(39) 計算外
「はい奥方様、手筈どおりです。ガタナー商会は早晩に王都を撤退することになります。つまりはこれで」
髭の男は断言した。
「ガタナー商会は、これでお終いです」
「分かったわ、ご苦労さま。フードリアはあなたの、シェイン・ブラックの献身は忘れないわ」
王都の一等地にある公爵家邸宅。
その執務室。
指名商会筆頭であるブラック商会の会頭が退出すると、バーミヤは朝の日課へと戻るのだ。
領地から届いたばかりの報告書の数々。その一枚一枚に目を通しては、それらを「解決済」のボックスに、あるいは「要検討」のボックスへと放り込んでいく。
そして心の中でも、ガタナー商会を「解決済」のボックスへと放り込んだのだ。
元々ガタナー商会など、これまで聞いたこともないような零細商会である。
ところが孫娘の軽挙によって、この零細商会に公爵家の家紋入りの馬車を使わせてしまったのだ。
そしてなんとあろうことか、この零細商会が新王の即位に、世にも見事なる神剣を貢納したのだ。
いかなる王侯貴族も、いかなる大商人も持ち得ぬほどの神剣を、それこそ国を丸ごと購える程の神剣を貢納してしまったのだ。
当然、そんな代物をたかだか庶民であるガタナーに用意できる筈などない。
だからこれも当然のように、フードリアが疑われてしまったのだ。
あの神剣を用意したのはフードリアであると。
あの神剣こそはフードリアの、エンゲルス王家への加担表明なのだと。
それがたとえフードリア公爵家にとって、根も葉もないデマだとしても。
たとえフードリア公爵家にとって、謂れのない嫌疑だとしても。
だからバーミヤは、中央からの執拗な追及に対して、公爵家とガタナー商会との関係を一貫して否定してきたのに。
それなのに。
またしても孫娘の軽挙である。
あろうことか、このガタナー商会に対して、今度は指名商会の認可証を与えてしまったのだ。
これが最悪の事態を招いてしまった。
それ見たことか、ガタナー商会の裏にいたのはやはりフードリアではないか。
フードリアはあの一騎当千の赤騎士と、第二王子オータニウスを保護しているに違いないのだ。
つまりあの愚かな孫娘は、自ら疑惑の炎を熾したのみならず、そこに更なる油を注いでしまったのだ。
ここに至り、ついにバーミヤは「損切り」を決断せざるをえなかった。
フードリアへの損害を最小限に留めるために、非情の決断をせざるをえなかったのだ。
すなわち。
孫娘を切り捨てることにしたのだ。
そして更には。
ブラック商会に依頼して、ガタナー商会を消し去ることにしたのだ。
ここまではバーミヤの計算どおりだった。
バーミヤがこれまでの半生でやってきたことと何ら変わらない。
フードリア公爵家のために常に計算し、切るべきものはバッサリ切り捨てる。
ここまではそう、計算どおりだったのだ。
計算が外れたのはあの男。
孫娘を誑かした、あの忌々しい男の処断である。
そう、処断だ。
秘密をバラすと呼び出して、神剣について知っていることを全て吐かせたら、有無も言わさず殺す手筈だったのだ。
町のゴロツキひとりを斬るために金貨を積んで、最強のカードを用意したのだ。
しくじる事など万に一つもなかった筈だったのだ。
あの男は、万に一つも生き延びることができなかったはずだったのだ。
その死体を踏みつけて、この腹を焼くどす黒い憎悪とともに「解決済」のボックスに放り込む筈だったのだ。
その筈だったのだ。
ところが。
バーミヤにとって計算外だったのは、かの剣聖の矜持を見誤ったことだ。
剛力無双の武人ならばともかく、いかにも弱者たるチンピラを斬り捨てろと命じたことが、あの生ける神話の矜持を傷つけてしまったのだ。
あたかも、自分の剣は弱者を斬るためのものではないと一喝するように、あの剣聖は闘わずして降参することで、公爵家に抗ってみせたのだ。
「御覧のとおり、ご依頼を果たすことは叶いませんでした。この責はいかようにも」
その生涯で初の敗北を喫したというのに、一点の曇りもない晴れやかな背中で去って行ったのだ。
そう。
あの剣聖は、生涯不敗の経歴に自ら土を付けることも厭わずに、屈辱的な土下座すらをも厭わずに、己の矜持を見事に貫き通したのだ。
それでも。
かくも誇り高き剣聖が去ったとしても、チンピラを斬る程度の剣客ならばまだまだ他にも残っていたのだ。
それなのに、ここでもまた計算外の事態が発生したのだ。
「勝負は私の負けのようね。仕方ありません、敗者は勝者の言うことをひとつ聞く約束です。さあ、望みを言いなさい。あなたがこの私、バーミヤ・エンゲルス・フードリアに望むモノはなんですか?」
むろんそんな口約束など、守るつもりは毛頭なかった。
ガタナーを助けろなどと要求してきたならば、有無を言わさずに斬り刻んでやる筈だったのだ。
それを、それを、あの男は!
「じゃあ、ひとつ教えてくれないか」
「なんですか、何を知りたいのです?」
「その……」
「なんです?」
「その、こんなこと聞くのは、アレなんだけど……」
「勿体をつけずに早く言いなさい」
「ひ」
「ひ?」
「ひ、姫さんは!」
「は?」
「姫さんは、あの姫さんは、元気でやってるのかな」
「は、はああぁ? あなたは真剣勝負であの剣聖に勝ったのですよ? 生涯不敗の武神に勝利したのですよ? なのに、なのに、あなたが要求するモノって、あなたが聞きたいことって、そんなことなのですか?」
「悪いかよ……」
「悪くはないけど、悪くはないけど、呆れた男ね、ええ、呆れた男よ、あなたは……」
あまりにも呆れてしまって。
それで思わず正直に答えてしまったのだ。
「あの子は、サイゼリーナは公爵領の崖の上修道院、その監獄塔に押し込めました。元気かどうかは確認を取らないと分かりませんが」
そしたらあの男は確認を取れとも、会わせろとも言わずに。
「崖の上修道院の監獄塔だな、分かった、ありがとう」
それで納得して、スタスタと帰っていったのだ。
まるであの剣聖のように、一点の曇りもない晴れやかな背中で、堂々と去って行ったのだ。
そして更にもうひとつ。
計算外だったのは。
「私は、ああ私は、あの男を斬れと命じることが、ついに、ついに、出来なかった……」
その去っていく後ろ姿が、あまりに眩しかったのだ。
あの下品で弱そうなチンピラが、あのみすぼらしい胴鎧のチンピラが、あまりにも眩しくて、眩しくて、眩しすぎて!
「私としたことが、どうしたというのでしょう? フードリアのため、これまで沢山のモノを切り捨ててきた私が、私としたことが……」
まるで孫娘のみならず、自分までもが誑かされたような気がしてならないのだ。
いいや。
はっきりと、惹かれているのだ、魅了されているのだ。
あんな町のゴロツキに!
あんなチンピラに!
「まったく、どうしたと……」
バーミヤは首を振ってそのチンピラを心の中の「要検討」ボックスに放り込むと、大きく息を吐いて再度、報告書の山へと戻るのだった。
そして最後に残った、一枚の報告書。
それは、あの日すぐに出した問い合わせへの返答だった。
とても簡素な報告書だった。
それなのに。
それを読むバーミヤの手が、やがてフルフルと震えていって。
「なんてこと……、ここでも、計算外の事態なの?」
それは崖の上修道院に問い合わせた、サイゼリーナの様子について伝える報告書であった。
『サイゼリーナ様は、お一人で魔法の練習をしておりました。驚いたことに大きな火球を一遍に四つ、それをまるでお手玉のように、さも楽しげに動かしていたのです……』
そう、これもまた女傑バーミヤにして予想もできなかった事態であったのだ。
この報告書が真実ならば。
この信じられない報告がもしも真実であるのならば……。
「しかし、しかしこんなこと、いったいなぜ急に、なぜこんなことに……」
フードリアのためにならぬと切って捨てた孫娘が。
「解決済」のボックスに放り込んだはずのあの孫娘が。
一転して、それこそ一夜にして。
国宝にも優さる至極の宝玉へと変わってしまったのだ。
◇◆◇◆◇
「アリストメデスですか?」
「うん。サイゼが言うにはさ、高木さんの教えてくれた魔法理論と矛盾がないのは、その人の書いた本だけなんだってさ」
「うーん、名前は聞いたことがあるのですが、ボクは読んだことがありません」
「それでさ、最近は魔法の練習をしてるか、その人の本を読んでるかで結構楽しく過ごしてるみたい」
「え、だって修道院には、魔法の本なんて置いてないでしょう?」
「ん、ああ、だから。あの時の侍女さんに頼んで公爵家の図書室から本を持ってきて貰ってさ」
「えええッ、そんなことをしてもいいんですか!」
「いやあ、俺も最初は侍女さんに叫ばれそうになってさ、慌てて口を押さえたらその手をガブリと噛まれたりしてさ」
「うわ」
「こっちも必死でサイゼからの手紙、サイゼからの手紙ぃとか言ってさ」
「……」
「で、なんとか分かって貰ってさ。今はサイゼと侍女さんとで手紙のやり取りをしてるし、差入れとかも預かったりしてる」
「兄様がどうやって修道院に通っているのか、侍女さんに聞かれませんでしたか?」
「聞かれたけどさぁ、そんなのよぅ」
「とても人には言えませんよね……。毎日ドラゴンに乗って通っていますとか……」
「あの侍女さんさ、俺のことをいつもすっごい怖い目で睨むんだぜ? それこそ親の仇を見るような目でさ……」
「それは、さすがに仕方ないといいますか……」
「俺のせいで、サイゼをあんな目に合わせてしまったものなぁ」
「でも、もしかしたら」
「ん」
「もしかしたらですけど、近い将来サイゼ姉様は公爵家に許されて修道院を出ることになるかもしれませんよ?」
「おい竜兵、それはマジか!」
「もしかしたらの話ですよ?」
「でもなんでだ? サイゼは一生あそこに捕われて暮らすって言ってたぞ?」
「魔法ですよ」
「ん?」
「サイゼ姉様ってファイヤーボールを一遍に四つも出すんですよね?」
「いや、昨日あったときは五つ出してたが」
「そんなに……。あの、いいですか、王宮のお抱え魔法士にも火魔法を使う人はいますけど、普通は火球をひとつ出すのにも精神集中やら呪文の詠唱やらで、とんでもない時間が掛かるものなんです」
「へぇ」
「そんな高等魔法なのに、それを一遍に五つも出す魔法士なんて聞いたこともありませんよ。というか、二つ出す魔法士でさえいないかもしれません」
「へえそうか、サイゼってすごい優秀なんだな」
「優秀というか、ちょっと常識ではあり得ないレベルです。それこそ公爵家も国軍も、放っては置けない程に強力な、強力すぎる魔法士ってことになるんです」
「でも現にサイゼは」
「だから、あり得ないんですよ。それこそ兄様が何かしたと考えるしか……」
「俺が? いや俺は何もしてないけどな」
「うーん、ホントかなぁ……」
そんな会話があってから。
「若旦那……」
「ん?」
竜兵のいないときに高木さんが。
「若旦那、これはかねてから言おうと思ってた事なんですが」
「んんん?」
「もしや、もしやと、ずっと思ってた事なんですが」
「なにさ、高木さん」
「若旦那、覚えておりやすか。アッシは元々大迷宮の深淵で、あの堕神様にとっ捕まってその眷族となりやした」
「うん」
「それで堕神様の神気を吸って、知恵と言葉とを与えられやした」
「うん。その堕神様が死んじゃって、代わりに俺と一緒に来ることにしたんだよね。俺からもその神気とやらが出てるってことで」
「へい。その神気なんですが、アッシには堕神様の眷族としてその神気の流れが見えるから分かるんですが」
「うん」
「あの姫君、どうも前々から若旦那の神気を感じ取っていたようで」
「え」
「それだけでなく」
「え、え?」
「近頃ではあの姫君、若旦那の神気を吸いこんでるようで?」
「サイゼが、俺の神気を?」
「更に言やあ、あの爺様も」
「カリスマの爺さんも? 吸ってるの? 俺の神気とやらを吸ってるの?」
「へい。それで完全に眷族とは言わねえまでも、半眷族みてえなモンになっちまったようで。いったいどういう理屈なのか、そんなモンになっちまったようで」
「え、え、え、サイゼも爺さんも人間なのに半分眷族なの?」
「へい。それで魔物のアッシがかつて知恵と言葉とを得たように」
「サイゼも、爺さんも、人間なのに人間を超えた特別な力を……」
「へい」
「おいおいおいおい、マジかよ、俺の知り合いが、俺の知り合いが二人も、そんなことになってるなんて……」
◇◆◇◆◇
「みんなお帰りなさい。お仕事お疲れさま」
城外市の孤児院で。
「ねえねえ、外にある馬車って」
「うん、今副司教様がいらしてるの。院長先生の治療にいらしてるから、邪魔しないようにね」
「まあ、副司教様がお見えになるなんて!」
孤児たち、とりわけ女子たちの顔が輝いた。
なにしろ副司教様といえば、華やかな法衣を纏った高位聖職者である。
徳を積み学識を高めた王都の僧侶の中でも、特にお貴族様と同列にも遇されるエリートである。
孤児たちにとっては、まさに雲の上の存在なのだ。
そんな副司教様が、雲の上の存在が、ときおりこの城外市の孤児院を訪れてくれるのだ。
なぜならば。
「あの副司教様が、ウチの院長先生と友だちだったって、ホントかな?」
「そりゃあ、ホントの友だちだから今でもこうしてワザワザ治療しに来てくれてるんだろ?」
「でも、院長先生、ちっとも良くならないわ」
「馬鹿、副司教様が治療してくれなきゃ、今頃もっと悪くなってるって」
「院長先生があれ以上悪くなるって、そんな怖いこと言わないでよ」
「すげえよな、あんなに偉い人なのに、友だちのためにこんな所にまで来てくれて」
「タダで治療をしてくれて」
「タダどころかお金まで置いていってくれるわ」
「やっぱり偉いだけあって、神様みたいな人だよな」
年長の子らが舞い上がる中、拳をギュッと握り、唇を噛んでいる者がいた。
閉じられた院長先生の部屋を、厳しい護衛剣士の守っているその部屋を、院長先生と副司教様の二人がいるその部屋を、涙を浮かべて見つめている者がいた。
やがて。
「やあお邪魔したね、私たちはこれで帰らせてもらうよ」
柔和な顔の副司教様が出てきて。
「副司教様、そこまでお見送りします!」
「ありがとう、君たちにも神の祝福を」
高貴なる人とともに護衛剣士、そして子どもたちが出て行って。
「院長先生、院長先生ッ」
ひとり残された少女は、その部屋へと飛びこんだのだ。
「はあ、はあ、はあ、うう……、うううぅ……、うぅ……」
「院長先生ぇーッ」
少女は、汗まみれでデスクに突っ伏している院長に駆け寄って。
「ひどい、こんなのひどいよ、こんなの治療なんかじゃないよ、いつもいつも、こんなになって、こんなに苦しそうになって、こんなに疲れてしまって、きっと院長先生は、院長先生は、あの人にひどいことをされているんだ……」
少女の目から涙が溢れてしまう。
「院長先生、苦しいの? 痛いの? とても疲れているの?」
「はあ、はあ、はあ、うぅ、う……、うぅ……、う……」
「待ってて、今ポポラマが、今ならポポラマが、きっと、きっとできると思うから……」
少女は院長の手を取るとギュッと目を瞑り、懸命に、懸命に念じて。
「院長先生、楽になって、楽になって、苦しいのも、痛いのも、疲れているのも、ぜんぶぜんぶ、楽になって、どうか楽になって、あのときテツヤ君がしてくれたみたいに、楽になって、どうか楽になって……」
やがて。
少女の身体がボウッと柔らかな光を放って。
「はあ……、はあ……」
その光に温められるように、次第に院長の呼吸が緩やかになり。
「ふう……、ふう……」
あんなに苦しそうだった表情も穏やかになって。
「すぅ……」
やがて柔らかな寝顔になって。
そして、少女の光も静かに消えて。
「よかった、院長先生、よかった、できた、ポポラマにもできた、できたよ、テツヤ君……」
不意に襲ってきた眠気に抗えず、その場にパタリと倒れるとそのまま眠ってしまったのだ。
そう。
この日、この場所で。
誰に知られることもなく。
哲也の神気を吸った、もうひとりの半眷族が。
治癒の大魔法士として覚醒したのである。




