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(43) サイゼリーナ

 ガストン・エンゲルス・フードリアは固く決意していた。

 我が娘がたとえどれほどボロボロになって現れたとしても、父親としてけして狼狽えた顔は見せまいと。

 なにせそこに囚われた者は皆心を病んでしまったという監獄塔である。

 そんな過酷な監獄塔で、我が娘はただひとり絶望の日々を送っていたのだ。


 デニース・ミラノ・フードリアは心を痛めていた。

 心身ともに傷付いた我が娘を、母親としてどう慰めどう励ましてあげたら良いものかと。

 なにせそこに囚われた者は皆枯木のように、老婆のように変貌してしまったという監獄塔である。

 そんな過酷な監獄塔で、我が娘はただひとり辛い日々を重ねてきたのだ。


 ロイホス・ミラノ・フードリアは溜め息を溢していた。

 姉上は、きっと性格がなおいっそうねじ曲がって帰ってくるに違いないぞと。

 なにせそこに囚われた者は皆大きく歪んでしまったという監獄塔である。

 公爵家の姫としてとことん甘やかされ、我儘放題であったあの姉上が耐えられる筈などないのだ。



 フードリア公爵領。

 王都から馬車で数日の距離とはいえ、伝書鳩ならばその距離を僅か一昼夜で飛んでくる。

 すなわち。

 王都の公爵邸から放たれ、昨夜この領都へと届けられたバーミヤの指示命令書。


『サイゼリーナを修道院から戻しなさい』


 かくして本日。

 サイゼリーナがこの公爵居城へと帰ってくることとなったのだ。

 配慮なくフードリア公爵家を政治的危機に晒したとして、女傑バーミヤによって修道院へと送られ、そこで一生涯を過ごすはずであったサイゼリーナが、なぜか急遽戻ってくる事となったのだ。


 その理由は知らされていない。

 しかしそれが鋼鉄の女傑バーミヤの決断である以上、単に情に流されてのことではない。そこにはなんらかの政治的意図、政治的意味があるに違いないのだ。

 しかし。


「よいかおまえたち。サイゼリーナがたとえどれほどボロボロに変わり果てて現れたとしても、けして驚いてはならんぞ」


「ええあなた。私、あの子がどんなに惨めで醜くくても、この胸に抱きしめてあげますわ」


「僕も。たとえ姉上にどんな心無いことを言われても、心を抉る酷いことを言われても、今日だけは黙って耐えてみせます」


 しかしこの公爵家の父と母と弟にとっては、サイゼリーナの解放が果たしていかなる政治的意図によるものなのか、まったく関心がなかったりする。



◇◆◇◆◇


「実はフードリアの一族ときたら愚物ばかりなのですよ」


「……」


「政治的センスが無いのはもちろん、人の持つ悪意にもまるで無頓着なのです」


「……」


「この私が嫁いで来た時分などはね、財産も権益も不忠の家臣どもに横領されまくられて、公爵家は破産寸前でしたのよ」


「……」


「それを私は何十年もかけて建て直して参りました。何十年も頑張って、漸くここまで建て直して参りましたのよ」


「あの、先公妃様……」


「あら他人行儀ですわね。どうか私のことは以前のようにバーミヤとお呼びください、殿下」


「いや、そんな、ボクは……」


「それにしても随分と御立派になられましたね、オータニウス殿下?」


 王都にあるフードリア公爵家の邸宅である。

 そもそもこの日、ここに呼ばれたのはガタナーであったのだ。

 仕事の依頼とその契約書を用意したからと、この公爵邸に呼び出されたのだ。

 ただし邸宅の警備上、同行者は一名のみにしろとの条件がつけられて。

 そうなるとその同行者は自然とこの少年になる。

 契約書の書面にもし何らかの罠があった場合、ガタナー商会でその罠を見破ることができるのはこの少年しかいないからだ。なぜか王国法に深い知識を持つこの少年より他にいないからだ。

 それで少年はガタナーと共にこの邸宅、この応接間へとやって来たのだ。

 そしてガタナーが別室へと呼ばれ、少年がただひとり残されたところへ突然邸宅の女主人、女傑バーミヤが現れたのだ。

 そして少年の正面にフワリと腰掛けると、獲物を見つけた女盗賊のようにニイッと笑ってみせたのだ。


「おほほほほ。見つけましたわよ、オータニウス殿下?」




「この私としたことがすっかり騙されてしまいましたわ。ガタナーの秘書にして周囲から『王子サマ』とも呼ばれている金髪碧眼の少年。本来ならば真っ先に怪しまれ疑われてしまう立ち位置ですのに、調べてみるとその正体は裏社会の顔役の隠し子にしてガタナーの甥っ子なんですもの。まったく随分と念入りに巧妙に煙幕をお張りになったものですわね。殿下のお側には余程の知恵者がいらっしゃるのねえ」 


「……」


「そしておそらく。その知恵者殿と殿下は大きな借りを作ってしまったのね。隠れ蓑として殿下を受け入れてくれたガタナー親子に対してね」


「え、親子?」


「あらこれはご存じなかったのかしら。実はあのチンピラさんはガタナーの息子なのよ」


「それは……」


「もちろんガタナーもあのチンピラさんも、自分たちの匿っているお方がまさかこの国の第二王子様なんて思ってもいないでしょうね。とくにあのチンピラさんときたら、日頃殿下のことをかなり理不尽で酷い目にあわせているとも聞いていますし」


「そ、それは……」


「そう。全てはその知恵者殿のたなごころの中。つまりはあの剛力無双の赤騎士殿、天下無双の剛力と神のごとき智謀とを合わせ持つスターダスト卿。これは彼の描いたシナリオなのですね」


「ち、智謀ぉ? そ、それは……」


「殿下、オータニウス殿下」


「はい……」


 もはや言い逃れはできぬと諦め顔の少年がこれに応えて。


「なんでしょうか、バーミヤ様」


「まずは謝罪を。エンゲルス王家に連なりながら、これまでレニーリン家の専横に黙して抗わなかった我がフードリア家の不忠、どうかこのバーミヤの首級くびひとつによってお納めくださいますよう」


「首級ってそんな!」


「その上で、殿下」


「はい……」


「殿下、端的に申し上げます」


「はい」


「殿下、オータニウス殿下。どうか何とぞ当家の娘を、サイゼリーナを貰ってくださいますよう、このとおり伏してお願い申し上げます」


「え、え、えええーッ!」



◇◆◇◆◇


「あらあらお父様、お母様、ロイホスも。まるで氷のようにカチコチに固まっていらっしゃって。何か余程驚くことでもあったのかしら」


「いやだってサイゼよ……」


 我が娘を前にして父は大きく狼狽えていた。

 なにせ久しぶりに再会した我が娘は、不幸の底でボロボロどころか光り輝くばかりの笑顔であったのだ。

 まるでこれまで過ごした幸福の日々が、その身の中に収まりきらぬとばかりにこぼれていたのだ。



「か、枯木は、老婆はどこなのかしら……」


 この娘を前にして母もまた言葉を失っていた。

 なにせ久しぶりに再会した我が娘は、過酷な暮らしで容色が衰えるどころか、朝の陽射しのように瑞々しく、咲く花のようにあでやかであったのだ。

 肩で切られた髪は巻かれもせずに真っ直ぐサラサラで、およそ貴族の令嬢らしくもないはずなのに、いっそどんな王侯よりも更に高貴に見えてしまうのだ。



「あらロイホス、シャツの衿が曲がってらしてよ」


「あ、あああ、姉上が優しくなってる!」


 我が姉にその衿を直されてロイホスは驚愕していた。

 なにせ甘やかされて我儘放題であったはずの姉は、身に降りかかった苦難によって性格がねじ曲がるどころか、以前にはなかった細やかな気配りすら身につけていたのだ。

 それも上辺だけではない。そこには弟への、家族への温かな親愛の情がたしかに感じられたのだから。



「ううむ、サイゼリーナよ、いったい何が……」


「サイゼ、あなた監獄塔で何が……」 


「姉上、なんで、どうして……」



 まるで葉虫が蝶に変るがごとくに。

 そこには父にも母にも弟にとっても、これまで見たこともない程の美姫がいたのだ。

 キラキラと輝く笑顔のサイゼリーナの前で、三体の氷像はしばらく溶けそうにもなかった。



◇◆◇◆◇


「なぜですか! 殿下にとってもこれはけして悪い話ではないはずです!」


 バーミヤは混乱していた。

 第二王子オータニウスが、まさかこの婚姻の申し出を言下に断るとは予想していなかったからだ。


 王権の簒奪を目論むレニーリン侯爵家。

 その野望が現実になろうとしている今この時に、王朝交代が目前となった今この時に。

 仮にも大貴族であるフードリア公爵家との繋がり強化を、オータニウスが断るものとは思いもしなかったのだ。


 眼前の第二王子オータニウスは、古着を纏って庶民に身をやつしている。裏社会の顔役の隠し子などと身分を偽ってまで市井へと紛れている。

 レニーリンの凶刃から逃れながら、さりとて遠国ではなくこの王都のすぐ近郊の貧民街に暮らしていたのだ。

 その身に王家の高貴な血を継ぎながら、こうして屈辱の日々に耐えていたのだ。


 それは何のためか?

 決まっている!


 いずれレニーリン家と対決し、あの第一王子を廃して次代の王として立つためではないのか。

 それも現王のような傀儡ではなく真の王者として、エンゲルス王家を復興するためではないのか。

 そのための雌伏ではないのか。

 であるならば!


「恐れながら! 当家ならば殿下の後ろ楯として不足はないはずです」


 それに少年は首を振った。

 まるで「自分にはフードリアの後ろ楯など必要ない」とでも言わんばかりに即座に首を振ったのだ。


「やはり殿下は当家では力不足とお考えなのですね。レニーリン家に抗するべく派閥を取りまとめるには、我がフードリア家では求心力が足りぬとお考えなのですね」


「え、いえ、そうではなくて……」


「ならばどうかご安心ください。当家ならば十分にその役割を果たせますゆえに。実は当家には殿下のためにお役に立てる、その確たる根拠があるのです」


「あの、ですからボクはそんなことなど……」


「うふふふふ。これを知れば殿下はきっと驚かれます。殿下はきっとお考えを改めてくださるはずです」


「あの、ですからボクは……」


「殿下よろしいですか、実は当家のサイゼリーナは」


「ですからボクは!」


「実はサイゼリーナは、古今に稀有なる大魔法士なのです!」


「はぁ……」


「にわかに信じては頂けぬとは承知しておりますが、これは真実です。我が孫娘サイゼリーナは誠に」


「あの、ですからボクは王位など……」


「サイゼリーナはなんと、一度に火球を四つも操ることのできる、史上空前の大魔法士なのです!」


「うーん、ちょっと違うんだけどな……」


 ボソリと呟いたその声はバーミヤには届かずに。


「これはけして嘘やまやかしではございません。当家のサイゼリーナは反レニーリンの派閥形成に必ずやお役に立てるはずなのです。ですから殿下」


「バーミヤ様」


「はい、殿下」


「ボクはサイゼ姉様を頂くことはできないのです。何があろうとも、それだけはできないのです」


「オータニウス殿下! どうか信じてください。当家のサイゼリーナは本当に火球を四つ……」


「バーミヤ様」


 しかしオータニウス王子は髪の毛程にも揺らぐことはなかった。


「あなたの言葉をけして疑うわけではございません。サイゼ姉様は真に稀有なる大魔法士でありましょう」


「ならば!」


「ですが、やはりそればかりはならぬのですよ」


「殿下……」


「バーミヤ様。ボクはフードリア公爵家が不忠とは思いません。バーミヤ様の首級など頂戴する謂れもございません。ましてや」


「殿下!」


「バーミヤ様、たとえ何があろうともそればかりはならぬのです。サイゼリーナ様は、ボクにとっては余人に変え難き姉上なのです。たとえ自在に操る火球が四つでなく七つであろうとも、史上最大の魔法士だとしても、こればかりはけして、けしてならぬのですよ」


「そんな!」


 思わず、バーミヤの声が荒くなってしまった。


「殿下、ここまできてハシゴをお外しになるのですか! 殿下の後ろ楯として反レニーリンの派閥を作らなければ当家は、フードリアはどうなるのです!」


「どうなりますか?」


「レニーリン一派によって、今後間違いなくありとあらゆる圧力が、ありとあらゆる無理難題が当家へと振りかかってくる事になります! 殿下を頂く派閥形成をお許し下さらぬのならば、多勢に無勢ならば当家は、フードリアはあっけなく潰されてしまいます」


 するとこの王子はそれを笑って。


「ああ大丈夫ですよ。その心配ならばまったく無用です。心配するだけ無駄というものです」


「しかし!」


「だってフードリア公爵家が潰されたとあらば、サイゼ姉様が悲しむではありませんか。ああ、どう考えてもそれは……」


 笑顔のまま、オータニウス王子はキッパリと断言したのだ。



「うん、ありえません。どんな圧力だろうが無理難題だろうが、サイゼ姉様を悲しませることなどできませんから。そんなことなど不可能ですから。あの方がそれを許すことなど、それだけは絶対の絶対にありえませんから」



◇◆◇◆◇


「お父様、お母様、ロイホス。いかがですか、面白いでしょう?」


「う……」


「あ……」


「あああ……」


 そこには輝く笑顔のサイゼリーナと、更に固まった三つの氷像。


「ワタクシ、今日のために練習しましたのよ? どうですか、余興としてちょっとしたモノでしょう?」


「うぅ……」


「あぁ……」


「あああぁ……」


「うふふふふふ、そぉれ、そぉれ!」


 満面の笑顔のサイゼリーナの前で、三体の氷像はなお一層言葉を失っていた。

 なにせ眼前のそれは「ちょっとしたモノ」どころではなかったのだ。


「炎の、魔法……」


「しかも、無詠唱で……」


「か、火球が七つも……」


「うふふふふふ、そぉれ、そぉれ、そぉれ!」


 ガストン公爵、デニース公爵妃、ロイホス公子。

 もはや石像と化した三人の眼前で、七つの火球が踊っていたのだ。

 たとえ王国一番の魔法士とて二つと出せぬはずの火球が。

 長時間の精神統一も、長々とした詠唱もなく突然現れた七つの火球が。

 サイゼリーナの周囲をユラリユラリ、ピョンピョンユラリと舞っていたのだ。



「サイゼリーナよ、我が娘よ……」


「サイゼ、あなたいったい……」


「姉上、いったい何があったのですか……」


 バーミヤをして「政治的センスがない」と言わしめたフードリア家の父と母と息子である。

 その三人にしても、容易く見通せるひとつの未来図があったのだ。


「こ、これはえらいことになるぞ……」


「サイゼが、サイゼが、まさかこんな凄い魔法士になるなんて……」


「姉上、こんなの王国が揺れますよぅ……」


「あらあら、これで喜んで頂けないなんて手強いですわね。では頑張って火球をもう少し増やしてみましょうか」


「え?」


「は?」


「うへ?」





「おほほほほ、お父様、お母様、ロイホス、どうですか、両手の指の数の炎ですわよ。炎十個のダンスですわよ。どうですか、これならば楽しくなって来ませんか?」


※この国の姓名について


①平民→ファーストネームのみ。(例)サダナー、ポポラマなど。


②上級市民や騎士階級→ファーストネーム+家名。(例)シェイン・ブラック、ターナ・シーハなど。

実はガタナーさんも上級市民となった際に新たに家名を届け出しています。しかし商号は『ガタナー商会』のまま今後も変更する積りがないようです。


③貴族や王族→ファーストネーム+母姓+家名。(例)マルクゥズ・レニーリン・エンゲルスなど。

ミドルネームの母姓とは母親の実家の家名です。「俺様のバックには母の実家の○○家もついているぞ」みたいな意味でのミドルネームなので、母方の一族が消滅してしまったオータニウス王子はミドルネームを名乗れないのです。

なお女性の場合、嫁入りによって実家の家名がミドルネームに繰り上がります。

(例)仮にサイゼリーナ・ミラノ・フードリアが貴族のサイトー家に嫁入りした場合、サイゼリーナ・(ミラノ)・フードリア・サイトーとなります。

もちろんサイトー家が貴族でなかった場合、ミドルネームは名乗れません。

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