(31) 動揺
「おやテツヤ君、こんなところで会うなんて珍しいね」
「おうおうおうおう、口入れ屋のおっちゃん。何度も言うが俺はテツヤじゃなくてテツだから。ケンカは弱えが打たれ強え泥亀のテツだから!」
「おっとこれは失礼、泥亀のテツ君」
「おじさん、すみませんッ。兄様も立場のある年長者にあまり失礼なことは……」
「ははは。いいんだよリューへー君。ここでは立場も年齢もないからね。裸の付合いってヤツさ」
俺と竜兵はお互いの仕事が終わって近所の銭湯に来ている。
そこの脱衣所で、あの親切な口入れ屋のおっちゃんと出くわしたのだ。
「それじゃあお先に」
おっちゃんはブランブランさせながら浴室に。
く……。
たしかに裸の付合いには立場も年齢もないかもしれない。
しかし格上と格下は、頂点から底辺までのヒエラルキーなら存在するのだ。
組織の末端、チンピラである俺は裸の付合いにおいてもヒエラルキーの末端なのだ。
そしてもちろんその頂点に君臨するのは……。
「高木さん」
「へい。なんでしょう、若旦那」
「ドラゴンの首はお城に全部置いてきたはずだよね」
「へい。ドラゴンの首なら九個全部出しやしたが」
「こんなところにまだひとつ残ってるんだけど」
「ちょっと兄様、やめてください! また人の下半身をそんな目で!」
「くそう竜兵、これで勝ったと……」
「思ってませんから!」
「ぐす、くそう、男の価値は……」
「それももういいですから! お願いですから、銭湯に来るたびに泣かないでくださいよぅ。さあ行きますよ」
竜兵がドラゴンを手拭いで隠して行ってしまう。
くそう、隠れてねえし。
くそう、浴室中の注目を浴びてるし。
ここでこの町の銭湯について。
銭湯とはいってもお湯の風呂はなくて、サウナと水風呂だけなのよ。
もちろんシャワーもなし。
頭や体を洗うには水風呂から桶ですくってザブザブ被る感じ。
竜兵が元いたお城にはお湯の浴槽もあったそうだけど、やはりお湯をたっぷり用意するのにはコストが掛かりすぎるみたい。
なにしろ井戸から水を汲むわけで、その分手間ひまが掛かるからね。
だからここの入浴料金はだいたい定食ふたつ分と、ややお高めだったりする。
「それで、最近はどうよ?」
「はい兄様、やはり随分と大変みたいです」
「どうせあれだろ?」
「はい兄様、公爵家とは無関係だと明言しちゃいまして」
「かなり?」
「はい兄様、かなりあからさまに妨害してくる商会もいまして」
「あーあ」
サウナで竜兵と世間話など。
俺の思考の読みとりスキルを持つ竜兵との世間話。
話題は当然ガタナー商会のこと。
なにしろ市民権を買ったばかり、商人組合に入ったばかりのルーキー商人のガタナーさんが突然「王室御用達」に指名されてしまったのだ。
商人組合の先輩たちにしてみれば当然面白くはないわけよ。
分かりやすく例えると、野球部の一年坊主が、しかも実績どころか野球経験もゼロの球拾いがレギュラーに指名されたのよ。
しかもいきなりクリーンナップよ?
分かる?
一番の下っ端が、いきなレギュラーでクリーンナップよ?
そりゃ他の部員たちにしてみれば面白くはないよね。
そりゃ三年生も二年生も一年生も。全部員から嫉妬とヘイトを集めちゃうよね。
じゃあなんで下っ端がクリーンナップに指名されたのか。
それは下っ端さんが監督の家にお呼ばれして、高価なプレゼントを贈ったから。
だから当然部員たちは考えるわけよ。
「この下っ端のバックにはきっと金持ちのパパがいる」と。
そのパパとは誰か?
それは監督の家にお呼ばれしたときに乗っていた高級車の持ち主ではないか。つまりはフードリア公爵家ではないかと。
うーん、この例え話も途中からなんか微妙だな……。
それで。
せっかく公爵家がバックにいると思われていたのに、それを当人のガタナーさんがはっきり否定しちゃったんだって。
ウチの商会は公爵家とは一切無関係です、たまたま知り合いが公爵家から馬車を借りただけなんですと、馬鹿正直にさ。
「ではなぜ王宮は招待状を?」「さっぱり分かりません」
「ではどこからあんな神剣を?」「神の御心と聖天使様の御導きです」
うーん、どうしてそこまで馬鹿正直に答えるんだろうね。
とにかくそれで組合の先輩たちからのアタリが厳しくなったみたいで。
細かい嫌がらせや難くせはまだいいものの、中には最初からガタナーさんを嵌める目的での融資話や共同事業の持ち掛けなんかもあったみたい。
幸いにしてガタナー商会には王国法の知識のある会長秘書さんがいて、契約上の罠は回避できたそうだけど。
「でもこのままではかなり危ないです。いずれ豪商たちはバックにいる貴族を動かして政治力でウチを潰しに来るはずですから」
「政治力ねえ。そこでもヒエラルキーかぁ」
そんな話をしながら俺たちは銭湯を出たのだった。
「テツ君、リューへーさん、じゃあまたね」
「あれ兄様、今あの口入れ屋さん、ボクのことをさん付けしましたか?」
「……」
「あれ?」
「ここでもヒエラルキーかぁ」
そんな帰り道。
「上級生のイジメを避けるにパパ活が必要かぁ」
「パパ活が何かは知りませんけど、ガタナー商会にも貴族の後ろ楯が欲しいですよね」
「でもなぁ、そうするとおまえの存在が」
「バレちゃいますものね。その貴族に」
「どこかにいないのか? おまえの存在を知っても黙っててくれる信用できる貴族は?」
「そんな都合のいい貴族なんていませんよ」
「こないだの痴女姫さんは? おまえの又従姉なんだろ?ガタナーさんの味方になってくれないかな?」
「サイゼ姉様ですか? でもあの方は……」
「ワタクシが何ですの?」
「うわあ痴女姫ッ!」
「サイゼ姉様ッ!」
話に気を取られて気がつかなかった。
貧民たちの城外市にはまるで似つかわしくない高級な馬車が止まっていたのだ。
俺たちのすぐ横に、公爵家の紋章入りのあの馬車が。
その小窓からこちらを見つめるあの姫さんが。
「しばらくですわね、泥亀さん」
「お、おう」
「そしてお久しぶりですわね、殿下。オータニウス殿下」
そんなこんなで馬車の中。
フードリア公爵家の豪華な馬車の中である。
「あの」
「はい」
「どうして」
「どうして? ああ、先日陛下の即位式典でそちらの殿下をお見掛けしましたの。あの格好もなかなかよくお似合いでしたわよ、殿下」
「……」
「女装がバレたのかよ! いや……、それではなくてなぜ」
「なぜ? それはもちろん泥亀さんに会いに来たのですが」
「はあ俺に? いや……、それではなくて」
「ですからあのときのお礼を伝えに来たのですが」
「姫さんにお礼される覚えなんてまるでないんだけど、それではなくて」
「ですからあのときワタクシの命を……」
「いやいやいやいや、だから何でだよ!」
「はい?」
「なんでこんなに距離が近いんだよ! なんで姫さんが俺の腕をホールドしてるんだよ!」
あの豪華な馬車の中。
俺の腕をガッツリ組んでタユンタユンを押し当ててくる痴女姫さん。
俺たちと向い合わせのシートには、こちらから視線を外した竜兵と侍女さんが。
「いったいなんなんだよ、ここはボッタクリのお店なのかよ! あやしい出張サービスなのかよ! 言っておくけど金なんてないからな!」
ペロリ。
「うおッ!」
「姉様ッ!」
「お嬢様ぁッ!」
「あらやだ泥亀さん、はしたないところを殿下に見られてしまいましたわよ?」
「はしたないのはおまえだけだろ!」
「だってこんなにいい匂いがするんですもの。ワタクシは悪くありませんわ」
「失礼な。匂いなんてねえよ! 風呂に入ったばかりだぞ」
「あのサイゼ姉様」
「ご心配なく、殿下。殿下のことは誰にも話しておりませんので。むろんこの者も、何があろうと口外などいたしませんわ」
その侍女さんは再度視線を外して石像になっている。
口の固さはよほど信用されているのか、よほど弱味を握られているのか。
「殿下はご存知ですか、あの後大変でしたのよ?」
「え」
公爵家の痴女姫さんは俺の腕をガッチリ離さないまま、王宮の混乱ぶりをさも楽しげに教えてくれた。
まず第一王子のこと。
高位聖職者による回復魔法で、どうやら怪我は全快したらしい。
だが多大なる犠牲を払って狩りとったはずの双頭魔獣のインパクトはすっかり薄れて消えてしまって大いに落胆しているそうな。
なにしろ第二王子からの贈答品は九首のドラゴンである。
今や第二王子は「ドラゴンの王子」あるいは「九首の王子」と呼ばれているらしい。
一方で第一王子に付けられたニックネームは「犬の王子」である。
奇しくもエンゲルス王家の紋章は双頭のドラゴンである。
その後継者として「ドラゴンの王子」の印象はとても強烈なんだって。
そう。
当初は第一王子の一卓しかなかった王家の後継者レース。
そこに「隠れオータニウス派」ができつつあるのだとか。
その中心は近衛を中心とした軍人たち。
あの日オータニウス王子の臣下を名乗った赤い騎士。
その騎士にボッコボコにされたにも関わらず、近衛たちはそれを恨みに思うどころか自慢さえしているそうな。
これはあれか。
かつてトゲトゲ黒鎧にやられた裏社会の脳筋どもと同じ心理なのかもね。
それでダンジョンで「王族殺し」をなそうとした王国騎士団には「不忠騎士団」のあだ名がついてしまい、騎士団員は肩身の狭い思いをしているとか。
だから仲間にそれを命じた第一王子に対し、王国騎士団は不満を抱いているんだとか。
しかも第一王子は強引なオルトロス狩りのために、騎士団員から幾人もの犠牲を出していたのもあって。
「それと元老院ですわね」
そこでも隠れオータニウス派ができつつあって、元老院全体としては両天秤の様子見状態なんだってさ。
それで只今焦りまくっているのが第一王子とその後ろ楯であるレニーリン侯爵家。
貴族や軍人たちに金をばら蒔いて形振り構わない多数派工作をしたり。
それと情報庁を総動員しての捜索をしたり。
つまり第二王子オータニウスの捜索に、無敵の騎士スターダストの捜索。
「ワタクシたちも大変でしたのよ?」
痴女姫さんの不平がなぜか俺に向けられた。
「あの神剣を持ち込んだのがフードリア公爵家だと噂されて、おかげでウチは痛くもない腹を随分と探られたのですよ?」
「俺が姫さんから馬車を借りたせいだな。迷惑を掛けたなら謝るよ」
「どうかお気になさらず。それともうひとつ」
それはこの城外市のこと。
当初は死んだと思われていたために、城外市の総督権限は元老院に委託されていたけれど、その権限委託が無効化されてしまったんだって。
つまり王都の人間は城外市に手出しできないんだとか。
いつかのように立ち退きの強請執行とか法的にできなくなったんだって。
ちなみに、第二王子オータニウスを総督職から解任することもできないみたい。
王族を解任するには本人が元老院まで出向く必要があるから。
「サイゼ姉様」
「なんですの殿下」
「派閥とかあだ名とか知りませんよ。ボクは城を出た人間です。今さらあそこに戻るつもりなどありません」
「おほほほほ。あれから背も伸びて随分と男らしく成長したように見えましたのに、殿下ときたらまるで聞き分けのない稚児のようなことを」
「ボクはリューへーです。兄様の、テツヤ・サイトーの弟のリューへー・サイトーなんです。オータニウスは大迷宮で死んだんですよ!」
「まだそのようなことを。王家に生れた殿下がその責務からお逃げになるのですか? そこに踏み止まって戦ってらっしゃる陛下を残してご自分だけお逃げになるのですか?」
「ボクは……」
「殿下のためにお亡くなりになった方たちも、これでは浮かばれませんわね」
「そんな!」
「なあ姫さん。その辺で勘弁してやってくれよ」
「あら泥亀さん」
「そいつは俺の弟なんだ。あまりイジメないでくれよ」
「あらあら、命の恩人に言われてしまっては仕方ありませんわね」
「姫さんの命の恩人になった覚えなどないんだが」
「そうそう、今日はそのお礼に来たのですから」
「だから身に覚えがないってば」
「それでもですわ。受けた恩義はキッチリお返しするのが人としての責務というもの。ワタクシは自分の責務から逃げる積りはありませぬゆえ」
「あー、じゃあひとつ頼んでいいか?」
「なんなりと」
「ガタナー商会の後ろ楯になって貰いたい」
「おほほほほ。承りましたわ」
「お嬢様!」
石像だった侍女さんが悲鳴をあげた。
それはそうだろう。
たかだか零細商会のために、公爵家をトラブルに巻き込もうというのだから。
「だが本当にいいのか?神剣の出所やら第二王子との関係やらを疑われて揉めたんだろ?」
「そうでしたわね」
「公爵家はその揉め事を本当に抱え込むことになるんだぞ?」
「ご心配なく。それくらいなんとかなりますわ」
自分は逃げない。
まるでそう言わんばかりに堂々と胸を張って見せたのだ。
俺たちを下ろして去っていく馬車。
竜兵はずっと唇を噛んでいた。
「竜兵、あまり気にするな」
「……」
「おまえが何をしたところで、おまえは竜兵だ」
「……」
「たとえ王子様ごっこをしても、そこから逃げ出したとしても、おまえはリューへー・サイトーだ」
「……」
「そうとも。おまえはテツヤ・サイトーの弟の、リューへー・サイトーなんだよ」
「兄様……」
「そうとも。おまえは泥亀のテツの弟、子亀のリューへーなんだから」
「台無しッ、台無しですッ! 兄様、どさくさでボクに変な呼び名を付けないでぇッ!」




