(45) 別離
「そんで急遽ガタナーさんがその公爵様の領地まで行くことになってさ」
いつものように朝日よりも早い時間に。
空にはまだ星の残るこんな時間に。
いつものように俺はこの孤児院に来ていたりする。
皆には内緒で院長先生を治療しているポポラマとこうしてふたり、ヒソヒソ声でロシアンルーレットな会話をしていたりする。
「荷物輸送の仕事でキャラバン隊っていうの? そいつに竜兵もくっついて行くことになってさ」
そう。
竜兵の正体が、とうとうあの女盗賊にバレてしまったらしいのだ。
それで女盗賊が公爵領に戻るから、一緒について来いやと呼ばれてしまったのだ。
ガタナー商会のキャラバンは竜兵を呼びつけるついでというか、口実みたいなものなんだって。
「まあ最近は俺たちの周りをウロチョロと探る奴らも増えてきたからさ、しばらくほとぼりを冷ますにはいい機会なのかもな」
「じゃあテツヤ君も行っちゃうの?」
ポポラマがまた泣きそうな顔になるものだから。
「俺は行かないって。だって俺、ガタナー商会の従業員でもなんでもなくてただのチンピラだもの」
「うん!」
それで一瞬だけ笑顔が戻ったものの。
「でも気をつけてね。テツヤ君が本当は魔王様だってバレちゃったら……」
このポポラマは竜兵の正体なんて知らない。
あいつが本当はこの国の王子様なんてことは知らない。
だからポポラマが気にするのは俺の正体がバレることだけなのだ。
俺のことがバレて、俺がこの町からいなくなることだけが心配なのだ。
「俺は身バレなんてヘマはしねえよ。それよりおまえこそ気をつけろよな」
「え、アタシ?」
「ああ。おまえみたいなチビっ子がこうして魔法を使える事がもしバレたら、えらいことになるぞ」
そう。そもそも治癒魔法なんて、修行を積んだ徳の高い僧侶にしか使えないものなんだとか。
あの竜兵も目を丸くして驚いていたくらいだ。
「昔の古傷まで消えて無くなるとかありえませんよ! それじゃポポラマちゃんは大司教様以上の大魔法士ってことになるじゃないですか!」
それでまた俺のことを変な目で見やがるのだ。
「やはり兄様が何かしたと考えるしか……」
まあとにかく。ポポラマはちょっとありえないレベルの魔法使いらしいのだ。
つまり、それが世間にバレてしまったらどうなるか。
「そしたらおまえ、絶対変な奴らに目を付けられちまうからな」
「そうだね」
「分かってんのか、幼女趣味の変態お貴族様とかに拐われちまうんだぞ」
「うん」
「なんだよ平気な顔しやがって。おまえ怖くないのかよ」
「そりゃ変態のお貴族様は怖いけど。でも、そうなったらきっとテツヤ君が助けてくれるし……」
「……」
「えへへへ」
「あー、とにかく。最近は不審者が多いから気をつけろってことだよ」
「えへへへ」
「そうそう、不審者といえば隣に引っ越してきた司祭さんだけど」
「うん。毎日アタシたちに文字とかいろいろ教えてくれて、お兄ちゃんたちもお姉ちゃんたちもみんな喜んでて」
「でも、それっておかしな話だよなぁ」
「うん。アタシたちのことを副司教様に頼まれたって言うけど」
「あの副司教さんってそんなヤツじゃないものなぁ。おまえたちのことを人質にして、この院長先生に酷いことをしてたようなヤツだものなぁ」
「うん。だからあの司祭様は嘘をついてるはずなのに」
「やってることは随分と親切なんだものなぁ」
「うん」
うーん、わざわざ孤児院の子らに勉強を教えてくれるとはね。
いったい何が目的なのか。
しかもあの副司教さんに頼まれたとか、なんでそんな嘘をついているのか。
不可解な謎を前にして、俺のスーパー頭脳はフル回転するのだ。フル回転をす……。
「……ツヤ君、テツヤ君、急にどうしたのッ」
「……はッ!」
「若旦那、また寝てやしたぜ」
そう。
実はこの俺には、生まれつき呪いが……(略)。
あ、まさかこの院長先生も。
毎日毎日絶対に起きないこの院長先生も、きっと何かの呪いに掛かってるのかもしれないな。
「まああれだよ、俺はややこしい事を考えるのは専門じゃないから」
「専門?」
「ああ。竜兵みたいにウジウジ考え込むのは性に合わん。だって肝心なのはその司祭さんがいいヤツなのかどうかだろ?」
「うん」
「だったら簡単な話だよ。確かめてみりゃいいんだ」
そう、簡単な話だ。
その司祭さんがいいヤツなのかどうか、実際に確かめてやればいいのだ。
それでもし悪いヤツだったら、ブッ飛ばしてこの町から追い出してやればいいのだ。
「そんなの乱暴だよぅ。もしも司祭様が本当にいい人だったらどうするの?」
本当にいい人だったら?
そのとき俺がどうするか?
そんなの決まってるじゃん。
「ええいこの不届き者めいッ!」
「ひ、ひいいいッ!」
俺は腰を抜かして後ずさりしてやった。
弱気な相手にはとことん居丈高だが、強気な相手にはとことん卑屈になる。それがチンピラという存在であるからだ。
つまりこの教会の前で孤児たちに「おうおうおうおう!」と絡んでいって。
「おい貴様、何をしておるのだッ!」と出てきた司祭さんに対しては。
子どもらを庇うようにして立つ鬼の形相の司祭さんに対しては。
「ち、覚えてやがれ!」
捨て台詞で逃げ出すのがチンピラの作法というものなのだ。
◇◆◇◆◇
「司祭様、ありがとうございます!」
「あはは、ざまをみろ泥亀」
「あいつ、クソ雑魚のくせにいつもいつもいばりやがって」
「そうそう、司祭様にはあんなにビビってさ。カッコ悪いよな」
「あははは……」
「ぐす、ぐす、テツヤ君……」
そのチンピラが逃げ出したのを。
司祭に一喝されて、スゴスゴと尻尾を巻いて逃げ出したのを。
満面笑顔の子どもたちが囃したてるその後ろ姿を。
ただひとり見つめる者がいた。
孤児院の塀越しに隠れるように立って、チンピラの後ろ姿をいつまでもいつまでも見つめる者がいた。
そして更に。
「やはりあなただったのですね」
その背中に声を掛けた少年がいた。
「あの司祭様を連れて来たのは、そして副司教様に頼まれたなんて嘘を司祭様に言わせていたのは、あなただったのですね。院長先生」
竜兵の呼びかけに、しかし院長は振り向かなかった。
振り向かぬ院長に、竜兵は距離を置いたまま話しかけるのだった。
「院長先生、あなたは本当はとっくに完治されていたのですね」
そう。竜兵はこの院長を強く警戒していた。
なにしろこの院長はただならぬ知力の持ち主らしいのだ。
あの日、あの河原で多頭のドラゴンが復活したことを。
赤騎士スターダストと再度闘い再度破れたことを、見事に見抜いた人物だと聞いていたからだ。
「そしてあなたは寝たフリをしながら毎日兄様たちの話を聞いていて、だから、だから……」
それでもこちらを振り向かぬ院長に、竜兵はストレートに踏み込んでみたのだ。
「その、もうお気づきなのですよね、ボクたちの正体も……」
「正体とは、いったいどなたの正体のことですか?」
「!」
イブシコ院長がゆっくりと振り向いたのだ。
言葉を失っていたはずのイブシコ院長が、はっきりと声を発したのだ。
「殿下の正体についてですか?」
「院長先生、やはりあなたは!」
「鎧に擬態している、あの賢き魔物の正体についてですか?」
「!」
「それとも」
そしてイブシコ院長は少し泣くような、少し笑うような顔で。
「それとも、あの心優しき神の正体についてですか?」
◇◆◇◆◇
「ここを取り壊すとはどういうことだ!」
サン・シーロ司祭は激昂していた。
「布教伝導は、全聖職者に認められた権利であるぞ!」
「ふん、一介の平司祭などには分からぬか!」
夕刻。
城外市孤児院の隣に建てられたこの教会に、武僧兵の一団がゾロゾロとやってきたのだ。
「このようなみすぼらしい建屋などを、教会と認めることはできぬと申しておるのだ!」
「そうとも。聖像のひとつとてない、ミサを行う講堂すらもないただのあばら家ではないか」
「そうとも。第一このような貧民街で布教伝導など、教会の威信に傷がつくわ」
「うぬぬぬぬ」
怒りに震える司祭に、武僧兵らは更に詰め寄った。
この騒ぎに、何だ何だと野次馬たちもパラパラと集まってくる。
「よってこの建屋は破却する。それとサン・シーロ司祭よ」
「司祭よ、そなたには我々と共に来てもらうぞ」
「何だと?」
「くくく、分からぬか。そなたには異端の嫌疑が掛けられておるのだ」
「ワシが異端者だと! 貴様ら何を根拠に!」
「知らばくれぬな! 大司教猊下を襲撃したあの異端者が、この地に出入りしていたのは分かっておるのだ!」
「そうとも。恐れ多くも大司教猊下を襲った魔物についても、宝箱に化けた魔物の正体についても、貴様には全て吐いてもらうからな」
「大司教への襲撃? 宝箱の魔物? 何だそれは、ワシは知らぬぞ?」
「くくくく。異端者は皆、最初はそのように申すのだよ」
「そうとも。拷問台の鎖に繋がれるまではな」
「ええい離せ、ワシはこの教会を離れるわけにはいかんのだ!」
「この建屋は破却すると申したはずだ」
「させぬ! そのようなことはワシがさせぬ!」
「ふむ、残念だがそろそろ頃合いだ」
武僧兵らが後方を振り向いて。
「ああ、どうやら精神集中は済んだようだな」
「き、貴様らまさかッ!」
サン・シーロ司祭の顔色が変わった。
後列でひとり沈黙していた僧官が、ブツブツと呪文を唱え出したからだ。
「貴様ら、まさかこんなところで火魔法を使う気かッ!」
「ひ、火魔法だと!」
火魔法と聞いて、集まっていた野次馬たちはどよめいた。
火魔法とは戦場で用いるような高等魔術である。
このような町中で、人家の密集する場所で使うものではないのだ。
野次馬たちの怯え顔に満足したのか、魔法士はニイッと笑みを浮かべるとその杖を教会へと向けたのだった。
「出よ、ファイヤーボール!」
「やめろおおおぉッ!」
「ち!」
魔法士は舌打ちをした。
サン・シーロ司祭が武僧兵らを振り払い、杖の前へと飛び出したからだ。
それで魔法士の杖がほんの少しだけ上方へと向いて。
「うおおおおおおぉッ!」
それすら止めようと、司祭の右腕も上方へと伸ばされて。
「ぐはッ」
「司祭様!」
「あああ、司祭様が!」
魔法士の放った火球は司祭の片腕と、教会の上部とを吹き飛ばしたのだった。
「そんな、司祭様が……」
子どもたちが絶望に震える。
教会の屋根が破壊されて、ブスブスと黒煙を上げていたのだ。
そして。
「う、酷え……」
「司祭様、あああ司祭様……」
地に倒れ伏したサン・シーロ司祭からも黒煙が上がっていたのだ。
サン・シーロ司祭は片腕を失ったのみならず、その頭部にも酷い火傷を負って意識を失って倒れていたのだ。
高等魔術による火球を至近距離からその身に受けて、死体のように倒れていたのだ。
そう。
もう間もなくこの司祭は死んでしまう。本当の死体になってしまうのだ。
それはここにいる誰の目にも明らかであったのだ。
「ふん、我らの邪魔をするからこのようになるのだ」
吐き捨てる武僧兵に、百人もの野次馬たちは皆声を失っていた。
この町の住民は知っていたのだ。
力ある者は、いつだってこうして力無き者を踏みにじる存在なのだ。
そして力無き者は、その理不尽にけして抗えぬ存在なのだ。
この街に暮らす力無き住民たちは、そのことを常識として知っていたのだ。
ただひとり。
こちらへと猛然と走って来る常識知らずを除いては。
「おうおうおうおう、てめえらここで何をしてやがるッ!」
その者は。
そのモヒカン頭のチンピラは。
粗末な胴鎧を着けた、いかにも弱そうなチンピラは。
地に伏した司祭を見るなりに。
「ち。高木さん、たの……」
「テツヤ君、ダメ!」
しかし。
何かを言いかけたチンピラを制して飛び出す者がいた。
小さな小さな影が、サン・シーロ司祭の元へと飛び出してきたのだ。
「おい、そこをどけポポラマ! 急がねえとこの司祭さんが危ねえ!」
しかしそれに少女はフルフルと首を振って。
少し悲しげな、そして何かを諦めたような笑みを見せて。
「テツヤ君ダメだよ。それはアタシの役割だから……」
瀕死の司祭に手をかざし、すうっと大きく息を吸うと。
「おいッ、ポポ……」
「司祭様、治ってッ!」
突然その全身から、眩い光を放ったのだ。
「な!」
これに野次馬たちは驚愕した。
「そんな馬鹿な……」
武僧兵らも声を失っていた。
貧民街の少女が。
粗末な古着で、おそらくは孤児であろう小さな小さな少女が。
魔法の修行などしたはずのない、こんな少女が。
瀕死の司祭に手をかざすや、その全身から眩い光を放ったからだ。
「この光は、そんな馬鹿な、ありえん!」
「ポポラマ、おまえ……」
やがて。
孤児である小さな少女の放った光は静かに収まって。
「あ!」
「治ってる……。司祭様が治ってるぞ!」
「おおおッ、奇跡だ、奇跡が起こったぞ!」
誰かが叫んだ通りであった。
先程まで赤黒くただれていたはずの司祭の頭部は、ピンク色で健康な肌へと戻っていたのだ。
炭となって失われたはずの片腕は、何事もなかったようにすっかり回復していたのだ。
死にかけていた司祭が命を繋ぎ、欠損した腕すらも瞬時に回復してしまったのだ。
「あ、ありえぬ! ちちち、治癒魔法だと! 貧民街のこのような子どもが、ろくに修行もできておらぬはずの子どもが、大司教様をも遥かに凌ぐような治癒魔法だと!」
武僧兵らのターゲットは、もはやこの少女へと移っていた。
そう。
貧民街に作られた粗末な教会などよりも。
あるいは異端者かもしれぬ司祭などよりも。
いや、もしかしたら大司教を襲撃した魔物よりも。
教会組織にとってはこの少女こそ、この謎の少女こそが遥かに重要な存在であったのだ。
だから武僧兵らは一斉に動いた。
このウサギを絶対に逃さぬように、ジリジリとこの少女を取り囲んだのだ。
周囲の野次馬たちの重い沈黙を切り裂くように。
「貴様いったい何者だ!」
貧血でしゃがみこむ少女を誰何したのだ。
「ふむ。魔力不足で応えられぬか。となれば……」
「うむ。この者をば連行するぞ」
少女にその手を伸ばしたときだった。
野次馬たちも仲間の孤児たちも声すら出せず、眼前の理不尽に何かを諦めかけたときだった。
「おいこら、てめえら待ちやがれ!」
武僧兵らの前に、ただひとり立ちはだかった者がいた。
「貴様は何者だ! 邪魔だてするなら只では済まぬぞ!」
「おうおうおうおう、ケンカは弱えが打たれ強え。泥亀のテツとは俺のことだぜぃ!」
「ああ? 泥亀だと?」
「おおお、泥亀だ、馬鹿テツだ」
野次馬たち、とりわけ孤児たちは意外なヒーローの登場に目を輝かせて。
「おうおうおうおう、てめえらウチの縄張りで好き勝手しやがって。いったい誰の許しを……」
「ええい邪魔だ、どけ!」
「ぐはぁッ」
「あああ!」
そして。
鋼鉄の釈棒でその頭部を横なぎされて、派手に吹き飛んでいったチンピラに失望の声を漏らしたのだった。
ゴロゴロと転がっていったチンピラは、当然死ぬか大怪我を負ったものと思われたが……。
「おうおうおうおう、てめえら!」
「!」
しかしチンピラはすっくと立ち上がると。
「てめえら、覚えてやがれ!」
いかにも雑魚っぽい捨てゼリフで逃げ去ってしまったのだった。
「……」
「……」
「……」
「おい貴様起きろッ。我らとともに来るのだッ」
先程の武僧兵が少女に再度手を伸ばしたときだった。
頭部にあの一撃を食らってなぜ死なぬのか、なぜ何事もないように立って走れたのか。
そんな疑念を、その手に残る手応えを振り払うように大音声で。
「ええい起きぬかッ、立たぬならば貴様もこの釈棒で打ち据えてくれるぞ!」
魔力不足で意識を失った少女に、棒を振りかざしたときだった。
「我が町で何をしておるか!」
あちらから、先程チンピラが逃げて行った方向から、一喝した者がいた。
それは黒くトゲトゲの全身鎧を纏った、異形の男であった。
「ええい今度はいったい何者だ! 邪魔だてするなら貴様も只では済まぬぞ!」
「我が名はトランキーロ! 魔王トランキーロ!」
「魔王だと? ふざけたことを……」
「うおおおッ、魔王様だッ、トランキーロ様だ!」
野次馬たち、とりわけ孤児たちは本物のヒーロー登場に今度こそ湧いた。
群衆はまるで海が割れるように道を作り、黒鎧の男はゆっくり歩いてやって来る。
「魔王様!」
「トランキーロ様!」
「魔王トランキーロ様!」
群衆の歓呼の嵐の中、黒鎧は悠然とやって来ると。
「貴様はいったい……」
無言のままブスブスと黒煙を上げる教会に手を向けると。
パシュンとウォーターボールを放って鎮火したのだった。
「水魔法ッ、しかも無詠唱だと!」
「ふむ。貴殿らは我が町で随分と好き勝手してくれたようだな」
「くッ」
先程のチンピラとは違い、今度はいきなり釈棒で殴りかかることはなかった。
なにしろ今度の相手はチンピラ風情ではない。明らかに強者特有のオーラを放っているのだ。
しかしこの武僧兵らとて皆歴戦の強者たちである。
このような状況下での戦いにも十分に慣れているのだ。
武僧兵らは陣形を組み黒鎧を取り囲むと、釈棒を構えるとピタリと静止した。
彼らはそのまま攻めかかることもなく、何かを待っているようだった。
周囲の群衆はピリピリした緊張と、ツンとした沈黙とに包まれていた。
やがて。
「頃合いか」
ニヤリと笑うと武僧兵らは一斉に横に広がり射線を空けたのだった。
これで彼らが待っていた物が明らかとなった。
後方で長い詠唱を終えた魔法士が、こちらに杖を向けていたからだ。
「喰らえ、ファイヤーボール!」
「トランキーロ様、危ない!」
魔法士の放った火球は恐ろしい速度で黒鎧を襲った。
そして。
「な!」
「あ……」
直撃する寸前に、パシュンと消えて無くなったのだ。
「そんな馬鹿な!」
「怯むな、一斉に打ち掛かるのだ!」
「者ども行くぞ!」
武僧兵らは釈棒を振りかぶり。
「!」「!」「!」「!」「!」「!」
そのまま固まって動けなくなったのだ。
「ううう、動けぬ、動けぬではないか!」
「何が、いったい何が起こったのだ!」
「何を、いったい何をされたのだ!」
「さてと」
「ひッ」
「貴殿らには礼を返さねばなるまいな」
「ひ、ひいいぃッ!」
「我が町で暴れ、我が町に住まう者を損ねた礼を返さねばなるまいな」
「ひいいいぃーーッ」
「うおおおぉーーッ」
黒鎧のつぶやきに武僧兵らは悲鳴を、群衆たちは歓声をあげるのだった。
「トランキーロ様、そいつらをやっちまって下さい!」
「トランキーロ様、その人たちは司祭様を殺そうとしたの!」
「トランキーロ様、そいつらポポラマのことも拐って行こうとしたわ!」
「あとそいつらは泥亀の事も……、いややっぱり何でもないです」
「さてと」
片手で群衆たちを静めると黒鎧は告げた。
「貴殿らに礼を返すぞ。受け取るがいい」
「やや、やめろ、やめてくれ!」
武僧兵らの両腕が誰の手も触れずに勝手に持ち上がり。
その次の瞬間に。
「ふはははは、やられたらやり返す、倍が……」
「ぐぎゃああああああぁッ!」
ボキボキ、バキボキバキと両腕をあらぬ方向に曲げられて一斉に悲鳴を上げたのだった。
「うおおお、やったぜ、ざまあみやがれ!」
「トランキーロ様! トランキーロ様!」
「トランキーロ様、万歳!」
「トランキーロ様!」
群衆たちの歓喜の中で。万雷の歓呼の中で、黒鎧は少し俯いていた。
悪漢どもを圧倒しておきながら、万雷の歓呼に包まれながら、まるで少し落ちこんでいるかのように俯いていたのだ。
まるで決めゼリフに失敗して落ち込むかのように、ションボリ俯いていたりする。
「ぐ、ぐぐ、撤退だ、撤退するぞ」
かくして。
折れた両腕をブラリとさせた武僧兵らがスゴスゴと引き上げで行く。
まるで負けたチンピラのように逃げて行くのだ。
そしてまるでチンピラのように捨てゼリフを残していくのだ。
「ぐ、ぐぐ、魔王め、神に仇なす不届き者め」
「このままで、このままで済むと思うなよ!」
「貴殿らこそ!」
武僧兵らを一喝するように。
「貴殿らこそ、このままで済むとは思わぬことだ!」
黒鎧がスウッと指を指したのは、上部部分が焼け崩れた教会である。
「いいか、大司教に伝えるがいい。明日の朝日とともに!」
「な、何を……」
その指先がツウッと動いてピタリと止まる。
指されたのは王都の、ちょうど大聖堂の方向である。
「この礼は、必ず返すとな!」
「魔王、貴様いったい何をするつもりだ……」
「ふははははは。決まっているであろう」
黒鎧の魔王は、トゲトゲの鎧を纏った魔王トランキーロは、おそらくは満面の笑顔で。満面のキメ顔で。
「やられたらやり返す、倍が……」
「うおおおおおお、トランキーロ様!」
「トランキーロ様!トランキーロ様!」
「トランキーロ様、万歳!」
「トランキーロ様、万歳!」
再々度巻き起こった万雷の喝采の中で、実はこの魔王様は密かに落ちこんでいたりする。
◇◆◇◆◇
いつものように朝日よりも早い時間に。
空にはまだ星の残るこんな時間に。
いつものようにイブシコは待っていた。
いつもならばポポラマがやって来る時間なのだ。
この自分を治療するために、皆には内緒でこっそりとやって来る時間なのだ。
かつて拷問官によって徹底的に痛めつけられた自分を、人間には絶対に治癒できぬ程に壊されてしまった自分を、ただひとり献身的に治そうとしてくれた子がやって来る時間なのだ。
しかし。
もうこの部屋にポポラマがやって来ることはないのだ。
昨日。
万雷の喝采の中で、黒鎧の魔王はポポラマを抱き上げたのだ。
魔力不足を起こして意識を失っていたポポラマをそっと優しく抱き上げると告げたのだ。
「この者は、このままこの町に置いておくわけにはいかぬ」
群衆の中に孤児たちの姿を見つけて歩み寄ると、静かに告げたのだ。
「悪いが、このまま連れて行くぞ」
「ポポラマ!」
「ぐす、なんでだよ、なんでポポラマが……」
子どもらは泣いていた。
なぜかは分からないが、ポポラマはいつの間にか凄い魔法使いになっていたのだ。
悪漢どもによって焼かれて死にかけていた司祭様を、凄い魔法で治してしまったのだ。
吹き飛んだ腕すらも、あっという間に元通りに治してしまったのだ。
ポポラマはお伽噺でも聞いたことのない程の、凄い凄い魔法使いだったのだ。
しかも、それを見られてしまった。知られてしまった。
この町の大勢の人たちや、あの悪漢どもに見られてしまったのだ。知られてしまったのだ。
この先、間違いなく悪い奴らがポポラマを狙うだろう。
悪い大商人や、悪いお貴族様がポポラマを拐って我が物にしようと画策するだろう。
だからポポラマとは、ここでお別れしなくてはならないのだ。
魔王トランキーロの腕の中でスヤスヤ眠る妹と、ここで別れねばならないのだ。
「ぐす、ぐす、ポポラマぁ……」
「ぐす、トランキーロ様、この子を頼みます……」
「約束する。この者は安全な所に連れて行く」
「うえーん、ポポラマぁ」
「えーん、えーん……」
それを。
それらを。
イブシコは見ていたのだ。
孤児院の塀越しに隠れるように立って、それらの一部始終をずっと見ていたのだ。
「なぜ黙って見ていた、私はなぜ自ら出て行かなかった……」
そうあのとき。
サン・シーロが火魔法を受けて地に倒れ、瀕死の状態となったときに。
「私が行くべきだった、私が行かねばならなかった……」
イブシコは悔やんでいた。
ポポラマには遠く及ばぬとはいえ、自分だって治癒魔法は使えるのだ。
急ぎ駆け寄り応急処置を施せば、サン・シーロ司祭の命を繋ぐことくらいはできたはずなのだ。
しかしイブシコは動かなかった。動けなかった。
武僧兵どもの眼前で治癒魔法を使ったならば、間違いなく身柄を拘束されてしまうからだ。
自分の素性がバレたなら、十年前に刑死したはずの元司教と知られたならば、今度こそ間違いなく処刑されてしまうからだ。
いやこの命など、今さら惜しいわけではない。
イブシコにとってはこの朝が、この朝を失うことが何よりも惜しかったのだ。
ポポラマとあの若き神とともにあれる時間が、優しさと美しさに満ち溢れたあの至福の時間が、何にも増して惜しかったのだ。
それがあまりに美しすぎて、それを失いたくなくて、いつまでもいつまでも失いたくなくて、それで完治していることを悟られぬよう過ごしてきたのだ。
「神よ、お許しください……」
だからイブシコは動けなかった。
だからサン・シーロ司祭を危うく死なせてしまうところだった。
それで神が自らやってきたのだ。
動けぬ自分に代わって、自らサン・シーロ司祭を治療しようとなされたのだ。
だからポポラマが動いたのだ。
あの神が自らの正体を明かそうとしたから、正体を明かしたならあの神はこの地を去ってしまうから、それで神に代わってポポラマが動いたのだ。
自らの危険も省みずに、あんな幼子が動いたのだ。
この自分のせいで!
この卑怯者のせいで!
自分が動かなかったせいで、あの子はこの地を去らねばならないのだ!
「私は愚かだ、世界一の愚か者だ、ああポポラマよ……」
城外市の小さな孤児院で。
心優しきポポラマがもう二度と来ない部屋で。
あの美しい神も、もう二度と訪れない部屋で。
その暗闇の中でただひとり。
イブシコはその小さな木窓を見つめていた。
あのモヒカン頭の神が毎朝やって来て、日の出とともに帰っていく、その木窓をじっと見つめていた。
もう神の訪れることのないその木窓を、ただ見つめることしかできなかった。
その時に。
トン。トン。
その木窓が微かに二度鳴ったのだ。
よほど耳を澄ませねば聞こえぬほどに弱く小さく、窓をノックする者がいたのだ。
「やはり起きていましたか」
「殿下?」
イブシコが弾かれたように木窓を開けると、そこにはあの少年が立っていた。
「あの、ポポラマちゃんがどうしてもって。院長先生のことをどうしても治療しなくちゃって」
暗がりの中、孤児院の門の外に立つ小さな影を見つけて。
「ポポラマ!」
イブシコは窓から飛び出すと、素足のままで駆け出したのだ。
「院長先生!」
「ポポラマ、おおお、ポポラマ……」
「院長先生、院長先生……」
その小さな背中をギュッと抱きしめるイブシコに。
「よかった、院長先生治ったのね、走れるのね、ポポラマの名前をちゃんと呼んでくれるのね……」
「ああ、ポポラマのお陰で治ったんだよ。ちゃんと元通りに治ったんだよ……」
「よかった、よかった、アタシ院長先生を置いて行けなくて、それでアタシ、それでアタシ、院長先生を、院長先生を、ううう、うえーん!」
「ああ、ちゃんと治ったから、ポポラマのお陰でこうしてちゃんと治ったから、もう心配はいらないから、私はもう大丈夫だから……」
「えーん、えーん!」
ポポラマは完治できたその安堵で泣きじゃくったのだ。
大好きだった院長先生のために頑張ってきたことが、今確かに報われたのだ。
そしてイブシコもまた泣いていた。
長年凍りついていた何かが、ポポラマの涙の熱さで溶かされて勝手に流れていくのだ。
「ボクたちはこのあと町を出ます。行き先は言えませんけど……」
「殿下、いいやリューへー君」
「はい」
「ポポラマを、私の娘をどうかよろしくお願いします」
「はい。ポポラマちゃんのことはどうかお任せください」
少年は少し微妙な表情で。
「まあ、あの兄様が一緒にいることですしね……」
「あの、院長先生、今ポポラマのことを私の娘って!」
「ああポポラマよ、私の自慢の娘よ、おまえとはしばらく会えなくなるけれど」
「院長先生、院長先生……、お、お父さん……、お父さん、お父さぁん! うえーん!」
「でも、ほんの少しの間だからね。いつかおまえが帰って来れるように、お父さんは頑張るからね、おまえが皆とまた笑って会えるように、お父さんは頑張るからね」
「えーん」
「さあ、もうお行き。空が明るくなってきたからね」
「ではボクたちはこれで。院長先生もどうかお体にお気をつけて」
「はい。どうかあの方にもお伝えください。深く感謝しておりますと」
「はい」
「そして、深く深く崇拝しておりますと」
「だからそれについては何度も説明したじゃないですか!」
少年はとたんに声を荒くして。
「ボクの兄様は神様なんかじゃありませんから! 絶対の絶対に違いますから!」
その少年と、何度も振り向いては何度も手を振るポポラマの姿が見えなくなって。
その頃には空もすっかり明るくなっていた。
東の空に太陽が顔を出し、世界がキラキラと輝きはじめたのだ。
それはイブシコにとって、生まれ変わったイブシコにとって、はじめて迎える朝であった。
それはイブシコが生まれてはじめて見る美しい朝であった。
長い長い夜が明けたのだ。
こうして今、かくも美しい世界が始まったのだ。
「神よ、ああ我が神よ、感謝致します!」
イブシコは膝を付き、神のまします方向に拝礼した。
そう。今この時に、あの神がいる場所に向かって。
つまりは。王都の大聖堂に向かって。
すると、まるでイブシコの祈りに応えるようにして。
キラッ。キラッ。キラッ……。
その方向に、鋭い閃光が六度走ったのだ。
ドーン。ドーン。ドーン……。
しばらくして、恐ろしげな轟音が六度鳴ったのだ。
それはポポラマの門出を祝福するような。
それは新しい朝の到来を祝福するような。
大聖堂が破壊されゆく音であった。




