(35) 弟子
「見えぬ……」
「爺様、それで先日の変事についての続報なのですが」
「見えぬ……」
「王都近郊に突如現れた謎の光柱、そして雷鳴のような轟音」
「く、見えぬわ……」
「元老院の派遣した調査団によりますと、怪物と思しき巨大な足跡と大規模な破壊の形跡もあったそうで」
「見えぬ……」
「これは何か凶事が起きているのではと教会も関心を」
「見えぬ……」
「それで爺様、大司教様の現地視察に伴う護衛剣士の人選なのですが」
「ええい煩い! かような小事はカカズチ、お主に任せたはずだ! ワシは今忙しいのだ!」
王都中心部の一等地にある名門道場。
道場主と若師範とのこの会話に、稽古に励む門弟たちは皆一様に複雑な顔をした。
「されど爺様、大司教様の御身にもしも何かありましたら」
「何もないわ! 今さら大司教が行ったところでエーロク殿はもう既に……」
「え……、エーロク? 爺様、もしやかかる変事について何か御存知なのですか?」
「し、知らん! ええいワシは何も知らん! ともかく、ワシは今忙しいのだ!」
「爺様……。その事についてこのカカズチ、当道場の師範として今日こそ爺様に申し上げねばなりません」
「見えぬ……、なんだ?」
「先日から爺様のやっておられるその奇行についてです! その見えぬ見えぬはもうお止めください!」
「だが、見えぬのだ」
「ですから目隠しなどお外しください! 剣聖ともあろうお方が何をしておられるのかと、門弟たちも動揺しております!」
これにコクコクと頷く門弟たちもいる。
いつものように門弟たちの猛稽古。
いつもの場所には床几に座る老剣聖。
しかしここ数日間、その剣聖は目隠しをしているのだ。
目隠しのままずっと「見えぬ、見えぬ」と繰り返しているのだ。
この老剣聖の奇行に「ああ、天下の剣聖も寄る歳には勝てぬのか」と嘆息する者もいたのだ。
高弟たちの間では「晩節を汚す前に、どうにかして隠居してもらうべきではないのか」の声すら出始めていたのだ。
「どうかお止めください、このままでは爺様の名に傷がつきます、剣聖の名に傷がついてしまいます」
「小事!」
「なッ」
「そのような小事など捨置け」
「爺様……」
ギリ。
カカズチの奥歯が軋んだ。
いつからか、この剣聖は変わった。変わってしまったのだ。
ギリリ。
それはいつからだったか。
ギリ。
あの男……。
あの下品で、弱そうで、頭の悪そうなあの男……。
ギリリリ。
カカズチの胸に、暗い炎が灯る。
いっそ、いっそのこと、私がこの手で……。
「カカズチ、お主」
「!」
目隠しの老人はカカズチを凝視していた。
まるで目隠しの向う側から、カカズチの暗い炎をまじまじと見るかのごとくに。
しかし老人は息を吐くと。
「いや、気のせいじゃったか」と、また見えぬ見えぬに戻ってしまった。
その一方で。
「爺様……」
カカズチのその背に、なぜか冷たい汗が伝って落ちたのだった。
◇◆◇◆◇
「よし、言ったとおりにやってみな」
「はい、師匠様」
近況報告。
俺に弟子ができましたよ。
しかもかなり年上の弟子が。
それというのもあの日。
「竜兵、おまえなんでその爺さんを連れて来ちゃったんだよ。お陰で俺たち、夜逃げだぜ?」
「兄様、その事なんですが、大丈夫です、この方は大丈夫なんです。口の固い方ですので、ボクたちのことは絶対に漏らしません」
「え、マジで?」
これに土下座の爺さんがコクコクして。
「それと、この方を光らせない方法が見つかりました」
「うおおお竜兵、それマジかよ!」
竜兵の見つけた方法。
それは逆転の発想だった。
爺さんの弟子入りを認めてやることだった。
ただし、竜兵が爺さんに出した条件として。
・この師弟関係は口外せず秘密にすること。人前で「師匠!」なんて論外。
・師匠の俺に対して、金品その他いかなる謝礼も支払わぬこと。
・師匠の俺に対して、優しくしたり親切にしたりは絶対の絶対にしないこと。
「しかしそれではあまりにも!」と渋っていた爺さんだったが、それでも最後はなんとか納得した模様。
それで、俺もついに決心した次第。
「ち、しゃーねえな。爺さん、俺の指導はキビしいからな、途中で音を上げるなよ?」
「ははッ」
そんな経緯で。
「おうおうおうおう、てめぇワシにガン付けてんのか、殺すぞコラああぁッ!」
「ひッ、ひいいぃ……」
やって来た通行人に絡んで行った爺さんだったけど。
「ちょ、待て待て待て待てッ、やり過ぎッ、怖すぎだってば爺さん!」
泥鰌ヒゲのおっさんが白目を剝いて失神してるし!
何の罪もないおっさんなのに、可哀想そうに……。
「むう、どうも殺気の加減が難しいようですな」
「こういうのは軽くビビらせるくらいでいいんだよ!」
「はい」
「そんで相手が強く出てきたら逆にこっちがビビって、最後は捨てゼリフで逃げるものなの!」
「は、はあ」
「ち、まったく」
とまあ、出来の悪い弟子を取ってしまった俺であったが。
「おいテツ、馬鹿テツ」
「おい、リューへークンの馬鹿兄貴」
「げ、ビッチ姉さんたち……」
お色気担当のお姉さん二人が、鬼の形相で立っていたのだ。
「テツてめぇ、人の店の前で何フザケたマネしてんだよ?」
「しかも変なジジイまで連れてきやがって、営業妨害じゃねえか。マジでブチ殺すぞ!」
そんなこんなで。
「ちくしょう、このままで済むと思うなよ、てめえらの顔は覚えたからな!」
と逃げ出す俺たちだったのだ。
「しかし師匠様、顔見知りの者に「顔を覚えた」の捨てゼリフはないと思うのですが」
「……」
爺さんよ。
ホンの少し、ホンの少しの優しさは、あってもいいと思うんだ……。
◇◆◇◆◇
「見えぬ……」
「爺様、それで例の変事についての続報なのですが」
「見えぬ……」
「現場にはごく狭い範囲ですが恐ろしいまでの高温に焼かれた跡があり」
「く、見えぬわ……」
「視察した大司教様は、魔力の残滓の大きさから、これは最高レベルの非常事態宣言をするべきとも発言なされて」
「見えぬ……」
「爺様……」
今日も目隠しの老人に、ついため息が漏れて。
ギリ。
いっそ、いっそのこと……。
カカズチの心に、また暗い炎が灯ったときだった。
「見えた!」
「!」
その内心を見透かされたようでドキリとしたカカズチだったが、目隠しの老人はこちらに向いてはいなかった。
「かすかな光だが、間違いない、見えたぞ」
するとその視線の先、道場の入口に。
「頼もうッ! 我ら一門の積年の遺恨、今日ここに晴らさせて貰うぞッ!」
抜身の剣を手にした男たちが十数人現れて、土足のままゾロゾロと上がりこんできたのだ。
道場破りである。
「皆の者、慌てるな。道場破りの輩にはいつもの手筈どおり取り囲んで……」
しかし。
「おおお、見える、見えるぞ!」
カカズチと門弟たちを制して、目隠しの老人が前へと出ていくではないか。
「よくぞ参られた! さあさあ其許らのお相手は、このワシが仕ろうぞ!」
「爺様!」
「剣聖様!」
門弟たちの悲鳴にも似た叫び声。
それもそのはず、老剣聖は目隠しのままであったのだ。
しかも剣を持たず、無手のままに暴漢たちの前へと進み出たのだ。
「ぐぬぬぬ、剣聖よ、貴様、我らを愚弄するのか!」
「そうとも! 我らに対しただ一人、それも無手のまま、しかも、あまつさえ、目隠しだとぉッ!」
「何か汚い策でも弄しておるのか!」
ますます意切り立った暴漢たちであったが。
「おおお、見える、見えるぞ! 薄ボンヤリとではあるが、エーロク殿のあの眩い光には遠く及ばぬが、それでも見える、たしかに見えるぞ!」
老人は、その満面に喜色を浮かべていたのだった。
あの日、あの場所で。
あの方への弟子入りが許可された後で。
「ところで兄様、黒い光っていったいどうやって動かしているんですか?」
「ん、なんだ竜兵、おまえがそんなこと聞いてくるなんて珍しいな」
あの御令弟が、誠に賢くこの上なく慈愛に満ちたリューへー殿が、この老人のために尋ねてくれたのだ。
「んー、説明は難しいよなぁ。こう、ビカビカをビローンとして、ヌルルッとするだろ、そいつをこう、ズバーンッてさ」
「兄様、説明が雑過ぎますよぅ」
「ふむ。ビローン、ヌルル、ズバーン……」
「だって仕方ねえじゃん、それ以外に表現できねえし」
「そもそも、ビカビカがボクには見えませんよ」
「うーん、それも見えるから見えるとしかなぁ」
「もう少しヒントはないのですか」
「ヒントねえ……。おい、エーロク」
『は、はいッ』
「おまえさ、さっきみたいに消えてみろ、そんで分からないように移動してみろ」
『分かりました』
「竜兵、エーロクが今どこにいるか見えるか?」
「まったく見えません。というか音も気配も全部消えちゃうんですね。これじゃどこにいるかまったく……」
「今、黒い光は俺たちの後にいる。違う違う、今はそっち。お、飛んだぞ」
『ギャアッ』
「とまあ、背後にいても見えるし、遠くにいても見えるんだ」
『逃げられないッ、やっぱり邪神からは逃げられないぃッ』
『さささ、さっきのはなにッ? ヒモなのッ? 俺たちヒモに繋がれてんのッ?』
「こうして目を閉じてても見えるしな」
「ふたつの目で見ているわけではないのですね」
「うん、むしろ目を開けてると、気が散る分見えにくいかもな」
「やっぱりボクには難しいみたいです。ボクは特異体質じゃないし」
「目を閉じて……、そうか!」
そんなことがあったのだ。
「剣聖よ、我らは元より命を捨てる覚悟でここに来ている」
「その我らを愚弄するとあらば、無手の老人だろうと容赦はできぬぞ」
「よいよい、年寄りを焦らすでない。疾く参られよ」
「者ども、この死にたがりの爺ィを斬り刻んでやれぇッ」
「死ねええぃッ!」
「爺様!」
「剣聖様!」
カカズチ、そして門弟たちは揃って絶望の悲鳴を上げて。
「爺様!」
「うおおおぉ、剣聖様!」
次の瞬間には感嘆の悲鳴を上げていた。
「ぬおおおお、なぜだ、目隠しのままでなぜ俺たちの刃を躱せるのだ!」
暴漢たちの白刃の最中で、剣聖は舞っていたのだ。
「おおお、見える、見えるぞ!」
目には見えぬはずの刃を、その十数本の真剣を、死角である背後からの剣閃さえも、ヒラリヒラリと躱しながら舞っていたのだ。
「うぬぬぬぬ、ええい取り囲めッ、チョコマカ逃げられぬよう、皆で一斉に斬りかかるのだ!」
「死ねええぃッ!」
「爺様!」
「剣聖様!」
カカズチ、そして門弟たちは揃って絶望の悲鳴を上げて。
「爺……様……」
「剣聖……様……」
次の瞬間には言葉を失っていた。
「そんな馬鹿な! 今一瞬ではあるが、俺たちの振った剣が、剣筋がズレたぞ!」
必中の剣戟を繰り出した暴漢たち。
その白刃の中心に、剣聖は立っていた。
無傷のままで立っていたのだ。
「ふむ、ビローンからのヌルルはなかなかに難しいのぅ」
無傷とはいえその着衣が斬られてしまったことに、老人は不満げな顔だった。
片や真剣を持った十数人の暴漢。
片や無手のままの目隠しの老人。
しかしこの後の勝負は一方的であった。
「すごい……」
「なんということだ……」
暴漢らの剣はすべて躱された。
躱せぬはずの一閃は、なぜか勝手にその剣筋がズレてしまう。
そして暴漢たちは逆に当身を食らった。十分に見切って躱したはずなのに、見えない当身を食らって悶絶した。
そして投げられた。掴まれてもいないのに、目隠しの老人に投げられて昏倒してしまった。
「ビローンからヌルルッ、そしてズバーンッ、おっとビローン、ヌルルッ、こっちもヌルルッ、よしズバーンッ、ズバーンッ……。ん、もう終わりかの?」
「……」
「……」
もはや声もなかった。
道場に累々と横たわる暴漢たちと、まだまだ遊び足りなそうな老剣聖に、門弟たちは絶句していた。
そして落涙していた。
この名門道場の門弟たちは、それぞれが皆達人クラスの剣士である。
よって達人ならばこそ見えるもの、見えてしまうものがあったのだ。
「おっといかん、もうこんな時間ではないか、ワシは出掛けてくる。カカズチよ、後は頼むぞ」
目隠しを外し、いそいそと去っていく老剣聖を門弟たちは目で追って。
「信じられぬ、この目で見たとてまだ信じられぬ……」
「何が起こったのだ、今俺の目の前で何が起こったのだ……」
「目隠しのままで十数本の白刃をば躱し」
「触れずに敵の剣筋を曲げ」
「触れずに当身を飛ばし」
「触れずに千切って投げられた」
「それも無眼にして、無刀で……」
「無眼無刀の極意か……」
「剣聖様は、剣聖様は、どれほどの高みに至ったのだ」
「武の道の頂とは、あれ程までに高いのか」
「しかしあのような神技を、剣聖様はいつ会得なされたのだ」
「もしや、数日前より始めたあの奇妙な修練の成果なのでは」
「ではなぜ急にあのような修練を思いたったのだ」
「あるいはまさか、武の神より啓示を頂いたのでは」
「武の神か、剣聖様に道を啓示なさったのは、誠の武の神か……」
「そんな……、まさかあれが……、あの者が……、武の神だと……」
◇◆◇◆◇
「よし、言ったとおりにやってみな」
「はい、師匠様」
「あの、剣聖様、本当にいいんですか、剣聖様がこんなことをしていて……」
「わはははは、御令弟よ、このような事など小事、小事ぃ」
「ん、なんだ爺さん、今日はやけに機嫌がいいな。何かいい事でもあったのか?」
「わはははは、さすがは師匠様よ、分かりますか!」
「ううぅ、本当にそれでいいんですか、剣聖様……」
そんなこんなで。
「おうおうおうおう、ぶち殺すぞコラああぁッ!」
「ひッ、ひいいぃ……」
やって来た通行人に絡んで行った爺さんだったけど。
「ちょ、待て待て待て待てッ、やり過ぎッ、怖すぎッ、つか前より酷くなってるだろ、爺さん!」
しかも白目を剝いて倒れているこの人って……。
「ラット先輩じゃねえか! おい爺さん、てめえラット先輩になんつう事してくれたんだよ!」
「あー、ところで師匠様、ビローンからヌルルへの流れ方なんですが……」
「いいから! 逃げるぞ爺さん、ホラ竜兵も遅れるな!」
「え、ボクも共犯者なんですか?」
「おまえが言ったんだろ、責任持って面倒みますって」
「え、それはエーロクさんの……、え、もしかして剣聖様もボクの担当なんですか?」
「先輩にバレたらおまえのせいだかんな!」
「ええぇーッ、そんなぁ!」
「わはははは、なあに御令弟よ、リューへー殿よ、小事小事でございますよ!」
「理不尽ッ、なんか理不尽ですッ。ボクだけがいつも不当に重たい物を背負わされている気がしますッ。兄様も剣聖様も、理不尽ッ、理不尽ですッ!」




