこの自分などを庇って。
この自分のために必死に土下座までして。
この自分のために命までをも差し出して。
「ぐす、ぐす、爺様ぁ……」
「わはははは。カカズチよもうよい。もうよいのだ」
「しかし、しかしぃ」
「ふむカカズチよ、どうやら寝ておらぬようだな。その様子では朝食もまだなのであろう。それでは保たぬぞ。ホレ、干し芋でも食わぬか」
「爺様ぁ……」
「わはははは。カカズチよ、今日もいい天気であるな」
塞ぎこむ孫娘を元気付けるためなのか、晴れやかな笑顔の剣聖であったのだ。
(御令弟には、まことに賢きあの御令弟には、借りが増えるばかりだのぅ)
そう。昨夜はあれから大騒ぎであったのだ。
「魔物だ! ガタナー商会の荷の中に魔物が混じっておったのだ! ワシは魔物に襲われて危うく喰われかけたのだ!」
それで当番の門衛たちが総出で魔物を探して。
その騒動にガタナーや野次馬たちも集まってきて。
「何もいませんな。積荷は全て改めましたが魔物などどこにも」
「そんな筈はない! ワシはたしかに見たのだ、魔物に襲われて喰われかけたのだぞ!」
「しかしこれらの荷馬車は全て、隅までくまなく探しましたが、麦に豆に炭にと積荷はどれも安物ばかりで……」
「おうおうおうおう!」
そこで野次馬の中からチンピラが。
粗末な胴鎧のチンピラが声を上げたのだ。
「積荷の検査は終わったんだろ、それじゃ荷馬車は全部持って行って構わないんだよな?」
「それは、しかし魔物が、ワシはたしかに魔物に」
「そんなのいるわけねえじゃんか! 大方アンタ、変なクスリでもやってたんじゃねえのか?」
「なんだと、ええいこのチンピラめ無礼を申すな!」
「だいたいよお、検査は必ず複数人で当たるんだろ? それが法律なんだろ? アンタこんな時間に一人で、いったいガタナー商会の積荷に何をしようとしてたんだ?」
「そ、それは」
「まさかコッソリご禁制の品でも入れようとしてたんじゃないだろうな?」
「無礼者、この無礼者め、ええいおまえたちこのチンピラをば取り押さえろ!」
それで門衛たちがチンピラに迫ったその時に。
「何をしておる、やめんかぁ!」
大迫力で一喝した者がいたのだ。
「え、あれはまさか剣聖様……」
野次馬の一人が呟くと。
「剣聖って、あの無眼無刀の剣聖か?」「あれが生ける神話か」「おいおいすげえ貫禄だな」
周囲はザワザワといっそう騒がしくなって。
「剣聖様、いったい何を」
「幻覚を見る程の違法薬物、国法を破るご禁制の品と聞いては見過ごすわけには行かぬぞ」
「しかし剣聖様、我々でこれらの荷馬車は全てくまなく検めましたが、そのような物など」
「おまえたち、探しておらぬ場所がまだあるではないか。むん!」
次の瞬間。
まるで瞬間移動のように、小役人の眼前には剣を振り払った姿勢の剣聖がいたのだ。
「ひ、ひいいッ」
その斬られた懐から、小役人の懐から薬物の入った包みがボトリと落ちて。
「見たか、この者はご禁制品を隠し持っておったぞ! 皆の者、取り押さえよ!」
「ははァ!」
この剣聖の命に従い、門衛たちは自分たちの上司を逮捕したのであった。
ちなみにこの老剣聖は、彼自身は無役無官の道場主にすぎない。
本来ならば、彼らに命令する権限など持っていないのだ。
しかし王国の武官将官の中には、いや高級官庁の中にさえも、この剣聖の弟子孫弟子は数多くいるのだ。
門衛たちの上司の上司の遥か上司に当たる者すらもまた、この剣聖の弟子筋であったりするのだ。
たとえ無役無官で法的権限など持たぬとも、剣聖とは武の頂点に君臨する存在であったのだ。
そんなこんなで。
「爺さん助かったよ。見直したぜ、意外と頼りになるじゃねえか」
「は、ははぁッ」
剣聖は褒められたのだ。
あの御令弟の言うとおりにしてみたら、本当に師匠に褒めてもらったのだ。
◇◆◇◆◇
「いいから、爺さんはこっちに来るなってば」
「わはははは。休憩の時間くらいはよいではないですか。ポポラマ殿もホラ、干し芋でも食べませぬか」
あちら側が、行列の最後方が騒がしい。
そこにはボロ鎧のチンピラと幼女の姿と。
「ん?」
その見たくもない光景に、カカズチの中で何か引っかかるものがあった。
「んんん?」
見慣れた光景なのに何かがおかしい、何かが引っかかる……。
いや、見慣れた光景だからこそ、何かがおかしいのだ。
「あああッ、ボロ鎧だ!」
あのチンピラがボロ鎧を着けているのだ。
あのチンピラは昨夜自分が両断したはずの、あのボロ鎧を着けているのだ。
自分が思慮なく斬ってしまって、しでかしてしまって、それで兄弟が揃ってワンワン泣いてしまって、祖父剣聖が土下座で侘びて命までをも差し出した、そんなボロ鎧を、かけがえのない形見の品がそこにあったのだ。
まるで何も無かったかのように、斬られた形跡もないままにそこにあったのだ。
昨日までと何ひとつ変わらずに、ごく自然な様子で、チンピラがあの胴鎧を着けていたのだ。
「どういうことなのだ……、私は、私は、いったい何を斬ったのだ、何を斬ってしまったのだ……」
「わはははは、そうそうお爺ちゃんですぞッ。ポポラマ殿よ、ワシのことはどうかお爺ちゃんとお呼びくだされぃッ」




