(40) 友情
「やあ、待たせてしまったかな」
王都の倉庫街。
王国でも屈指の大商会、ブラック商会の持ち倉庫で。
「いやこちらこそ、急に呼び出したりして、すまない」
「なあに、ちょうどよかったよ。今日はたまたま近くで用事があったものでね」
「そうか」
呼び出した髭の男は、腹に一発食らったような気分になった。
それがどんな用事だったのか、よく知っていたからだ。
「この辺も随分と変わってしまったねえ」
なのに、その男はニコニコといつもと変わらぬ顔で。
「倉庫もこんなに大きくなってしまった。ねえ、覚えているかい?」
「なんだ」
「僕らが徒弟のときは、ブラック商会の倉庫なんてさ」
「ああ。古くて小さくて、おまけに雨漏りまでしたな」
「そうそう。それが今ではこんなに立派な倉庫だよ。いやあ君の手腕は、本当にたいしたものだよ」
「ガタナー、おまえは……」
髭の男、シェインは呻くように。
「ガタナー、おまえは俺のことを罵らないのか? おまえが今日こうして王都を出ていくハメになったのは、この俺のせいなんだぞ? おまえを王都から追放して、商人として終わらせたのは、この俺なんだぞ?」
「お嬢様は」
ガタナーの表情は変わらなかった。
この男によって、このシェイン・ブラックによって、王都での商売ができなくなったのにも関わらず。
そう。
ガタナーは今日ここへ来る前に王都の事務所を畳み、その後始末をしてきたのだ。
「ワタミンお嬢様は、元気かい?」
「ああ元気だよ。とはいえ、ここ最近は口を聞いてもくれないがね……。さすがに今回の事で、すっかり嫌われてしまったみたいだ」
シェインは自嘲するように。
「きっと、後悔しているのだろうな。あのときおまえを選ばなかったことを。こんな冷血な男と一緒になってしまったことを」
「君は冷血なんかじゃないさ。君は商人として大成功してからも、僕のことをずっと気に掛けていてくれた。貧しくて市民権も買えない僕のことを、ずっと誘い続けていてくれた」
「でもおまえは、とうとう戻ってきてはくれなかった……」
「ははは。今さら戻れる筈ないだろう? 僕はあのとき、君が一番の窮地にあるときに何も出来なかったんだから」
「あれは俺がしくじっただけさ。そう、俺が馬鹿だったんだ」
シェインは若き日の苦さを噛みしめるように。
「あのときの俺は焦っていたんだ。ワタミンが俺を選んだことが間違いでないことを証明したくて、どうしても特認商人になりたくて、それで借金をして貢納品を買って……」
「結果、君は投獄されてしまった。王様に石ころを贈った不敬の罪に問われて、財産も根こそぎ没収されてしまった」
「俺が馬鹿だったんだよ、世の中の仕組みも知らないこの愚か者のせいで、ワタミンにはずいぶんと苦労を掛けてしまった」
「でも今の君はここにいる。王国屈指の大商会の会頭として、特認商人としても認められて、こんなに大きくて立派な倉庫も手に入れて。全部、君に実力があったからだよ」
「実力なんかであるものか。俺はただ運が良かっただけさ。何もかも失った俺に、たまたま声を掛けてくれたお方がいた。この命を、拾い上げてくれたお方がいた」
「うん」
「ああ、だからこそ俺は決めたんだ。俺のこの命はあの方のために捧げると、あの時に決めたんだ」
「うん」
「なあガタナーよ、なぜだ、なぜなのだ? なぜ、よりにもよってフードリアなのだ?」
「さあて、それは僕にも分からないよ。だってフードリア公爵家との縁は」
ガタナーは大司教のような微笑みを浮かべて。
「この縁は天意なのだから」
「ふざけるな、ガタナー!」
シェインは激昂して叫んだ。
「何が天意だ、今回のことでどれだけフードリアの怒りを買ったのか、おまえにはまだ分からないのか! おかげでおまえは王都を追放されて、商人として死んだも同然で、あまつさえ、あまつさえ……」
(あやうく息子の命まで……)
「ガタナーよ、おまえはフードリアに触れるべきではなかったのだ!」
「それでもね、シェイン」
しかしガタナーの表情は揺らがなかった。
「たとえ王都で商売ができなくなったとしても、たとえこの先どんな困難があったとしても、ガタナー商会がフードリア公爵家と縁を持てたのは天意なんだよ」
「おまえは狂ってる……」
「シェイン、私もね、この命を拾われたんだ。だから私も決めたんだよ。私のこの命はあの方のために捧げると。この命は天意に捧げると、その時に決めたんだよ」
「何が天意だ!」
シェインは再度叫ぶ。
「おまえが谷底に落ちた自分の境遇を、天意と呼び納得するのはいいさ。しかしおまえの巻沿いで谷底に落とされるフードリアはどうする! おまえがフードリアに仇成せば、俺は、俺は、おまえの敵になるんだぞ!」
「シェイン」
しかし、それでもガタナーは揺らがなかった。
「シェイン、君は私の敵にはならないよ。私はフードリアの敵ではないからね」
「しかし、しかし! 現に今、フードリアは危機に晒されているのだぞ!」
「私には確信があるんだよ。この縁はね、あの方が結んでくれたこの縁はね、いずれフードリア公爵家に大きな富と大きな栄光をもたらすことになると思うんだ。だからね、シェイン、私は君の敵にはならないよ」
「ならばガタナー!」
シェインは血を吐くように。
「ガタナーよ、おまえはそれを証明してみせろ!」
そして、魂を吐くように叫んだのだ。
「証明してみせろ! ガタナー商会がたしかに天意に守られていることを! ガタナー商会がフードリアに富と栄光をもたらすことを! それをバーミヤ様に証明してみせろ!」
その魂の叫びに、王都を追放された商人は。
「分かった。ありがとう、シェイン」
彼を追放した商人に、晴れやかな顔で笑ってみせたのだ。
「やっぱり君は昔と変わらず優しい男だね。お嬢様が君を選んでくれて、本当に、本当によかったと思うよ」
◇◆◇◆◇
ポツリ、またポツリと雨粒が降ってきた。
パラパラ、タタタタ……と強くなる雨に、外で遊んでいた子供たちが孤児院へと駆け込んでくると。
「あ、院長先生、すみません、洗い物を取り込んでくれたんですね。籠を持ちます」
「ん、んんー」
院長は当番の子の申し出を優しく断って、そのままヒョコヒョコと足を引き摺りながら籠を持っていく。
「あははは」
その仕草が滑稽だったのか、おどけた男の子がその歩き方を真似ると。
「おいッ」
「痛ッ」
年長の子にドンと肩を小突かれたのだ。
さっきまで一緒に笑って遊んでいたはずの年長の子が、怖い顔をしていたのだ。
「おい、院長先生を馬鹿にするようなことは二度とするな。いいか、次にやったらぶっ飛ばすからな」
「う、うん」
叱られた少年は訳がわからなかった。
あの院長は頭が弱くて言葉も話せない。
いつもボンヤリと笑いながら、足を引き摺りながら、ここで掃除をしたり洗濯をしたり食事の用意をしている。
そういう弱者は笑われても当然なのだ。
町でそういう者を見かけたならば、あの年長の子だって一緒になって笑ったはずなのだ。
それなのに。
突然叱られたことに混乱して、泣きそうになった子に。
「ホラ元気出しな。あいつもさ、前に同じことをやって、お兄ちゃんたちに同じことを言われて叱られてんのよ」
「え」
「でもね。ここで暮らしていく以上、あの院長先生を笑ったり、馬鹿にするような事は絶対にしちゃダメよ。いーい? 今度やったらお姉ちゃんもアンタのことぶっ飛ばすからね?」
「う、うん、分かったよ……」
こうしてこの少年もまたルールを学ぶのだ。
この孤児院に受け継がれている絶対のルールを。
そしていつか知ることになるのだ。
この場所が、本来は孤児院などではないということを。
ここは本来は孤児院などではなく、あの院長が、孤児たちに同居を許しているだけだということを。
元々ここは修道院であったのだ。
十数人の修道士たちがここで暮らし、ここで祈り、そして城外市の人々への布教の拠点としていた場所だったのだ。
それが十年前。
教会改革の一環で、収益の見込めない城外市への布教活動は中止されることになってしまったのだ。
修道士たちは城外市を去り、この修道院は門を閉ざしていたのだ。
それからしばらく経って、ここに修道士が一人だけ戻って来た。
全身に大怪我を負ったため、王都の教会では勤めを果たせなくなった修道士だという。
足を引き摺り、頭部の怪我によって言葉も失ったイブシコ修道士である。
その移住の付き添いとしてここに同行した修道士たちが、この修道院の門を再び開けたときに。
「おい、誰かいるぞ、浮浪児だ」
「こいつら窓から入って勝手に住み着いたのか」
「ち。棒で打って追い払うか」
しかし、そのときに。
「あ、あああ、んー……」
イブシコが彼らを制したのだ。
そればかりか、持ってきた食糧をすべて大鍋へと放り込み、浮浪児たちにもそれを与えたのだ。
結局、修道士たちも浮浪児のことは目を瞑ることにした。
これからここで暮らしていくのはイブシコただ一人である。
もともとこの修道院を、身体の不自由なイブシコ一人で管理するのは困難だとも思っていたのだ。
それで修道士たちは、浮浪児たちのことは黙認し、わずかばかりの生活費を置くと王都へと戻っていった。
かくして。
ここにはイブシコと浮浪児たちが残り、やがてここは孤児院と呼ばれて城外市の浮浪児たちがここへと集まり、イブシコは院長と呼ばれるようになったのだ。
そして歳月は流れて。
「あ、教会の馬車が来たぞ、副司教様がいらしたんだ!」
この雨の中、先日来たばかりの副司教がまた訪れてくれたのだ。
「やあ、お邪魔するよ。おや、それは戦場将棋かな?」
「ええ、今日はこの雨で外で遊べないから……」
男の子たちが、ややバツの悪そうな顔で答えた。
勝負事に興じている姿を、副司教様という高位聖職者に見られたことが恥ずかしかったのだ。
「懐かしいな……」
「え、副司教様もこれをなさるんですか?」
「ああ。神学校で学んでいたときは、私らもそれに熱中したものさ」
「まあ」
「なにしろ神学校では勉強するかお祈りするかの毎日だったからね。どちらもしたくない生徒は、暇を持て余していたんだよ」
副司教の軽口に、孤児たちはゲラゲラと笑った。
勉強もお祈りもしたくない学生が、副司教という高職に就ける筈などないからだ。
「あの、それじゃあ副司教様は、院長先生とも将棋をなさったんですか?」
一人の子が質問すると、ホンの一瞬、副司教の笑顔が消えた。
「あ、その、副司教様と院長先生とは神学校で同室だったと前に聞いたことがあったもので……」
「いいや、イブシコとは競ったことはなかったよ……。失礼、そろそろ私は治療に行かせてもらうよ」
そしていつものように。
副司教が院長の部屋へと入り、厳しい顔の護衛剣士がそのドアの前に立つのだ。
「そうだよな、あの院長に戦場将棋とかできるワケないものな」
「なあ、今度院長にもルールを教えてあげようよ。ハンデを付ければなんとか楽しめるかもしれないし」
しばらく、戦場将棋の話題で沸いていた男子に。
「ねえあなたたち、ポポラマを知らない?」
年長の女の子が声を掛けた。
「せっかく副司教様がいらしたのに、姿を見ないのよ」
「ん、さっきまでそこに居たけどな」
「おかしいわね。あの娘、いったいどこに行ったのかしら……」
「さあイブシコよ、座りたまえ。いったい何を怯えているんだい? 私だよ、ケニーガだよ。君の古い友人ケニーガが、王都からわざわざ訪ねて来たんじゃないか」
「あああ、あ、ううぅ……」
ケニーガは法衣の上着を脱ぎ、腕を捲って。
「なあイブシコ、戦場将棋を覚えているかい? 近頃は王都だけでなく、この城外市でも流行っているみたいだね。そうさ、学生の頃に君が考案したヤツさ。暇を持て余した私たちのために、君が考案して作ってくれたヤツさ」
「あああ、あ、ううぅ……」
ケニーガは豪華な装飾のついた副司教専用のロザリオを外すとイブシコへと突き出して。
「なあ、懐かしい話だろう? たまに自惚れた者が君に勝負を挑んできて、でもまったく歯が立たなくて。そうとも、マトモな頭脳の持ち主ならば、君に挑戦するなんて無謀なことはしなかった。なにしろ君は……」
「あああ、あ、ううぅ……」
それをイブシコの目の前でユラリユラリと左右に揺らしたのだ。
「さあ目覚めるがいい、君の中に眠るかつての君よ。私が封じて私だけが呼び起こせる大賢者の残影よ。さあ、君自身の命を焚べて、今こそここに叡智の炎を燃やすのだ!」
「あああ、あ、ああああ……」
ロザリオがユラリユラリと揺れて。
イブシコの顔が苦痛に歪んで。
そして。
やがて。
イブシコのその目が、いつもはドロンと濁ったその目が。
カッと大きく見開いて。
「目覚めたようだな、かつての友よ。その命を削って輝く松明に、この俺の出世の道を照らす松明にと成り果てた、かつての友よ」
「あああ、あ、ううぅ……」
大きく見開いたその目から、血の涙がツウッと一筋伝って落ちた。
「さあイブシコよ、前回の続きだ。前回君は私に言ったな。王宮に残されたドラゴンの九つの首、その魔力残滓を調べろと」
「あああ、あ、あ……」
苦悶するイブシコに、ケニーガが満足そうに笑って。
「ああ、大司教様も驚いていたよ。とてもとても、驚いていたよ。司教区の同輩たちも皆驚き、そして悔しがっていたよ。君の指摘したとおりに、見事に一致したんだ。あの現場付近に残された魔力残滓と王宮の九つの首の魔力残滓、その魔力紋が見事に一致したんだよ」
「あが、が、ぐぐ……」
「ならばイブシコよ、これはいったい何を意味するものなのだ? あそこでいったい何が起こったのだ?」
「赤……、赤騎士……」
「ふむ。王宮に現れた謎の赤騎士か。ただの一人で近衛をねじ伏せ、九つの首を残して去ったというスターダスト卿だな?」
「多頭のドラゴン、蘇った、赤騎士、そこで、再度、戦った……」
「まさか! ではあの光柱は!」
「多頭のドラゴン、多頭のブレス、赤騎士は、纏めて、捻じ曲げた、空に……」
「信じられん、何ということだ……」
「ブレス、一度きり、それ以上、攻撃できない、破れた、赤騎士に、破れた」
「信じられん、いくら君の言うことでも、いやしかし、そんなことが本当に……」
そう、この光景もまた。
もしも誰かがこれを見たならば、とても信じられないような光景だったのだ。
イブシコがこうして言葉を話していることも。
イブシコが驚異的な知力の持ち主であったことも。
その知力を、残酷な方法によってケニーガが利用していたことも。
「答えろイブシコ! 赤騎士の目的はなんだ! 赤騎士とは我ら教会に仇成す者なのか?」
「足りない……、情報、足りない……」
「ならば足りないピースは何だ? 何を、どこを調べればよいのだ!」
「神剣……、神剣の……」
「国王に貢納された剣だな」
「ぐ、ああああ、あがッ……」
「答えろイブシコ! その命を削って燃やして叡智を引き出し、我が問いに答えろ!」
「ぐ、あが……、神剣の……、元の持ち主……、赤騎士、だから、だから……、ガタナー……」
「ガタナー商会か!」
「がが、ぐ、がががが……」
「ち、ここまでか」
ケニーガは豪華なロザリオを掛け、衣服を整えてからイブシコの血を入念に拭き取って。
「イブシコよ、かつての大賢者よ、名高き大賢者の成れの果てよ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「君のその頭脳、君のその叡智、その命が尽きるまで、このケニーガがとことん利用してやろうぞ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「今や君は鎖に繋がれた犬も同然。どこにも逃げられはせぬぞ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「そうとも、あの汚らしい浮浪児どもという鎖がある限り、君はこの俺から逃げられはしないのだ」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「ふはははは。あの日、君をここへと連れてきた日に、浮浪児どもを棒で打ち追い払わなかったことが、ここに来て生きてくるとはな」
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ……」
「イブシコよ、我が古き友よ。これからもせいぜい役立ってもらうぞ」
ケニーガ副司教は残酷に唇を歪めて。
「あのガキどもの命が、取るに足りぬあれら粗末な命が、君にとって失うに惜しいものならばな」
やがて。
ケニーガ副司教は柔和な微笑みをたたえて。
部屋を出て孤児たちに挨拶をして。
そうそうこれをと出した焼き菓子に子供たちが沸いて。
その声が門の外へとだんだん遠ざかって。
すっかり静かになった院長室で。
そこに無造作に置かれた籠の中から。
衣類の中から。
ゴソゴソと出てきた者がいた。
「院長先生ぇ……」
その者は目に涙を一杯に溜めて。
「酷いよ、酷いよぉ、あんな事をしてたなんて、院長先生にあんな酷い事をしていたなんて……」
それがとうとう決壊して、ポロポロと零れて落ちて。
「ごめんね院長先生、痛かったよね、苦しかったよね、治すから、ポポラマが院長先生のことを全部治すからね……」
少女は泣きながら光り。
光りながら泣いて。
「それに、もう大丈夫だから、あんな酷い事はもうさせないから」
それは一点の曇りもない信念だった。
「もう、大丈夫だから、本当に、本当に、大丈夫だから。だって、だって……」
それは少女にとって絶対の信念だった。
絶対の絶対に、揺らぐことのない信念だった。
「だって、困ってるんだもん……。今ポポラマは、とてもとても困ってるんだもん……」




