(26) 馬車
「トランキーロ様からの手紙によればこの先に……」
早朝。
霧の中を馬車がゆっくり進んでいく。
フードリア公爵家の紋章の入った豪華な馬車である。
「会長、ガタナー会長、救護院の前に誰かいます」
馬車とともに歩いていたのは晴れ着を纏ったガタナーと、彼の商会の従業員たちであった。
今日この日、王城で行われる新王の即位式典。
国内外の貴族や豪商たちの列席するするその式典に、なぜか庶民であるガタナーが招待されたのだ。
しかし庶民のガタナーには新王に貢納する宝物も、そして上流階級のマナーに明るい同伴者の貴婦人も用意できるはずもなかった。
そこで、ガタナーのためにこの城外市の影の首領であるトランキーロがそのふたつを用意してくれたのだ。
ちなみに、この豪華な馬車を借りてきてくれたのはガタナー商会に居候しているチンピラである。
そのチンピラは昨晩、「用事ができた」と弟である会長秘書を連れて行ったまま戻っていない。
「会長、女性です。それと大きな木箱も!」
救護院の前にはベールを被った若い女性が立っていて、ガタナーたちを見つけると優雅に一礼してみせた。
ブラウンの長い髪。それほど高価そうではない地味目なドレスと最低限の宝飾品。
しかし明らかに庶民とは違う、上流階級のオーラを放つ貴婦人であった。
「はじめまして。あなたはトランキーロ様の?」
これにコクリと頷いた貴婦人が、まるで隠れるようにして馬車へと飛び込んでしまったから、若い従業員たちは大いに落胆していたりする。
「さあ皆、その宝箱を馬車に運び入れてくれ。トランキーロ様からお預かりした大事なものだから慎重にな」
それは宝箱というには少々見窄らしい木箱であった。
なにしろ古くて所々塗りが剥がれてさえいるのだ。
「なんだろう、俺この箱をどこかで見たような気がするんだけど……」
「俺も。この木箱、はじめて見た気がしないんだよな……」
そして大きかった。
ちょうど中に、人が丸々ひとり納まるくらいの大きさであったのだ。
「うわ、これけっこう重いですよ」
「この箱の中身は、成人男性くらいの重さがありそうですよ」
従業員たちは馬車に木箱を運び入れると、王都の城門へと消えるガタナーを見送った。
その城門を潜って王城までの道のり。
馬車の中はガタナーと、大きな木箱と、ベールを被った……。
「ええと、リューへー君だよね?」
ガタッ。
木箱からギクリと慌てたような音がして。
「やっぱり分かっちゃいますよね……」
ベールを取って真っ赤な顔の竜兵が現れた。
「そりゃあね。それにしても」
ガタナーがさも感心したように。
「うまく化けたものだねえ」
茶髪のカツラと薄化粧。
ただそれだけの変化なのに、どこから見てもうら若い乙女だったのだ。
「うん。さっきはウチの従業員たちも皆、君に見とれていたくらいだよ」
「この服は知り合いのお姉さんたちに借りてきたんです。お化粧もその方たちに……」
「君も大変だったみたいだね」
「はい……」
どうやら苦渋が顔に出ていたのだろう。
実際に昨晩は大変だったのだ。
いろいろと大変だったのだ。
なにしろ、訳も分からず夜の色町に連れて行かれて。
そこで兄様が「こいつを女にしてやって」などと言い出して。
その兄様との激しい口論がしばらくあって。
やがて諦めて……。
ノリノリのお姉さんたちに着せ替え人形にされて。
「客を取るわけじゃねえんだ、もっと地味な服はないのかよッ」と兄様がクレームを連発して。
「これも」と差し出された女性用の下着を全力で断って。
その下着を見て赤くなった兄様がからかわれて。
それで半泣きになった兄様を必死になだめて……。
いろいろと大変だったのだ。
「それでトランキーロ様は何と?」
「けして悪いようにはしないから、ガタナーさんには心配するなと」
「ははは。心配なんてするはずもないよ」
「え」
これに驚いたのは竜兵である。
「王城への同伴者が女装したボクで、しかもこんな怪しい箱を持たされて、ガタナーさんは不安には思わないんですか?」
「心配も不安もないよ。むしろこれから何が起きるのか、ちょっと年甲斐もなくワクワクしているくらいだ」
「どうして……」
「私のためにトランキーロ様がやってくださる事だからだよ」
ガタナーが穏やかに微笑んでみせた。
「この国で一番の商人となれ。たくさんの笑顔で世界を満たせ。この私にそのような使命を与えて下さったトランキーロ様だ。なさることに間違いなどないさ」
「ガタナーさん、あの、それは、買いかぶりといいますか……。ええと、人間誰しも間違えるといいますか……。むしろ、あの方の場合は間違いしかないといいますか……」
「リューへー君、大丈夫、心配しなくてもいいんだよ」
ガタナーは神託を受けた大司教のように微笑んだ。
「リューへー君は知らないだろうが、実はあのお方は人間ではないんだ」
「え……」
「世間では魔王様などと呼ばれてはいるが、もちろんあのお方は魔族などではない」
「ええ……」
「私は知っているんだよ。けして人には言えないけれど、私だけはトランキーロ様の正体を知っているんだよ」
「えええ……」
「だからね、私には心配もなければ不安もないんだよ」
「ええええ……」
「ふふふ。もしかしたらね、私とリューへー君がこうして話していることも、あのお方は今頃どこかで聞いていらっしゃるかもしれないよ?」
天を仰いだガタナーの足元で。
ガタッ。
木箱がまた音を立てた。
「とはいえ、この箱だが、中身が気になるよねえ」
ガタタッ。
「あのぅ、トランキーロ様からけして箱は開けるなと……」
「うん、分かっているよ。私も今ここで箱を開けるつもりはないけれど……」
ガタッ。
「開けるまでもなく、箱の中身はだいたい想像はつくよねぇ」
「……」
「だってホラ、人がひとり入れそうな程の大きさだろ?」
「……」
「成人男性くらいの重さだろ?」
「……」
「さっきから箱の中でゴソゴソと動いている気配もするし」
「……」
「更に言えば、昨晩からテツヤ君の姿を見ていないしね」
「……」
「つまり、箱の中身は」
「……」
「泥亀かな?」
「!」
「ははは、正解か。リューへー君は顔に出やすいねぇ」
「あの、その、これは、兄様は……」
「おそらくはこの泥亀を捕まえるためにテツヤ君が呼ばれたんだね」
「え!」
「なにしろテツヤ君は泥亀をひっくり返す名人だからねぇ」
「え、ええ……」
「どうせ何を贈ったところで、箱の中身は石ころに入れ替わってしまうものね。しかしだからと言って王様に生きた泥亀を贈る発想はなかったよ」
「あの、ガタナーさんは怖くはないんですか? これが本当に泥亀ならガタナーさんは不敬罪で……」
「いやあ、どうなるんだろうねえ。楽しみだねえ」
ガタナーが木箱をトントン叩くと。
ガタッ。
中にいる泥亀がモゾモゾと動いた。
◇◆◇◆◇
「兄様、動きすぎですよ。少しはじっとしていられないんですか!」
「ガタナーさんは?」
「王城に入るための手続きに出て行ったところです」
俺は箱の蓋を開けて「うーん」と背伸びをした。
「高木さんもお疲れ様」
「いえ、あっしはじっとしてるのは慣れておりやすので」
そう。俺が入っていたこの木箱は高木さん。
大きな木箱に擬態していた高木さんなのだ。
まあミミックの高木さんにはいつもの胴鎧よりも、むしろこちらが本業なんだげどね。
「それにしても兄様、ガタナーさんが泥亀とか言い出したときはもうダメかと思いましたよ」
「いやああのときは俺も焦ったわー。心の中でずっと、焦んなよ、俺、焦っせんなよって……」
「普通ならとっくにバレてますからね! ガタナーさんに妙な思い込みがあったから助かったものの」
「せっかく女装したのに、竜兵のことはガタナーさんには即バレだったしな」
「そりゃそうですよ!」
「でも何も聞かなかったな。同伴の貴婦人役をおまえがつとめる理由も。おまえが上流階級のマナーに明るい理由も」
「はい」
「たいした人だよな、ガタナーさんは」
「そりゃあ聖天使様が見込まれた方ですからね」
「聖天使ぃ? なんだそりゃ?」
「いいえ。それよりもッ」
「ん?」
「どうしてボクだったんですか? どうせ借りるならなら馬車でなく、サイゼ姉様の侍女さんでも借りればよかったのに」
竜兵が口を尖らせた。
ちなみに竜兵は、あのドリル頭の痴女さんとは旧知の仲だという。
先代のフードリア公爵に王家の姫が降嫁していて、あの痴女さんは竜兵の又従姉に当たるんだとか。
その身贔屓なのか、俺が「初対面なのに顔を何度も舐められた!」と言ってもなかなか信じてくれなかったのよ。
「そんなことをする人じゃありませんよ。第一、公爵家の姫君ですよ?」とか言ってさ。
それでその痴女姫さん。
なぜか俺にお礼をしたいとか言い出したから、俺はガタナーさんに同伴してくれる貴婦人を借り受けようと思ったわけよ。
痴女姫さん本人は腐っても公爵家の姫様だから無理だとしても、その侍女さんでも借り受ければガタナーさんの同伴役は果たせるわけで。
俺だって最初はそう思ったさ。
でもさ。
「でもさ、そうするとおまえがここに来れねえじゃん?」
「え」
「おまえ、見たかったんだろ? 父ちゃんの晴れ舞台を」
「どうして!」
「分かるさ。それくらい」
「兄様……」
「と言っても、今日は遠くから見るだけな」
「ボクは、ボクは……」
「まあそのナリなら、誰もおまえだってことに気づかないだろうし、ちょうどいいかなって思ってさ」
「兄様……」
「カツラに衣装にアクセに化粧。まったく、あいつらはいい仕事をしてくれたよ。どこから見ても完璧に女の子じゃねえか」
「ふ、ふん。どうせボクは男らしく見えないですよぅ」
「ん?」
「ふん、最初にダンジョンで会ったときも、ボクが男だと知って兄様はすっごいガッカリしていましたものね」
「そうだったかな?」
「そうでしたよッ。すみませんでしたね、ボクが女の子でなくて」
「んー、あのときかぁ。たしかに今のおまえみたいにかわいい女の子と出逢えなかったのは残念かもしれんけどさ」
「ふん」
「だけどそんなの、俺の弟と比べ物にはならないじゃん」
「え」
「あのときあそこにいたのが、おまえでなくて誰か他の女の子だったとしたら……」
「……」
「うわ、怖ッ。なんか想像しただけで鳥肌が立ったわ」
「兄様……」
「おっと、ガタナーさんが戻ってきたな。じゃあ高木さん、またしばらくの間ヨロシク」
「へい、若旦那」
「お待たせ。あれ、リューへー君どうしたんだい?」
「ぐす、ガタナーさん、すみません。お化粧なら今すぐ直しますので」
「いったい何が……」
「ああ、たいしたことではないんです。いつものことですから。ホントにたいしたことではなくて、いつもの、ただの不意撃ちですから」
「それに後で抗議しなくちゃ。ボクの心を読む魔法を教えないでよって、困りますよって、抗議しなくちゃ……」




