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(41) 約束

 王都のフードリア公爵家邸宅。


 この邸宅の主バーミヤと、ガタナーとの会談は極短時間のうちに終わった。


 女主人はその間とうとう一言も発しなかったし、ガタナーも指名商会認可への型通りのお礼を述べただけで退出したのだ。

 しかし。

 この会談には、本来もうひとつ重要な目的があったはずなのだ。


「シェイン」


「は」


「これはどういうことなのかしら?」


「は」


「あなたがどうしてもと言うから、ガタナーに会ってあげたのよ」


「は」


「たしか私に証明してくれるのですよね? ガタナー商会が天意とやらに守られていることを。ガタナー商会がフードリアに大きな富と栄光をもたらしてくれることを」


「はい」


「結局、そんな証明なんて何もなかったわね。あなたとしたことが、あの男のハッタリにまんまと乗せられたのかしら?」


「ガタナーはハッタリなど言いません」


「あら」


「ガタナーは誰よりも正直な男なのです」


「ふうん。裏社会から入手した盗品を国王に貢納した男が正直ねぇ」


「ガタナーは盗品などに手を出しません。そんな男であれば、商人としてもっと早くに頭角を出していた筈ですから」


「へえ。シェインあなた、ずいぶんとあの男のことを買ってるのねぇ」


「奥方様」


「なあに」


「私はかつてよこしまな者たちに陥れられ、この世の中がひどく汚れていることを知りました。その汚れた世の中で、私自身もこれまでずいぶんと手を汚してきました」


「そうね」


「この世界には正義などはない。この世界の神は、人間などに関心をお持ちではないのだ、そう信じてやってきたのです」


「そうね。神様にとっては人間世界のことなんかどうでもいい、それはまったく正しい認識だわ。そして現にあなたのその認識が正しいからこそ、ブラック商会はここまで大きくなれた」


「それでも」


「うん?」


「もしも、もしも神が……」


「シェイン、何を」


「もしも神がおいでなら、もしも神がこの汚れた世の中を憂いているならば、もしも神が心の正しい誰かに目をお掛け下さるのならば、天意が誰かを守るとしたならば、その誰かとはガタナーです。ガタナーという男は、あいつはそういう男なんです!」


「でも、もう終わったのよ?」


「奥方様……」


「ガタナーにはチャンスを与えたわ。せっかく時間を割いて会ってあげたのだから、証明できるものならすればよかったのよ。でも何もなかった。ふつうに挨拶を済ませただけで帰って行ったわ」


「く……」


「まあ貴族に指名商会の認可を貰っておいて、その手土産がこんなみすぼらしい菓子折りひとつなんて、ちっとも普通ではないけれど」


 バーミヤはガタナーの置いていった包みを開けて。


「こんな庶民の食べるような、砂糖も使っていない焼き菓子なんて、よくもまあ持ってこれたものね。フードリアはそれだけ軽く見られているのかしら」


「く……」


「まあ約束は約束よ? ガタナーには天意とやらの証明の機会は与えたわ。でも証明できなかったからには指名商会を辞退してもらうわ。いいわね、シェイン。ガタナーにはあなたが責任を持っていい含めて頂戴ね」


「はい、奥方様……」


「さあこれで今度こそ、ガタナー商会は解決済っと」


 バーミヤはその焼き菓子をデスク上の「解決済」ボックスへとバラバラと放り込んで……。


「あら?」


「奥方様!」


 菓子箱の中からヒラヒラと落ちてきた紙片を見つけてしまったのだ。


「この紙切れはなにかしら、何か書いてあるわね……、蔵書室?」


 ガタナーの持参した安物の菓子折り。

 その箱の中にあった紙片。

 そこに書かれている「蔵書室」の文字。

 無言のまま、それをしばらく見つめていたバーミヤだったが。


「奥方様」


「ふう、仕方ないわね……。誰か、誰か蔵書室の鍵を持ってきて頂戴」


 席を立つと、シェインとともにこの邸宅の蔵書室へと向かったのだった。


 そう。

 この邸宅には、公爵家の者のみが利用できる蔵書室がある。

 貴重な書物もあるために、施錠されて管理されている蔵書室である。

 その部屋の存在を、市井の一零細商人であるガタナーが知っているのはいかにも不自然であったのだ。

 それでバーミヤが鍵を開け扉を開くと、そこには。


「なによこれはッ!」


「ガタナーよ……、おまえ、やはり……」


 施錠されて公爵家の者以外には開けられぬ筈の蔵書室。

 そもそも外部の者にはその存在すら知られていない筈の蔵書室。

 その中にまるで無造作に置かれていたのだ。

 ドカンと、巨大なものが置かれていたのだ。

 そう。熊程にも巨大なものが、まるで無造作に。


「首……、ドラゴンの首ですって……?」


 それは熊程にも巨大な首であった。

 この地上世界においておそらくは最強の怪物、ドラゴンの首であった。

 それこそ一夜にして国を滅ぼすほどの、世にも恐ろしい怪物の首であった。

 そして更には。


「これって、アレと同じものよね……」


「は、はい。謎の赤騎士スターダスト卿が王宮に置いて去った、九つの首と同じものかと……」


「スターダスト、あの嘘みたいに強くて美しい騎士……」


「はい。強く、曲がらず、世の中の正義を体現したような騎士様でした……」


「つまりあの騎士が、まるで人間とは思えないようなあの騎士が、まるで神か聖天使様のようなあの騎士が、ガタナー商会の……」


「……」


「……」


「奥方様ッ」


「シェイン、ガタナーを! 今すぐガタナーを呼び戻して頂戴ッ!」


「はい奥方様、只今すぐに!」


「なんてこと、ああなんてことなの、本当にあの男は、ガタナーは……」


 そしてこのとき初めて。

 王宮、神剣、ガタナー商会、神の如き騎士スターダスト卿、行方不明の第二王子……。

 謎の断片がバーミヤの中でカチリと一つに繋がったのだ。


「ガタナーは本当に天意に守られていたんだわ……。あのときの騎士はエンゲルス王家ではなく、はじめからガタナーを助けるために来ていたんだわ。つまり、つまり……、ああなんてこと!」


 バーミヤはついに恐ろしい真実に辿り着いたのだった。



「ああなんてこと……。あの騎士も、オータニウス殿下も、ガタナーのすぐ近くにいるんだわ!」



◇◆◇◆◇


 同時刻。

 フードリアの邸宅から程近い王都大聖堂。


「ケニーガ副司教、君のレポートは読ませてもらったよ。蘇った多頭のドラゴン、それと再度戦い再度勝利した赤騎士。いやはや大胆な仮説ではあるが、現場に残された証拠はすべて君の仮説を裏付けるものだ。誠に興味深く、誠に見事なレポートだった」


「恐れ入ります、大司教様」


「君の指摘したとおり、光柱現場の魔力残滓と王宮の九つの首の魔力紋は見事に一致したし、現場の破壊の跡からもあの多頭のドラゴンが蘇ったとみてまず間違いあるまい。そして剣も魔法も通用せぬドラゴンと戦い、これに勝利する者がいるとしたら、それはあの神の如き赤騎士を置いて他にはおらぬだろう」


「はい。私もまさにそのように考えた次第でございます」


「ならばこの件は落着だな」


「え、お待ちください! まだ赤騎士の正体が掴めておりません。彼奴かやつが果たして教会に仇成す存在かどうかは……」


「よいのだ」


「しかし」


「ふむ……。ケニーガ副司教、やはり君には伝えておくべきだな」


「はッ。なんでしょうか」


「あの赤騎士の正体は、既にもう分かっておるのだよ」


「なんと!」


「これはな、教会でも司教以上で共有されている最高レベルの秘匿事項なのだがね」


「はい」


「謎の赤騎士、ドラゴン殺しのスターダスト卿。実はその正体とは聖天使様なのだよ」


「え、しかし、しかし、まさかそんなッ!」


「色こそ違うがね、あの見事な鎧は聖天使様の鎧と同じものなのだよ」


「赤騎士の正体が聖天使様……」


「ああ、間違いない。私自身もね、十年前に聖天使様が降臨なされたときにはこの目で見ているのだよ。あのときの赤騎士スターダスト卿は、たしかに聖天使様と同じお姿だったのだ」


「……」


「まあともかく」


 大司教は満足そうに頷いて。


「ケニーガ副司教よ、君程の知恵者にはそれに相応しい地位を用意して報いねばなるまい」


「は、ははッ」


「喜びたまえ。次の人事会議で、君を司教位に推そうではないか」


「はッ、ははーッ。有難き幸せにございます!」


「君の若さで司教位は異例の出世だな。もっとも、司教位就任の最年少記録は十年前の……」


「大司教様」


「おっと失礼。君と亡くなった者とを比較するつもりはないのだよ」


「大司教様、私は彼奴かやつとは違います。私はけして大司教様を裏切ったりは致しませぬゆえ」


「うむ。ケニーガ副司教よ。その忠節その知恵を以て、これからも私に尽くしてくれたまえ。私はいずれこの教会組織の頂点に立ってみせる。そのとき、この大聖堂の主となっているのは私の腹心、私の右腕たる人物だ。つまりは」


「ははーッ」


「期待しているよ、我が右腕ケニーガ司教・・。この大司教冠はいずれ君の物となるのだ。君が私を裏切らぬ限りはね」




「うおおお、やった、ついにやったぞ! この私がついに、ついに司教様だ! そしていずれは大司教様だ!」


 自分の執務室へと戻り、ドアに施錠したと同時に。

 ケニーガは拳を突き上げた。

 しかもこの教区、王国リッカ・コターナの王都大司教とは単なる高位聖職者ではない。教皇位選挙の際には、その有力候補者ともなりうる存在なのだ。


「ふはははは、ついに見えて来たではないか。私の出世の道が、明々(あかあか)と見えて来たではないか!」


 そう、この日。

 ケニーガの出世街道ははっきりと照らされたのだ。

 あの得難い松明によって。

 その生命と引き換えに叡智を燃やす、かつての友によって。

 その叡智と人望によってみるみるうちに異例の出世を遂げ、羨望と妬みと嫉みの業火で毎夜毎夜にこの身を焼いてくれた、かつての友によって。

 かつてケニーガが異端者として告発し、処刑台へと送った、かつての友によって。

 いつかその知恵を利用せんものと、密かに貧民街の修道院へとかくまっていた、かつての友イブシコ司教によって。



「ふ、ふはは、ふははははは……」


 その暗い愉悦にケニーガが唇を歪めたときだった。


「よお、ずいぶんとご機嫌だな」


「な、何者だッ」


 施錠され誰も入れないはずのケニーガの執務室、そこにいた者。

 副司教の大きなデスクの上に、無遠慮に腰掛けている人物、それは。


「あ、赤騎士だと……」


 真紅の全身鎧を身に纏った、あの美しい騎士であったのだ。


「赤……、いや聖天使様!」


 すかさず膝を付き、最敬礼の姿勢をとったケニーガに。


「ん、またそれかよ。それは人違いだぞ。俺は聖天使とやらではないから」


「え、しかし」


「鎧が似てるだけで別人なんだよ。俺はその聖天使さんには会ったこともねえし」


「別人……。すると教会上層部は皆、考え違いを……」


「そういう勘違いをされたくないから、わざわざ赤色に変えて貰ったんだがなぁ」


「で、ではスターダスト卿よ、貴公が聖天使様ではないとしたらいったい何用で参られた? ここは神聖なる聖殿なるぞ。いかに剛勇無双の騎士とはいえ世俗の者が配慮なく踏み込んでよい場所ではないぞ!」


「ああ? 配慮なく踏み込んできたのはそっちだろ、ケニーガ副司教さんよ」


「なんだと」


「アンタ、俺のことをいろいろと嗅ぎまわってるそうだな」


「貴様ッ、どこでそれを!」


 虚を突かれ、ケニーガは混乱した。

 たしかに自分は赤騎士の正体を探ろうとは思った。

 しかしこれから探る積りではあったが、実際にそれを行動に移したわけではないのだ。

 ケニーガが赤騎士の正体を探ろうと思ったこと、それを知るのはこの世界でただ一人、あのイブシコだけなのだ。

 多頭のドラゴンの復活を言い当て、そのドラゴンとこの赤騎士が再度戦ったことをも指摘した、あのイブシコだけなのだ。


 しかしそのイブシコが誰かに漏らす訳などない。

 そう、誰かに漏らすことなどイブシコには絶対に無理なのだ。

 異端審問官の拷問によって頭部に治癒不可能な損傷を負い、僅かに残されていた大賢者の叡智すらケニーガによって封印されていたのだから。

 今のイブシコはかつての若き司教ではない。

 不世出とも称えられた大賢者でもない。

 知恵も言葉もない惨めな生けるしかばね、その生命が燃え尽きるまで利用される一本の松明に過ぎぬのだから。


(イブシコが漏らしておらぬとすれば……)


 ケニーガには結論はひとつしかなかった。


「邪神か……」


 地上最強の怪物、多頭のドラゴンと二度戦って二度勝利し、完全武装の王国近衛兵すら容易くねじ伏せたその戦闘力。

 誰も知らぬはずのイブシコとのやり取りを透かし見た神の如き超常の力。

 あの聖天使様と同等の鎧を持ち、しかも聖天使と間違えられたくはない者……。


「そうか、貴様は邪神なのだな?」


「ん、なんだよおまえ、エーロクみたいなことを言い出して……。ま、いっか。そんなことよりさ」


「き、貴様、さてはこの私を消しに来たのか」


 神と同等の戦闘力を持つ邪神、その邪神がケニーガの元に姿を現した理由はそれ以外には考えられなかったのだ。


「聖天使様を装い教会を欺いた貴様が、この私に真実を告げた。つまり私はここで貴様によって殺されるのだな」


「あー、違う違う」


 しかし眼前の邪神はフルフルと首を振って。


「俺は別に殺人鬼じゃねえんだ。まだ光ってもいない奴をどうこうする積もりなんてないから」


「そうか……」


 ケニーガは生命の危険がないと知ってひとまず安堵した。

 おそらくこの邪神は、何かのルールによって縛られているのだ。

 おそらくはこの神のまします大聖堂の中で、神の下僕たる自分には手出しなどできぬのだ。


「では邪神よ、招かざる客よ、ここへは何用で参られた。この神の忠実なる下僕しもべケニーガに、いかなる誘惑をしに参ったのだ?」


「うん、単刀直入に言う。こちらの要求はひとつだけだ」


「言ってみるがいい」


「おまえさ、もう城外市には来るな」


「邪神め、この神の忠実なる下僕ケニーガが、邪神の要求など聞きいれるとでも思うのか」


「むろんタダとは言わんさ。おまえが城外市にもう二度と来ないと約束してくれたなら」


 赤い邪神は虚空から、巨大な何かを取り出して。


「これを呉れてやる」


 まるで無造作に、ドガンと目の前に置いたのだ。

 それは熊程にも巨大な。


「首……、ドラゴンの首だと……?」


 それは熊程にも巨大な首であった。

 おそらくはこの地上世界で最強の怪物、ドラゴンの首であった。

 それこそ一夜にして国を滅ぼすほどの、恐ろしい怪物の首であった。

 そして更には。


「これは王宮に残された、そしてあそこで復活したというアレと同じ……」


「ああ。俺が前に王様にやった、そして生き返ってもう一度やっつけたドラゴンだよ」


「これが……」


「さてどうする? アンタが約束してくれるなら、この首はアンタの物だぞ?」


 ゴクリ。

 ケニーガが唾を飲む。

 これはケニーガの人生にとって、最大の分岐点なのだ。


 リッカ・コターナの王都大司教の腹心として、次期司教の地位を約束されてはいる。

 しかしその先は、自分がそれ以上の地位に就くためには、もうひとつ決め手が足りない。

 大司教の口約束だけでは足りないのだ。


 派閥の長であるあの大司教を教皇に押し上げるための決め手が。

 そして教皇となったあの大司教が翻意することなく、この自分を新たなる大司教に指名するための決め手が。

 その決め手が今こうして、ケニーガの眼前に置かれているのだ。


「うむ、分かった。その申し出を受けよう」


 ケニーガが頷いた次の瞬間に。


(約束、破るなよ?)


 声を残して赤い邪神は消えていた。

 そこに巨大なドラゴンの首をひとつ残したままで。

 開け放たれた窓からの風が、ケニーガの法衣をヒラヒラと揺らした。



「誰か、誰かある!」


 ケニーガは部下を何人か呼ぶと、自室の扉を見張っておくように命じた。


「よいか、誰もここへは近づけるな。それと今日の予定は全てキャンセルする。まずは大司教様に伝言だ。重要かつ至急の話があるとお伝えしろ。それから……」


ケニーガは狡猾そうに唇を歪めて。


「馬車と護衛の用意をしておけ。大司教様との面談が済み次第、私は城外市に向う」


 そう。

 ケニーガにとって今何よりも優先するべきは、あの邪神の弱みを握ることなのだ。

 あの邪神の縛られているルールを正確に把握すること、それにはイブシコの知恵が必要だったのだ。

 だからイブシコの身柄の確保こそは絶対に優先するべき事項であった。

 イブシコをここへ連れて来て拘束し、たとえ何をしてでも知恵を引き出してあの邪神の弱みを握る。

 あの貧民街の、取るに足りないガキどもの生命がイブシコを縛る枷であるように、うまくいけば邪神にとっての人質すら確保できるかもしれないのだ。


「さあいよいよだ、いよいよ俺の運が開けて来たのだ」


 ケニーガは煌々と眩いほどに照らされた己の出世街道を幻視した。

「あの赤騎士が自らケニーガの元を訪れて、ドラゴンの首を残して去った」

 これを報告したならば、教会上層部が果たして何を思い、何を考えるか。


(なにしろ教会上層部は皆、あの邪神を聖天使様だと思いこんでいるのだ)


 つまり。

 ケニーガは聖天使様に直接選ばれた、唯一の聖職者と認定されるに違いないのだ。

 あの大司教の腹心どころか、教会組織全体にとって唯一無二の存在となるに違いないのだ。

 それはすなわち。


「我が道の終着点か……」


 むろんそれは組織の頂点である。

 信徒百万の上に君臨する至高なる存在、神聖冠の持ち主である。


「ふはははは、いよいよ見えて来たではないか!」




「ううむ、信じられぬ、君の元に聖天使様が降臨されたとは……」


「大司教様、このケニーガは大司教様の忠実なる下僕にございます。けして大司教様を謀るようなことは致しませぬ」


「しかし、しかし……」


「施錠されていたこの私の執務室に、赤騎士がいたのです。そしてこの私に祝福を下だされて朝露の如く消えたのです」


「むろん私とて君の忠節と知恵を疑うワケではないが……」


「はい。そこでその赤騎士殿は、この私にある宝物を残して行ったのです」


「ふむ、宝物であるか」


「はい。その宝物を一目見て頂けたならば、私の言が真実であることは誰の目にも明らかかと」


「ふむ、聖天使様が降臨された確かなる物証か」


「はい。そしてこれを誰よりも先に、いち早く大司教様にご覧に入れるのは」


 ケニーガがガチャリと鍵を開けて。


「大司教様への、このケニーガの忠節の証でもあります!」


 自室の扉を開くとそこには。



「ほう。なるほど、これは見事な……」


「!」


 そこには宝箱がひとつ置かれていたのだ。


「ふむ……。宝石が散りばめられて、この宝箱自体が国宝にも優る見事な宝であるな。なるほど、これ程の宝箱であるならば、聖天使様がここに降臨なされた証とも言えよう」


「は、はい……」


 ケニーガは予想外のできごとに混乱していた。

 あの邪神がここに残したものはこの宝箱などではない。

 ここにあるべきは恐ろしい怪物、多頭のドラゴンの首なのだ。

 大司教にドラゴンの首を見せて驚かせ、このケニーガと聖天使との繋がりを強く強く印象付ける予定だったのだ。


「これだけの宝箱だ。いやあこれは中身にも期待してしまうねえ」


 その大司教が喜色とともに宝箱へと手を延ばす。


(約束、破るなよ?)


「あッ」


 ケニーガは不意に嫌な予感に襲われた。

 あの赤騎士。

 聖天使ならざる赤き邪神。

 その邪神と取引したことは、約定を交わしてしまったことは、やはり大きな間違いではなかったのか。


「さあて、聖天使様が下されたのはどんな宝物なのかな……」


 ケニーガには制止する暇も無かった。

 大司教が豪華な宝箱へと無邪気に触れて、それをパカリと開けた瞬間に。



『ベロベロベロベロ、残念でしたぁ~ッ! 宝箱じゃなくてミミックでしたぁ~ッ!』



 大司教は突然現れた魔物にベロンと顔を舐められて。


 更には。


「そいやッ」


 ケニーガ自身もチョップのような衝撃を首筋に受けて。


「ぐ、いったい、何が……」


 プツリと意識を失ってしまったのだった。




「ぐ……、どこだ、ここは……」


 目覚めたケニーガがまず目にしたのは、血のように赤い空だった。

 ケニーガはひとり、土の上に寝ていた。

 そこは大司教にお供して訪れたことのある、あの光柱の現れた王都郊外の川辺であった。


「夕刻なのか? たしか私は大司教様と一緒にいて……、そうだ、あの邪神め!」


 ケニーガは立ち上がると法衣の土を払った。


「邪神め、邪神め、この私をよくも謀ってくれたな! 許さぬぞ、絶対に許さぬぞ!」


 ケニーガはその拳を固く握った。

 かくなる上は、あの卑劣な赤騎士を邪神として告発してやるのだ。

 あの赤騎士が聖天使などではなく、実は邪神であったことを明かしてやるのだ。

 その正体について、未だ誤解している上層部を説得する勝算ならばある。

 なにしろ一介の副司教ならばともかく、司教の発言ならば相応に重いのだ。

 この司教ケニーガが、あの赤騎士を教会に仇成す邪神として正式に告発してやるのだ。


「邪神め、おまえの弱みは知っておるぞ。城外市に手出しするなと言うからにはおまえの弱みは城外市に、ガタナー商会にあるのだろう。必ずや掴んでみせるぞ、そして必ずやこの報いを受けて貰うぞ!」


 どす黒い血のような茜空の下を馬車もなく徒歩にて進み、ようやく城門へと至ったときに。


「見つけたぞ、ケニーガ副司教。いやケニーガであるな!」


 ケニーガは武装した教会捕縛官たちに取り囲まれたのだ。


「なんだおまえたちは、高位聖職者に対して礼をわきまえんか!」


「ケニーガよ、異端者ケニーガよ、神妙に縛につけ。おまえを逮捕する」


「たた、逮捕だと? この私が、次期司教たるこの私が異端者だと? ええい、いったい誰がそのような馬鹿げた告発を! この無礼者めらが! よいかおまえたち、この私に手出しすれば大司教様が黙ってはおらぬぞ!」


「ええい抵抗するな、おとなしく縛につくのだ! 貴様を異端者として告発したのはその大司教猊下であるぞ!」


「なッ……」


「神聖なる大聖堂へと魔物をば引き込み、畏れ多くも大司教猊下を害せんとした異端者め、卑劣な背教者め。我ら教会の敵となったこと、神の敵となったこと、きっとその身に思い知らせてくれようぞ!」


「待て、待ってくれ、これは邪神のッ!」


 ケニーガの頭上で茜の空がどんどん暗くなっていく。

 そう。

 ケニーガの出世街道が、ケニーガの人生そのものがみるみるうちに暗転していくのだ。


「私は、私は次の司教で、いずれはこの王都の大司教で、そしてやがては、やがては教会信徒百万の……」


 もはや栄光の未来などどこにもなかった。

 それどころか、副司教としての現在すらもなかった。

 ケニーガは捕縛官によって副司教の法衣とロザリオを奪われて、素足の罪人となって拷問室へと引かれて行くのだ。



「う、あああ……、これは、これは違うのだ……、何かの、何かの間違いなのだ……、私は、私は、私はいずれ……」



◇◆◇◆◇


「へへへへ……。へへへへ、ウへへへへ……」


「え、タカギさん?」


「ああ、高木さんはまだ余韻に浸っているから」





「余韻ってまさかッ、まさか兄様、またどこかでッ!」


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