(27) 貢納品
歴史と伝統の大国、リッカ・コターナ。
この国において即位の大礼とは単なる政治イベントではない。
教会と貴族諸侯と軍部が、それぞれに新王を承認して祝福を与える「宣誓式」の意味あいが強いのだ。
すなわち式典において新王は、まず大教主より「神は汝を王として認めたもうなり」と王冠を捧げられた。
次に新王は元老院議長より「王国貴族は汝を王として認め、ここに祝福するものなり」と王笏を捧げられた。
そして最後に異変が起きたのだ。
軍務総長が「王国三軍は汝を王として……」と王剣を捧げようとした瞬間に。
ピシリ。
突然、稲妻のように亀裂が走るや、軍務総長の手の上で。
パリンッ。
王剣は真っ二つに割れてしまったのである。
これで驚いた軍務総長が固まり、新王も固まり、式典会場に列席した貴族たちが大きくザワついた。
年老いた軍務総長は、気の毒な程に蒼白になっていた。
王国陸軍、王国海軍、王国騎士団。その三軍の長である軍務総長とは実は実権を持たない名誉職であり、王族の中でも長老格であるこの老人がその役職を担っていた。
その王族がよりにもよって、新王即位の大礼において王家伝来の剣を割ってしまうという大失態を犯してしまったのだ。
老軍務総長はふたつに割れた王剣を新王に捧げるわけにもいかず、さりとて三軍の承認を与えぬわけにもいかず、捧剣の姿勢で固まったままフルフルと震えていた。
「もうよい。軍務総長よ、下がってくれ」
「ははッ」
結局。軍部からの承認もないまま、新王は王座へと腰を降ろしたのだった。
この異例の事態で王宮広間が大きくザワついていたちょうどその頃。
平民からの貢納品を集めた別室では。
『ベロベロベロベロ、残念でしたぁ~ッ! 宝箱じゃなくてミミックでしたぁ~ッ!』
ガタナー商会からの貢納品を石ころにすり替えようとした検品官は、蓋を開けた瞬間に突然現れた魔物にベロンと顔を舐められて。
更には。
「そいやッ」
まるでチョップのような衝撃を首筋に受けて。
(馬鹿な……、この部屋には誰もいないはずなのに……)
意識を失ってバタリと倒れたのだった。
それから。
「大変だ、大変だ、誰か来てくれ、人が倒れているぞーッ!」
王国騎士団の鉄鎧を着けた若者がその部屋から出てきて叫び。
「ええい何事だ、式典の最中なるぞ!」
王宮の衛士隊員たちがバタバタと駆けつけて来る頃には、どこかに姿を消していたのだった。
「魔物だ! 私はその木箱に化けた魔物に襲われたのだ!」
意識を取り戻した検品官は烈火のごとく怒っていた。
「査問庁の査察官を今すぐここに呼べ! ガタナー商会はこの王宮に魔物を持ち込んだのだぞ!」
衛士隊員たちはその木箱をグルリと取り囲み、剣先をグサリと突き立てた。
「衛士よ気をつけよ、今に正体を現して襲ってくるからな!」
「あのう、検品官殿。何かの見間違いではないのですか?」
衛士隊員たちがグサリグサリと剣を突き刺しても、木箱には何の変化もなかったのだ。
「何を言うか無礼者め、そんな筈はない! ええいこの役立たずどもめ、その剣を寄越せ!」
検品官は衛士隊員から剣をもぎ取ると、木箱をガツンガツンを殴り付けた。
「検品官殿、お止めください。私の剣が壊れてしまう」
「ええい黙れ! さあ魔物め、魔物め、正体を現せ! そうだ、この蓋だ、この蓋を開けた瞬間に魔物が襲ってきたのだ!」
更に乱暴にガツンガツンと箱を殴って蓋をこじ開けた。
「検品官殿。蓋が開きましたが……、何もないようですな」
「そんな筈は……」
「呼ばれて来てみれば……。衛士よ、いったいこの騒ぎは何事だ?」
「はい査察官殿。それが、検品官殿がかなり錯乱しているご様子で……」
「検品官殿。陛下への貢納品を壊して台無しになさるおつもりか?」
「違う、この木箱は魔物なのだ! この魔物はたしかに私を襲ってきたのだ!」
「致し方ない。衛士よ、この者を取り押さえろ」
「ええい何をするか、放せ!」
「検品官殿、参りましょうか。お話は査問庁でゆっくり聞かせて頂きますので」
「ええい無礼者め、ワシを誰だと思っている、放せ、放せィッ!」
「幻覚を見るほどの違法薬物ならば、身分の別なく取り調べるのが我が査問庁の職務権限ですので」
「ふざけるな! ワシは見たのだ、その箱は魔物なのだぞ!」
「それと、検品官殿がずっとお持ちのその袋について。石ころの詰まったその袋についても詳しい説明をば是非」
「こ、これは……」
「我が査問庁では、かねてより貢納品横領の事案が問題視されていましてね。しかし物証もないまま身分のある被疑者を取り調べる訳にもいかず困っておったのですよ」
「違う、これは違うのだ……」
「さあ検品官殿、参りましょうか。言っておきますが、今回は物証も揃っております。我が査問庁の取り調べは甘くはないですよ?」
かくして。
喚き散らす検品官は手枷口枷で拘束されて連行されていき。
残った衛士隊員はボロボロになった木箱を指差して。
「隊長、この貢納品ですが、いかが致しましょうか?」
「それは陛下への貢納品だ。たとえ市井の庶民からの貢納品であろうとも、我らがそれに手をつける訳にはいかぬ」
「ええと、箱はボロボロになりましたけれど中身は無事だったみたいですね。どれどれ、うわッ!」
「うおおおおぉ、いったい何だこれはッ!」
王宮広間。
新王即位の式典は粛々と進行していた。
参列者が大貴族から順番にひとりひとり呼ばれていき、その名とその顔とその貢納品を王の御前に披露していく。
その新王の背後には大教主、元老院議長、軍務総長の三者が佇立していた。
その老軍務総長は今や死者のような顔色で瞑目していた。
王家伝来の剣を、ドラゴンの骨を削り出して作ったとされる王剣をこの手の中で割ってしまったこと。
それによって、軍部からこの新王への承認という式典最重要ピースを欠いてしまったこと。
ただでさえ、長き歴史の中で実権を削られ続けた王家なのだ。
それでも唯一残っていた筈の権威すらも大きく傷つけてしまったのだ。
(おそらく。エンゲルス家の王朝はこのミーノウル王を以て最後となる)
同じエンゲルス家の男として、軍務総長はこの新王が哀れでならなかった。
横暴な門閥貴族によって全ての実権を簒奪され、未婚のまま身籠っていた驕慢な女を正妃として押し付けられ、愛していた妻と息子を殺されて、それでも逃げずにエンゲルス家最後の王として立ったこの甥が哀れでならなかった。
(せめてオータニウスが生きていてくれたなら……。せめて先王があと五年長らえてくれていたら……)
そう。第二王子オータニウスの「事故死」は、老軍務総長にとっても痛恨事であったのだ。
粗暴な第一王子と比して、女々しく怯懦で軟弱者と目されていた第二王子。
しかし心優しく聡明で真っ直ぐな気質の少年でもあったのだ。
皇太子であった父も、老軍務総長もあの少年を愛し、その将来には期待もしていたのだ。
せめてあと五年、生き長らえて成長してくれればオータニウスの持つ「王器」に気づいてくれる者もいたかもしれないのに。
しかし、そのオータニウスの元服とほぼ同時に、先王が身罷ってしまったのだ。
先王の逝去によって皇太子ミーノウルは王として即位する運びとなり、その一年後に立太子の儀典が定まり、オータニウスは無力な雛鳥のまま後継者レースに引摺り出されたのだ。
いや、因果関係は逆かもしれない。
おそらくは、オータニウスを雛鳥のまま引摺り出すために、その元服とともに先王が逝去させられたのだ。
(あやつらなら、やりかねぬわ)
それゆえに。
オータニウスの死によって、エンゲルス家の王朝も終わってしまったのだ。
双頭のドラゴンを家紋とするエンゲルス王朝は、権威すらも地に落としたまま今日この日にはっきりと死んでしまったのだ。
だから。
(ミーノウルよ、すまぬ。ワシは一足先に行かせてもらうぞ)
老軍務総長はこの日、自刃する決意を固めていた。
「市民ガタナーよ、前へ」
王前に最後に呼ばれたのは安物の身なりをした商人だった。
それとともに運ばれてきた貢納品は……。
「なんだあれは?」
刃物でグチャグチャにされた木箱がやってきたのだ。
その酷い有り様を見て、参列者がドヨドヨとザワめきだした。
他国よりの来賓も。大小の貴族も。教会の聖職者も。裕福な上級市民も。
検品の際に何かトラブルがあったというが、衆目の中でまだこれ以上王の権威を地に落とされるのかと老軍務総長は神を呪いたくなった。
しかし、このトラブルを持ち込んだ憎き商人は表情を変えてはいない。
いやむしろ、うっすらと笑っているではないか!
「そなたがガタナーであるか。今日はよく来てくれたな、礼を言うぞ」
「ははーッ」
新王が商人に声を掛け、参列者たちがまたザワついた。
これも極めて異例であったのだ。
そしてその木箱を開けて、中から貢納品を取り出した係官が。
「ガタナー商会より貢納です。け、剣をひと振り……」
その声と、その手をガクガクと震わせた。
「うおおおおぉ、いったい何だそれはッ!」
老軍務総長は思わず叫んでいた。
これまで見たこともない程見事な剣だったのだ。
この地上で、いかなる国の宝物庫にもないと断言できるほどの剣だったのだ。
これまでの歴史上で、いかなる帝王も持っていなかったと断言できるほどの剣だったのだ。
それこそ、神話にしか出てこない程の見事な剣だったのだ。
しかもそれを持って来たのは大貴族ではなく。
上級市民でもなく、豪商でもなく。
安物の身なりをした庶民の商人なのだ。
(この者はいったい……)
参列者たちの驚愕の中で。
その商人は笑っていた。
まるで旅芸人の手品を見た子供のように目をキラキラさせて、さも愉しげに笑っていたのだ。
「ガタナーよ。なるほど、そなたはよほど神に愛されているのだな」
「ははッ」
新王は当たり前のように声を掛け、これに商人もまた当たり前のように応えた。
「その剣を近くで見たい。軍務総長よ」
「は、ははッ」
老人は突然振り向いた王に動揺し。
「持ってきてもらえぬかな」
「!」
すっかり冷えて凍りきった心に熱い薬湯を注がれて、息を飲んでしまった。
だから。
老人は係官からその剣を受け取ると、王の前で膝をつき。
「王国三軍は、汝を王として、ここに、認め、祝福致します……」
割れてしまった王家伝来の剣に代えて、それよりも格段に見事な宝剣を捧げることで、軍務総長としての務めを果たすことが出来たのだった。
エンゲルス家の男としての務めも、新王ミーノウルの叔父としての務めも果たすことができたのだった。
更には。
「お互いもう少しだけ生きてみようではありませんか。叔父上」
そう囁いた声ゆえに。
老人は拝礼の姿勢のまま、しばらく顔を上げる事ができなくなってしまった。
それを見守る参列者たちもまた静まり返っていた。
涙を落として拝礼する老武人と、神剣を腰に差した威風堂々たる王者の姿。
それはまさしく荘厳なる名画であった。
この国に語り継がれていくであろう歴史上の名場面であった。
滅び行くエンゲルス王家に、神の恩寵が与えられた瞬間であったのだ。
そして同時に。
この国の有力者たちの胸に、ガタナー商会の名がはじめて刻みこまれた瞬間でもあったのだ。




