(37) 包囲網
例えるならば軽自動車の後部座席であろうか。
二人ならばまだ余裕があるものの、そこに三人も座るとかなり窮屈になる。
要は狭い馬車に男が三人も座っているので窮屈だし、クソ野郎どもに挟まれてウザいし、密着感が気持ち悪いしでさ。
それでなぜか。
馬車の中で俺はなぜか、あの痴女姫さんのことなどを思い出していた。
あの日。
「ガタナー商会の後ろ楯になって貰いたい」
俺達とはまるで無関係なはずの姫さんに、そして公爵家に、迷惑が掛かることを承知で頼んだこの俺に。
「おほほほほ。承りましたわ」
あの姫さんは、即座に引き受けてくれたのだ。
寸毫の躊躇もなく、引き受けてくれたのだ。
そして翌日。
ガタナーさんは王都の邸宅に呼ばれると、その場で公爵家の「指名商会」の認可証を貰ったのだ。
それはガタナー商会が王室御用達に加えて、フードリア公爵家とも直接取引できる商会として、いわば公爵家の後ろ楯を得たことを意味するものらしい。
もちろん、そんな紙きれ一枚で公爵家と商取引が始まるとか、そんな甘い世界ではない。
姫さんがくれたのはあくまでも後ろ楯としての名目で、これを持って実際に公爵領へ赴いたとしても、既存の指名商会らが握る利権やら販路やらにガタナー商会が食い込む余地などはないそうだ。
しかし今のガタナー商会にとっては、その名目こそが何にも増して重かった、大きかった。
それを得た夜に、ガタナーさんの居室から聞こえてきたのだ。
「うぅ、ううううぅ、トランキーロ様、ありがとう、ありがとうございます、またしても私などのために手を回してくださったのですね、うぅ、トランキーロ様、ううぅ、聖天使様、う、ううううぅ……」
なにしろ。
ガタナーさんが王様に献上した剣の出所について。
貴族や大商会から連日のように呼び出され、問い詰められ、ときに恫喝すらされていたガタナーさんだったのだ。
今回公爵家の後ろ盾を得られたことで、あの姫さんのおかげで、ガタナーさんがどれだけ助かったか分からない。
そう。
貴族や大商会からの呼び出しや恫喝が、その日を境にピタリと止んだのだから。
「姫さん、サイゼ姫さんか……」
できれば俺も。
できれば俺も礼を言いたかった。
痴女だけど律義な、やたら高飛車だけど一本気な、あの姫さんにもう一度会って、直接ちゃんとお礼を伝えたかった。
しかしあれから。
あれから俺は姫さんに会えていない。
この町で姫さんを見かけることはなくなったのだ。
俺がはじめて姫さんを見つけたあの辺り。
あの打ち壊し事件の際に、ガタナーさんが建てた長屋の辺り。
そこを通るたびに「おほほほほ」の高笑いを探してはみるものの、そこにいる筈などないのだ。
そうとも。そんなのは当たり前のこと。
もとよりあの姫さんが、公爵家のお姫様が、こんな貧民街などに来る筈などないのだ。
「ああああ、クソッ!」
「おい泥亀、急に大声など出すな!」
「ふん、ここに来て怖くなったのか。だがここで暴れてくれるなよ、もうじき到着するからな」
両隣のクソ野郎が何やら言っていたが、今の俺はそいつらと親しく会話する気分でもない。
ええと、俺はさっきまで何の事を考えていたか。
そうそう、ガタナー商会のことだった。
ガタナーさんがフードリア公爵家の後ろ楯を得たことで、たしかに貴族や大商会からの呼び出しや恫喝はピタリと止んだ。
しかし、それでガタナー商会への圧力が、特に既存の大商会からの圧力が消えて無くなったわけではなかった。
圧力の方向性が変わっただけで、別の方向からの圧力がガタナー商会を追い詰めるようになったのだ。
そう、変わったのは圧力の方向性だけだ。
つまり「ガタナー商会をいいように利用してやる!」から「ガタナー商会を潰してやる!」への変化。
たとえばガタナーさんが王都に借りている小さな事務所。
そこの大家さんが、ガタナー商会との契約更新を断わってきたというのだ。
それで期日がくれば、ガタナー商会は城壁の中にある事務所を失うことになってしまったのだ。
するとどうなるか。商業ギルドの取決めにより、ガタナー商会は今後王都での商売ができなくなってしまうらしい。
「ガタナーよ、こんなことになって済まない。しかしウチも家族と従業員の生活が掛かっているんだ」
その大家さんはガタナーさんに手をついて詫びたという。
ガタナーさんとは旧知の仲のその大家さんも、大商会からの圧力には屈するしかなかったのだ。
旧知の大家さんでさえもこの理不尽に屈したのだ。
つまり、今後ガタナー商会が王都に新しい事務所を借りるのは、事実上不可能ということになる。
そうなれば、ガタナーさんは今後王都での直接の商売が禁止されてしまうのだ。
直接商売が禁止されてしまえば、今後王都で商品を購入したり納入する際には他の商会の下請けとして、そこに法外な手数料を収めるしかなくなるのだ。
それではわざわざ商業ギルドに加盟して商会を立ち上げた意味がない。
従業員の給金だって払えはしない。
つまりこれは、ガタナー商会にとって存亡の危機であった。
そう、竜兵も憤慨していた。
これは大商会らによる『ガタナー包囲網』なのだと。
王都の古商人たちが、今や本気でガタナーさんを潰しにきているのだと。
「着いたぞ、さあ降りるんだ」
そこは王都の中の倉庫街。
倉庫の中は商品を積めたたくさんの木箱。
その木箱に囲まれて、真ん中の空間にソイツはいた。
「遅かったわね、レディーを待たせるなんて減点よ?」
「あ? こっちは家の前で待ち伏せされて、突然理由も分からずにここまで連れて来られたんだぞ。待ってくれなんて頼んだ覚えなどないんだが」
「あらあら、機嫌を損ねているレディーに理屈で応戦するなんて、やっぱり減点だわ」
「そうか反省するよ。それは反省するから要件を先に……」
「あらあら、せっかちなのも減点対象よ?」
「あー……」
なんだろう、この人……。
俺はこの人のことが、すごい苦手だ。
この自称レディー。
背後に髭のボディーガードを立たせた、このレディー。
歳の頃なら飯屋のおばちゃんより少し上くらいかな。
多少ふくよかだけど、美魔女というの?
いかにも、カネをジャブジャブふんだんに使って磨いていますみたいな女の人でさ。
若い頃は超美人でチヤホヤされて、そんで枕営業を重ねて成り上がりましたみたいな女の人でさ。
つまりは大女優の風格というかさ。
あるいは盗賊団の女首領の風格というかさ。
うん、やっぱり苦手だ、すっごい苦手だ……。
いや、実際には大女優でもなく女盗賊でもなく、その正体は女経営者なんだけどね。
だってここ、大商会の持ち倉庫だし。
あちこちの木箱にも「ブラック商会」って書いてあるし。
そう、ブラック商会だ。
竜兵が、その名を挙げて憤慨していたところ。
そう、ブラック商会こそは。
フードリア公爵家の抱える指名商会、その筆頭格だという。
現在ガタナーさんを追い詰めている包囲網、その主導者だという。
つまりは皮肉なことに。
公爵家からの突然の認可は、公爵家指名商会の筆頭格であるこのブラック商会を激怒させてしまったのだ。
たとえ利がなくとも、たとえどれほどの損失があろうとも、何がなんでもガタナー商会を潰すと決意させてしまったのだ。
あの紙きれのせいで、この俺のせいで、ガタナーさんは商会存亡の危機にまで追い詰められてしまったのだ。
「なあ」
「はい、なにかしら」
「この通りだ、ガタナーさんを、許してやっちゃもらえないかな」
「え」
女盗賊はその目をちょっと丸くして。
「へえ、ふうん、そう来たかぁ」
「頼むよ、こんなデカイ倉庫を持ってる大商会が、ガタナー商会なんて零細を虐めてどうするんだよ?」
「うふふふ」
「なんだよ」
「やっぱり庇うのね。こんな所に連れて来られても、自分の命乞いよりも先に、まずはガタナーのことを案ずるのね」
「悪いかよ」
「悪くはないわ。そうよね、なにしろガタナーはあなたにとっては」
天敵ですが?
すぐにビカビカ赤く光る、とてもとても厄介な人ですが?
「ガタナーは、あなたにとっては実の父親ですものねぇ」
「なんだとッ」
し、知らなかった……、ガタナーさんは、ガタナーさんは、俺のパパだったのかよ!
ん?
「それとあなたの弟クン、リューへーと言ったかしら」
「竜兵がなんだよ」
「本当は兄弟なんかじゃないのよねぇ」
「なぜそれをッ!」
「だって弟クンの本当の父親は裏社会のボス、サダナーだものねぇ」
「なんだとッ」
し、知らなかった……、サダナーは、サダナーは、竜兵のパパだったのかよ!
ん、んんん?
「そしてそして、ガタナーはサダナーの実兄なのよねぇ」
「あ、うん、そうだね」
「あら、これは驚いてはくれないのね」
「うん、まあ……」
「うふふふ、少なくともあなたと弟クンの正体についてはかなり厳重に、それはそれは念入りに秘匿していたみたいね。これを暴くのにはずいぶんとお金と時間が掛かったのよ?」
「……」
「うふふふ、驚いて声も出ないみたいね。どう? ガタナー商会が実は裏社会と繋がっていたなんて噂、これが拡がったらどうなるかしら?」
うーん、どうもならんと思うけどなぁ。
「肝っ玉ガタナー」がサダナーの実の兄だってことは、けっこう広く知られているし、城外市ではウチの組ってそんなに悪いイメージもないみたいだし……。
「それと、弟クンのこと。弟クンが実は裏社会のボスの息子だったなんて噂、これが拡がったらどうなるかしら?」
うーん、どうもならんと思うけどなぁ。
そんな根の葉もないデマを流されたところで痛くも痒くもないし。
つか、これは皆が皆知ってる事だけど、あいつの前職は組織の末端も末端、チンピラ見習いだぞぉ?
「あのぅ?」
「あら、もう観念したのかしら? サダナーの組織があの神剣をどこから入手したのか、大人しく白状する気に……」
「あの、自分、もう帰ってもいいすか?」
「え」
なぜかエーロクみたいな口調になった俺に、女盗賊が絶句して。
「ちょ、いいの? 脅しじゃないのよ? こっちは本気よ、本気なのよ? この事を本当に拡げるのよ?」
「はぁ。まぁ、お好きにどうぞ」
「ちょ、待ちなさいよ! この私から逃げられると思っているのかしら」
「えー、なんすか、まだ何かあるんすかぁ?」
「この倉庫の周りはね、手練の剣士が固めているわ。けして逃げられないよう、包囲網を敷いているのよ? もし素直に白状しないなら、あなたは彼らによって酷い目に合わされることになるのよ?」
「はあ、包囲網ですか」
たしかに周囲に黒いチカチカが幾つか見えるけれどもさ。
「まあ、それでも帰りますけどね」
「あなた……」
女盗賊は少し表情を変えて。
「少し見直したわ。そうね、今のは加点してあげてもいいわ」
「そらどうも」
「あなた、見た目よりもずっと肚が座っているのね。たとえ自分はどうなったとしても、父親のことはとことん庇う積もりなのね」
いやだから、ガタナーさんが俺のパパだとか、そんなデマをどっから持ってきたのさ……。
「そうね、そういうことなら」
女盗賊はボディーガードに何やら耳打ちをして。
それでボディーガードが出ていくと、今ここにいるのは俺とこの美魔女の女盗賊のふたりだけになった。
俺に対してまるで無警戒というか、あるいは俺なんて力でねじ伏せられる自信があるのか。
「ねえ、あなた」
「ん?」
「ここはひとつ、勝負をして決めませんか?」
「勝負ぅ?」
「そう、剣で斬り合いの勝負。それで負けた方が勝者の言うことをひとつ聞くのよ。こちらの要求は、あの神剣の出所を教えること」
女盗賊は傍らにあった二本の剣を俺の前に置いたけど、その歳でその体型で、剣なんて振れんのかよ?
「どちらを使うかは選ばせてあげるわ。それで一対一で剣の勝負をして、参りましたと土下座した方が負け。シンプルでしょ?」
「いいけど俺、女の土下座なんて見たくねえぞ」
「ぷッ、あはははは、やだ、面白いッ、あなた、最高ですわね!」
「今のは加点対象かな」
「ぷぷッ、あはははは、ちょっとやめて、お腹が痛いわ、あはははは」
何がツボにハマったのか、女盗賊はしばらく身を捩ってから。
「そうね、加点してあげるわ。でもね、はぁ、残念だわ。本当に残念だわ」
少しマジな顔になって。
「あなた、見た目はそんなんだけど、下品で言葉も乱暴だけど、アタマもあまり良くないみたいだけど」
「やかまし!」
「私ってね、気に入ったモノを横から人に取られるのが大ッ嫌いなのよね」
「ん?」
「だから気に入ったモノを見つけたら、まずはツバを付けておく主義なの。これは私のモノよって」
その美魔女がペロリと出した舌に、俺は不覚にもゾクリとしてしまったのだ。
「さっき出て行った子もね、私が見つけて、誰よりも早くツバをつけて手に入れたのよ」
あんな髭面のオッサンも、この女盗賊にとっては子供呼ばわりですか……。
そしたら俺なんて孫みたいなモンじゃん。
「残念ね、あなたにもツバを付けておきたかったわ。本当に残念」
いやいや俺、ボディーガードとかやりませんし。
「だってあなた、これから死ぬんですもの」
「ふん、アンタが剣の腕前にどれだけ自信があるか知らんけど、俺はそう簡単には死なねえよ」
「あら、死にますわよ? だってあなた、土下座なんて絶対にしないでしょ? 死ぬまで負けを認めないでしょ?」
「死なねえって」
「絶対に死にますわ」
「絶対に死なねえし」
「どうして言い切れますの?」
「俺は泥亀のテツだ! ケンカは弱えが打たれ強え、泥亀のテツ様だからだ」
「泥亀?」
「アンタは?」
「私?」
「名前だよ。人にばかり名乗らせるんじゃねえよ」
「言いたくありません。これから死ぬ者に名乗ってもしかたありませんもの」
「ふん、そうかよ。じゃあ聞かねえよ!」
「バーミヤですわ。バーミヤ・エンゲルス・フー……」
「奥方様!」
俺が「へそ曲がりかッ」と言いかけた所で、あの髭面ボディーガードが戻ってきたのだ。
「お呼びして参りました、只今こちらへ向かっております」
「ご苦労さま、シェイン」
女盗賊改めへそ曲がりの奥方様がボディーガードに声を掛けて。
「さあさあ、今からあなたの決闘相手が来ますことよ?」
「え、相手? 剣で勝負って、決闘って、アンタとじゃないの?」
「おほほほほ、あらやだ、私がお相手をするなんて一言も言ってませんことよ?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
これはヤラれた、女盗賊に一杯食わされた!
弱そうな札を晒して勝負に誘い、本番では強い札でカモの尻の毛を毟る。これはウチの組で経営している賭場の常套手段ではないか!
くそう!
だがな、チンピラを舐めんなよ!
たとえ誰が来ようとも、俺のやる事に変わりはないのだ!
「せめて死ぬ前に、あなたを斬る者の名前くらいは教えてあげるわね」
「だから死なねえッて、絶対の絶対に死なねえッて!」
そう、俺はこんなところでは死なない。絶対に死ぬことなどない。
なぜならば。
たとえこの女盗賊であろうとも、たとえ伝説クラスの達人であろうとも、チンピラは強気で来る相手にはビビって土下座で許しを乞うからだ。
俺はこれから素直に敗北を認めて、秒で降参して、あの剣の出所を白状してやるからだ。
はい、アレは以前俺がダンジョンの八十階層くらいで拾ったやつですけど、それが何か?
「さあさあ、来ますわよ、私もまさかこの人が来てくれるなんて思っても見なかったのだけど」
女盗賊の奥方様はその頬をやや上気させて。
「こんな所でチンピラさんをひとり斬るためにお呼びしたなんて、勿体ないを通り越して申し訳ないくらいなのだけど」
へ、上等だ、見せてやるぜ、チンピラの矜持を、チンピラの本懐を、チンピラの捨てゼリフを!
「あなたも光栄に思いなさい。あなたを斬る者こそは……」
さあ来やがれ、見せてやるぜ、俺の光速の土下座を!
びっくりするほどコンパクトにまとまった、俺の土下座を!
「彼こそは生涯不敗、生ける神話、目下この王都を席捲する無眼無刀の武神!」
さあ来やがれ、勝負は一瞬だ、出会い頭の一瞬で決めてやるぜ!
ようし来たなッ、行くぜ!
「ま、参りましたあああぁーッ」
それは一瞬の中の閃光だった。
一瞬の中の膝、手、額の接地。
そう、まさに光速の土下座であった。
「そんな、そんな……、負けた、この俺が負けてしまった……」
俺は敗北の悔しさ、みじめさ、情けなさで涙が止まらなかった。
そう、俺は負けてしまったのだ……。
「この俺が、チンピラの矜持をかけたこの土下座戦で負けてしまうなんて……」
「このとおり、このとおりですッ、参りましたあああぁーッ!」
この俺に先んじて、この俺に勝利して、さも誇らしげに勝どきを挙げるのは。
「さあさあ、煮るなと焼くなと、好きにしてくだされええぇーいッ!」
びっくりするほどコンパクトにまとまった、あの爺さんだったのだ!
「剣聖ぃぃぃッ! なんでッ、どうしてぇッ、え、えええーッ、そんなのありえないでしょッ、えッ、えええーッ どういうことよ、どういうこのなのよ、ねえ、生涯不敗ぃぃッ!」




