(32) 土下座
「この通り、この通り、お願いでございます。どうか、どうか、私めを弟子にしてくだされッ」
王都でも中心部に近い一等地にある剣術道場。名だたる剣士らを輩出してきた名門道場である。
その道場の床に額を付けていたのは平民ではない。
それなりに身なりも整った、おそらくは地方貴族家の抱える騎士であろう屈強な男が、土下座して懇願していたのだ。
「悪いが、ワシはもう直弟子は取らぬと決めた。未熟すぎる己を鍛え直さねばならぬゆえ、後進を見てやる余裕などないのだよ」
「み、未熟ですと! 天下に並ぶ者のない剣聖殿が何たる戯言を!」
土下座の騎士が悲鳴のように叫んだ。
何しろ眼前にいる老人こそ大陸最強とも、生ける武神とも目される剣聖ターナ・シーハその人であるのだ。
「おお、もうこんな時間か。ワシは出掛けてくる。カカズチよ、後は頼むぞ」
「はッ」
「剣聖殿、お待ちをッ」
老剣聖は若い師範に声を掛けると道場を去ってしまった。
残された騎士は悔しさに顔を歪めた。
「若師範、某は剣聖殿にからかわれたのでしょうか。御自身が未熟などと、あのような戯言を」
「あれは……、戯言ではないのです」
「若師範?」
道場の若師範カカズチは、王都の南方に顔を向けていた。
その顔は土下座騎士からは見えないものの、ギリギリと歯ぎしりをしているようだった。
「そう、あれが戯言ならば、どんなに、よかったか……」
日が傾き、カカズチと土下座騎士の影が長くなっていく。
もうすぐ夕刻になるのだ。
◇◆◇◆◇
「この通り、この通り、お願いでございます。どうか、どうか、私めを弟子にしてくだされぃッ」
王都城外市。王道によって四つに分かれた中でも南地区と呼ばれるこの町で。
貧しい労働者に安酒を出す店の前で。
そこで地に額を付けていたのは若者ではない。
それなりにいい歳の、おそらくは引退した現場監督であろうガッチリ体型の爺さんが、土下座して懇願していたのだ。
この俺に!
「だから爺さん、止めてくれってば! 土下座なんてされても無理なものは無理だってば。歳を考えろよ」
はぁ。ここ毎日こんな感じなのよ。
夕刻になるとこの爺さんがここで俺を待ち伏せしていて、土下座してくんのよ。
ありえんだろ、いい歳してチンピラになりたいとかさ!
ホラ、お店のお姉さんたちも変な顔してこっち見てるし!
しかも厄介なことにこの爺さん。
「むろん謝礼は払います。いくらでも払いますので」なんて分厚い財布を渡そうとしたりも。
もうね、アホですかと。その時点でアウトですよ。
だってビッカビカに赤く点滅してるじゃん!
今にも光り出しそうじゃん!
赤い人。赤く光る人。
それは俺の天敵だ。
赤いモゾモゾで俺を苦しめてくる、とてもとても厄介な人たちなのだ。
だから俺は赤い人たちから逃れるため、町の嫌われ者になったのだ。
背中スッキリの健康ライフを手に入れるため、チンピラになったのだ。
なのに!
そのチンピラに弟子入りしたいとか、ありえんだろ!
それもビッカビカに赤く点滅しながら弟子入りしたいとか、ありえんだろ!
「ともかく! 他を当たってくれ。俺自身まだまだ修行中だし、弟子なんて取れるワケないからな」
正直、爺さんのガッツは認めないでもない。
この歳からチンピラを始めるのはどうかと思うけど、俺が口を聞けばサダナーも組織に入れてくれるとは思う。
でもさ、やっぱ自分の職場に赤い人なんて勘弁してほしいわけよ。
なにしろ家に帰ればガタナーさん、飯屋にはおばちゃん、銭湯には口入れ屋のおっちゃんと、常に赤爆弾に囲まれてる生活の中で、唯一気の休まるのは職場だけなのよ。
いかつい兄さんやオッサンたちで殺伐としたあの職場。
そう、あの職場だけが俺の癒やし空間なのよ。
「諦めな、爺さん。俺のカッコ良さに憧れるのは分かるが、人間地味に慎ましくひっそり堅実に生きるのが一番だ。じゃあな、もう来んなよ」
「諦めませぬ、ワシは諦めませぬぞ!」
逃げ出した俺の背に、今日も爺さんが叫んでいた。
いや赤いモゾモゾで俺の背中をくすぐろうとするのはもう諦めてくださいよぅ……。
◇◆◇◆◇
「という困った爺さんがいてさぁ」
「うーん兄様、その方って本当にチンピラ志望者なんですかね?」
日も暮れて、ガタナー商会の二階にある狭い居室である。
「だって本当に組織に入りたいなら、サダナーさんかカツォーリさんに声を掛けると思うのですが」
「竜兵、分かってないなぁ」
「なんですか」
「爺さんにとっての俺は、かつての俺にとってのラット先輩なんだよ。目指すべき目標というか、憧れの存在というか。だからサダナーでなくこの俺に直接……」
「うーん、それはおかしいですよ。そもそも兄様がラットさんに憧れたのは、赤い光から逃れるためですよね?」
「うん」
「じゃあそのお爺さんがチンピラに憧れる理由なんてありませんよ。だってふつうの人には赤い光なんて見えないんですから」
「そ、そんなの分からないだろ。あの爺さんが特異体質で実は赤い光が見えるという可能性も……」
「ないですってば。断言しますけど、黒い光や赤い光が見えて、人の優しさや親切に苦しめられる人なんて、そんな特異体質はこの世界に兄様しかいませんよぅ」
「ぐぬぬぬぬ」
この兄と弟の常として。
意見が割れたときに、理路整然と論破するのは決まって弟の方であったのだ。
「そ、そんなことよりも!」
しかし兄は大声で。
「高木さん、明日は一日休暇を貰ったから、例の案件は朝にでもな」
「へい。若旦那、ありがとうございやす」
「兄様が話題を反らした!」
そしてまた、この兄と弟の常として。
いかに理路整然と論破されようと、この兄がそれを認めたことなど一度としてなかったのだ。
「だって竜兵、これは一大事なんだぜ? なあ高木さん」
哲也の身に着けている古くてみすぼらしい胴鎧。
しかしその胴鎧こそは、実はダンジョンの魔物、ミミックの擬態した姿であったのだ。
それもただのミミックではない。
かつてダンジョン最奥の堕神に捕らえられ、その眷属として知恵と言葉とを与えられて、初級魔法とはいえ火水風回復に収納魔法と何でもこなす万能のスーパーミミックなのだ。
そのスーパーミミックが、昨日哲也に「いささか困ったことになりやした」と相談を持ちかけたらしいのだ。
「はぁ。それで何ですか、タカギさんの一大事って」
「いやぁボン、それ程たいした事でもございやせんが」
「うん」
「例の、九首のドラゴンですよ」
「ドラゴン? 兄様が首をお城に置いてきたあのドラゴンですか?」
「へい。若旦那がとっちめて、その馬鹿でけえ図体をアッシがずっと持っていた訳ですが」
「うん」
「どうやら野郎、生意気に不死属性なんぞ持ってたらしくて」
「えッ」
「いつの間にか、アッシの中で生き返りやがったんですよ」
「えええッ!」
「今はまだ大人しく寝てやすが、野郎が起きたらさすがにアッシでは抑えられやせん。アッシのインベントリを喰い破って出てくるかと」
「それって大事件じゃないですか! あんな怪物が生き返ったなんて、国を揺るがす、世界を揺るがす大事件じゃないですかッ!」
「そうとも竜兵、これは大事件なんだよ」
哲也が深刻な顔で頷いた。
「ダンジョンでは毎日あの肉でウンザリだったけどさ、あれは紛れもなく高級肉だ。俺はA5の和牛なんて喰ったことないけど、あれはきっとそれを超えるA6肉だ!」
「兄様、そっちですか……」
「殺しても殺しても生き返るドラゴン。そうとも、それはまさに夢の無限肉! 喰っても喰っても減らない肉の永久機関だぜぃ!」
「はぁ。そうでした、兄様はこんな人でした……」
竜兵はこの日何度目かのため息を吐いた。
さっきまで赤い人が現れたと泣きそうな顔だった竜兵の兄である。
そして今。国を丸ごと滅ぼせそうな怪物が復活したと聞いて「肉祭りじゃ、明日は肉祭りじゃあッ」とはしゃいでいる兄である。
竜兵は立ち上がって。
「ガタナーさんに、明日は仕事を休むと伝えてきます」
「ん?」
「明日はボクもついて行きますからね」
「おおそうか、おまえもシメたてフレッシュ新鮮肉が喰いたいか。でもさあ、大切なのは肉祭りよりも仕事だぞ? やっぱ人間、優先順位を間違っちゃいかんぞぉ」
「優先順位って、優先順位って……」
「ん、どした竜兵? プルプル震えて」
「一歩間違えば国が滅びるかもしれないのにッ、世界が滅びるかもしれないのにッ、兄様を見張っておく事以上に優先することなんてありませんよ!」
「大袈裟だなぁ。まあA6肉をうっかり逃しちゃったら、しゃーない、そのときはそのときで」
「そういうところですッ、兄様のそういう軽いところが不安なんですよぉッ!」




