(36) 無力
「ええい、まだ見つからぬのか!」
王国情報庁。
表向きは国内外の情報を収集する国王直属機関である。
むろん、その実情ならば子供でも知っている。
王国情報庁とは情報収集に留まらず、諜報や謀略や破壊工作に要人暗殺と、王国の闇、王国の暗部を担う恐るべき組織であることを。
そして、その組織に命令を下す者が、国王その人ではないことも。
その情報庁の建屋の一室で、管理職の男は部下の一人を怒鳴りつけていた。
「私は今日も長官から呼び出しを食らったのだ。お叱りを受けたのだ。ああそうとも、たかが子供ひとりを探し出すのに、どれだけ掛かるのだとな!」
「それは……、我々も目下全力で捜索を続けてはおるのですが……」
「ならばこれは何だァッ!」
管理職は一枚の報告書を突き付けて怒鳴った。
「ここにあるガタナー商会の会長秘書、金髪碧眼の少年、しかも町では有名な「王子サマ」だとぉ? これはもう決まりではないか!」
そして烈火のごとくに。
「おまえらの目はフシアナか! この者こそオータニウス殿下に決まっておるではないか!」
「お待ちください、その対象ならばもちろん真っ先に洗いましたとも。ええ、ええ、それはもう徹底的に洗いましたとも。しかし結論として、綿密なる調査の結果として、その者は王子殿下とは全くの別人だったのです」
「これだけ条件が揃っておるのだ、別人の筈などなかろう!」
「いいえ」
捜査官はゴホンと咳払いをして。
「実は深く調査してみて漸く判明した事ですが、あのガタナー商会は城外市の裏社会と繋がっていたのです。実はあのガタナーは、裏社会の顔役の一人サダナーの実兄だったのです」
「ほう、それで?」
「そしてこれは、その裏社会でもかなり厳重に秘匿されていたことなのですが」
「なんだ」
「この情報を得るために、かなりの資金と労力を費やしたのですが」
「ええい、勿体ぶらずに早く申せ!」
「ゴホン。その対象は、その者こそは、実はそのサダナーの隠し子であったのです」
「なんだと!」
「つまり、対象はガタナーにとっては甥っ子ということになります。もちろんそれについては複数の証言を得ておりますので、まず間違いない事実かと」
「しかし、しかし、金髪で碧眼だぞ、「王子サマ」だぞ!」
「いいえ」
捜査官はフルフルと首を振って。
「まずその対象は殿下とは外見が大きく違います。いいですか、オータニウス殿下といえば小柄で細身で長髪で、あるいは女子とも見紛う貴公子ではありませんか」
「うむ、俺も王宮で殿下を拝見した事があるが、あれは男にしておくには誠に惜しい……」
「はい。オータニウス殿下は王宮内でも陰で「王女サマ」と揶揄されていた程のお方です。絶世の美女もかくやという程のお方です。ところが、この対象は全く違うのです」
捜査官は自信たっぷりに断言した。
「対象は殿下と同じ金髪とはいえ丸刈り頭の、そう、ただの庶民の小倅でした。チンピラをしているガラの悪い兄に日々いいように使われている、庶民の小倅でした。身長も体格も殿下とは大きく違いますし、むろん王家の気品などは微塵もありません」
「うーむ、裏社会の顔役の隠し子で、その兄もまたチンピラか……」
「はい。まあ少しばかり顔立ちが整っているので、町の女たちから「王子サマ」と渾名されてはいますが、所詮は貧民街の中の王子サマなのです」
「ふーむ、それもそうか。オータニウス殿下が本当に姿を消したいのであれば、日々「王子サマ」などと呼ばれているのは不自然か……」
「ですので、その対象については」
「いや、念の為にマークは外すな。なにしろフードリア公爵家方面はどれほど洗っても進展がないのだ。例の神剣の出所も含めて、ガタナー商会については今後も監視を緩める訳にはいかぬ」
「その神剣とやらも、ガタナーが裏社会経由で手に入れた盗品ですよ、きっと」
「ええい、とにかく! おまえは引き続き城外市とガタナー商会の周辺を徹底的に探れ! そのためならば手段は問わぬ! いいか、何か手掛かりを掴むまで、おまえたちには休暇など金輪際ないと思え!」
「はあぁ。勘弁してもらいたいよ」
残された捜査官は嘆息した。
「引き続き城外市を探れとはなあ。ああ、あんな治安の悪いところ、行きたくねえなぁ……」
捜査官は泣きそうな表情で。
「なにしろ道を歩いていただけで、危うく殺されそうにはなるしなぁ……」
捜査官の泥鰌ヒゲも力なく揺れて。
「いっそ護衛の剣士を雇って……。ああ無理だよなぁ。そんなの、経費で落ちる筈もないものなぁ……」
しかし、それでも、ああ、それが経費で落ちたなら。
絶対にあり得ないことではあるが、無制限の経費でとびきりの護衛剣士を雇えたならば……。
「ははは、いっそ剣聖とか雇ったりしてな」
泥鰌ヒゲの捜査官は、つらい現実から逃避するように妄想してしまうのだ。
剣聖、ターナ・シーハ。
元より生涯無敗、大陸最強、生ける武神として知られていた古今無双の英雄であった。
その生ける伝説が、今やこの王都では生ける神話となっているのだ。
そう、まさに神話である。
そう、かの剣聖こそ「無眼無刀の極意」という名の、現代の神話なのだ。
たとえ一命を賭しても、剣聖もその門弟たちも尽く斬り伏せてやろうと息巻いてやってきた道場破りの凶漢。
その数、およそ百名。
その百名を、かの剣聖はなんと自ら、それもただの一人で相手取ったという。
しかもかの剣聖は、武器も持たず目隠しのままで百名を相手取ったというのだ。
むろんその百名とて並の剣士ではない。
しかし老剣聖はその凶漢どもを、あたかも赤子のように捻ったというのだ。
そう。
無手、目隠しのままで凶漢どもの白刃をば鮮やかに躱し、手も触れずに打ち据え、手も触れずに投げ飛ばしたというのだ。
そのときの神技こそが無眼無刀の極意。
そう、それはかの剣聖が長年の修練でついに到達しえた、神の領域なのだという。
もちろん、これがもし剣聖でなく他の剣士の逸話だとしたら、これを信じる者などいるはずもない。たとえ無垢なる稚児であろうとも、何を大袈裟な与太話と笑いとばしたことであろう。
しかし、無眼無刀の極意を得て生ける神話となったのは唯人ではない。かの剣聖、かの生ける伝説なのだ。
しかもその上。これを熱く語り吹聴したのは彼の門弟たちではない。
それを吹聴していたのは、たとえ刺し違えてでも斬りまくると息巻いてやってきた、あの道場破りの凶漢どもなのだ。
積年の遺恨を抱えていたはずの、あの凶漢どもなのだ。
無手、目隠しの剣聖ただ一人に破れた凶漢どもが、今では神の領域の体験者として、まるで己の自慢話かのように語り回っているのだ。
おかげでこの凶漢どもは皆、今やちょっとした人気者となっている。
王都の酔客どもは連日連夜、この凶漢どもに一杯また一杯と延々と酒を振る舞っては、無眼無刀の話をねだっていたのだ。
「はぁ。まあ、俺なんかの護衛に剣聖とか、絶対の絶対にありえないけどな」
泥鰌ヒゲの捜査官は冷たい現実にフルフルと首を振った。
たしかにあの道場に大金を積み依頼すれば、門弟の剣豪は借り受けられるかもしれない。
しかし剣聖その人はけしてカネでは動かないのだ。
たとえ山ほどの大金を積んだとて、たとえいかなる高位貴族だとて、たとえ高位聖職者だとて、剣聖その人を雇うのは簡単なことではないのだ。
「はあぁ。あんな治安の悪い町なんて行きたくねえなぁ……」
泥鰌ヒゲは重い腰をどうにか上げると、また嘆息するのだった。
「ああ神様、聖天使様、剣聖様ぁ、どうかお願いです。哀れなこの俺のために、無力なこの俺のために、あの鬼みたいなジジイをどうにかしてくださいぃ……」
◇◆◇◆◇
「てな訳だ、この通りだ、爺さん済まねぇ、爺さんの夢は諦めてくれ!」
俺は爺さんに頭を下げて詫びた。
頭を下げて詫びざるを得なかったのだ。
それというのも。
「ホント勘弁してくださいよぅ、痛てて、お願いですから勘弁してくださいよぅ、痛てててて……」
サダナー一家本部。その二階にある執務室。
そこに俺は呼び出しを食らったのだ。お叱りを受けたのだ。
なんでも町のあちこちから苦情が殺到したとかで、俺たちの研修現場にとうとうカツォーリさんがやって来てしまったのだ。
「ぶっ殺すぞ」のアレを、カツォーリさんに見られてしまったのだ。
それで二階に呼び出されて、半泣きのカツォーリさんに懇願されてしまったのだ。
「もうね、痛てて、困るんですよぅ、痛ててて、ああいうことをされると組としてはホントにホントに困るんですよぅッ」
つまりカタギの爺さんが町でブイブイいわせていると、組織としてメンツが潰れるってことらしい。
「じゃあさ、ならさ、この際あの爺さんを正規雇用してよ。この組の正規のチンピラとして……」
「そんなこと、出来るワケ無いじゃないですかあぁッ!」
お腹を押さえたカツォーリさんに怒鳴られてしまったのだ。
「よりによって、よりにもよって、生ける神話なんかを……」
そう。
どうやら、あの爺さんはちょっとした有名人だったらしいのだ。
そういえば竜兵も前から知っていたらしいし。
うん。あの爺さんは、あれで実は名の知れたカリスマ現場監督だったのかもしれない。
てことは、くそ、俺はまだ当分はこの組の一番の下っ端かよ。まだまだ便所掃除からは開放されないのかよ……。
「ボスぅ、ボスからも親分に言ってくださいよぅ、痛てて、痛てててて……」
「うむ、そうだな……、痛てて、く、痛てててて……」
サダナーもカツォーリさんと同じように腹を押さえていた。
なんだよ二人して腹なんて押さえてさ、食あたりかよ……。
「親分、さすがにアレはウチには入れられねえ……、痛て、痛ててて、クソ、腹が痛てぇッ!」
とうとう、食あたりのサダナーが身を捩って叫んだのだ。
「ちくしょう、腹が、腹が痛てえッ、こんな、こんな面白れぇこと、アイツらにも教えてやらんとッ」
「ボスぅ、笑ってないで、親分に、痛てて、ちゃんと親分に、痛たたたたぁーッ」
「だってカツォーリよぅ、痛てて、親分が生ける神話を弟子にしたなんてよぅ、痛ててて、よりにもよって無眼無刀を弟子にしたなんてよぅ、クク、クククク……、ガハハハハハハハ! クソ、腹が、腹が痛てええぇーッ!」
「てな訳でさ。俺も爺さんの正規雇用を頼んではみたんだけど、どうしても許可してもらえなくてさ。だからこの通りだ、爺さん済まねぇ、爺さんの夢は諦めてくれ!」
俺は爺さんに頭を下げて詫びたのだ。
頭を下げて詫びざるを得なかったのだ。
「師匠様、ワシはまだ師匠様と呼ばせてもらってもよろしいのだろうか?」
「でも俺には、こんな無力な俺には、もう師匠と呼ばれる資格なんて……」
「師匠様! お願いです、どうかこれからも師匠様と呼ばせてください!」
もうね、俺もね、無力感と罪悪感でこのカリスマ現場監督の爺さんに申し訳なくて申し訳なくなくて。
「でも俺なんて、俺なんて、結局爺さんに何もしてやれなくて」
「お願いです、どうかお願いです、これからも変わらずワシの師匠様でいてください!」
律義すぎるカリスマ現場監督がこの俺に、無力なこの俺に、まるで役立たずのこの俺に、頭を下げるものだから。
それに頷くしかない自分がまた情けなくて、情けなくてさ。
「それで師匠様、ワシはこれからも変わらず師匠様に会いに来てもよろしいのだろうか?」
く、役立たずのこの俺のせいで、チンピラになるという夢が絶たれたというのにこの爺さんは……。
それでまた俺は頷くしかなくてさ。
くそ、爺さん、済まねえ、済まねえッ。
「それならば!」
なのに爺さんはパアッと晴れやかな顔なんてしてさ。
この俺なんかを気遣ってくれてさ。
「いやあ師匠様、それであのときエイロク殿の首を斬ったやり方について質問なんですが……」
などと俺を気遣って、あからさまに話題を反らしたりしてさ。
そんでカリスマにとってさして面白くもないであろう話題を、しばらく続けていたんだけど。
「むむむ、もうこんな時刻に……。師匠様、誠に申し訳ありませんが、誠に残念ですが、今日はこれにて失礼致します」
と表面上はいかにも残念そうに。
「実は、今日はこれから仕事がひとつ入っておるのですよ」
「なんだ、これからっていうと夜勤じゃんか」
「く、こんなときに小事など、くだらぬ小事など……」
爺さんが言うには、馴染みの顧客に呼ばれたらしいのだ。
それも以前派遣した部下の不始末で、引け目がある顧客とかで。
これはあれかな。部下による欠陥住宅の手直しに、カリスマ現場監督が呼ばれるみたいなものかな。
それで俺はそのカリスマと別れて帰宅ですよ。
ところが。
そしたら。
「おお、やっと帰って来たか」
「その小汚い胴鎧、ふむ、オマエは泥亀のテツで間違いないな?」
俺の下宿先であるガタナー商会の前で、なんか変な奴らが待ち伏せしていたのよ。
「さあて。泥亀よ、これから俺たちと一緒に来てもらおうか」
「あ? 誰よ、おまえたち」
「ふッ」
男たちが鼻で笑うものだから。
「ああ? アホか、おまえら。初対面で名乗りもしねえクソ野郎に来いと言われて、俺がノコノコついていくワケねえだろ?」
「ふッ、ついてくるさ。オマエは絶対についてくるさ」
「あ?」
「こういえば分かるかな?」
そのクソ野郎どもはニヤニヤ笑いで。
「いいか。俺たちは、オマエの正体を知っている」
「なんだと!」
「ククク、むろんおまえの弟とやらの正体もな」
「竜兵の正体もかよ!」
「ククク、どうだ、ついてくるよなぁ?」
「さもなくば、オマエと「弟」の正体を言いふらすことになるぞ?」
「どうだ、オマエはともかく、弟のことは言いふらされると困るのではないかな?」
「ち」
それで俺は奴らの言いなりのまま馬車に入れられて、逃げられないように両サイドを固められて。
「なあに案ずるな、ちょっとばかり話を聴くだけだ」
俺を乗せた馬車は城門を抜けて、王都の中心部へと向かって行くようだった。
「そうそう、痛いこともないし、すぐに帰れるさ」
そのクソ野郎どもはニヤニヤ笑いのままで。
「ただし、知っていることを全て、素直に吐いてくれたらな」
「ああそうとも。あの神剣の出所について。ガタナー商会が国王陛下に献上したあの神剣について、洗いざらい全てを吐いてくれたらな」




