(25) 貴婦人
「貴婦人ですか?」
「ああテツヤ君、困ったよ。まったく当てがなくてね」
頭を抱えて溜め息をついたのは善人商人のガタナーさんである。
「随分と急な話でしたからね……」
「ああリューへー君、明日の即位式典に招かれたのは大変光栄なことだが、あまりにも急な話で準備する時間がまるでない」
「準備というと、ええと、まずは王様への贈り物として最低限恥ずかしくない貢納品ですよね」
「ああ。有りがたいことに、そちらはトランキーロ様が用意してくださるそうだが」
ガタナーさんがリューへーに手紙を見せた。
さっき俺が手渡した手紙である。
もちろんさっき俺が書いた手紙である。
『おくりもの、くれてやる』
「うゎ……」
竜兵に凄い目で睨まれてしまった。
えーと先生、どこかにスペルミスとかありましたか?
「他にも王城まで乗り付けるための馬車なんかも手配したいけれど、なければ私が荷車を引いてもいい。だが同伴者となると……」
「ええと、ノーラさんが同伴者ではいけないのでしょうか?」
ノーラさんはガタナー商会のグループリーダーのひとりで、「チンピラなんてここから追い出せよ」発言のあのお姉さんである。
「王城で、お貴族様に囲まれての式典だからね。マナーも立居振る舞いも知らないノーラでは何か粗相あったら大変だ」
うーん、たしかにちょっとしたマナー違反で首チョンパの世界だものね。
城外市の貧乏人にさすがにそれは可哀相。
でも上流階級のマナーをわきまえている貴婦人かぁ。
「テツヤ君、悪いがこれもトランキーロ様におすがりしたい。なんとかならないか尋ねてきてもらえないかな?」
いやいやガタナーさん、期待されてもたぶんトランキーロさんには貴婦人の知り合いなんていませんからね?
それでも頼まれた以上は、俺も貴婦人を探して城外市を当てもなくキョロキョロと。
つか、こんな城外市に上流階級の貴婦人なんていないだろ、普通。
「おほほほほ。ワタクシ、こちらに来るのは初めてですけれども感心致しましたわ。ここにいらっしゃる皆様はよくもまあ我慢できますこと。あんな小さくて見窄らしい家に暮らしていて、窮屈に思わないものなのかしら?」
「お嬢様、お嬢様、いけません、いけませんッ、声が大きうございますぅッ」
「いたよ、貴婦人!」
家を失った人たちのためにガタナーさんが建てた長屋の辺り。
金髪をグリングリンのドリルにした若い女と、その侍女っぽい人がいたのよ。
「お嬢様、もう馬車に戻りましょう。ここは危のうございますぅ」
たしかに危のうございますよ?
こんな貧民街に迷いこんだお金持ちのお嬢様とか、ピラニア水槽の中のチワワ犬でございますことよ?
だから俺は思わず。
「おうおうおうおう、なんだてめえらは? ここいらでは見ねえツラだが余所モンかぁ?」
思わず声を掛けてしまったのよ。
俺だって余所者のくせにね。
「お嬢様、お嬢様、お逃げください、ここは私が……」
「おっと、おめえらもしかしてお貴族様かぁ? お貴族様がこの町にいったい何をしにきやがった?」
「お嬢様ぁッ、お願いです、お逃げくださいぃーッ」
「うへへへへ、どうしたドリル頭のお嬢ちゃん、俺のことが怖くて足がすくんだか?」
「え、ぜんぜん怖くありませんけど?」
「うへへへへ、そうかそうか、そんなに怖いなら逃げだして構わないんだぜ?」
「は? だからちっとも怖くありませんし、どうしてワタクシが逃げねばならないのですか?」
「お嬢様ぁーッ、こんなときまで変な意地を張らないでくださいよぉッ」
「ぐへへへへ、そっちの姉ちゃんの言うとおりだぜ、この俺様に酷い目に合わされたくなかったらとっとと消え失せな」
「だからどうしてワタクシがアナタに指図されねばならないのですか? それと、いったいどんな酷い目に合わせてくれるのか、少し興味がありますわね」
「お嬢様、只今護衛剣士様を呼んで参りますのでッ」
あ、侍女さんだけ行っちゃった。
「おうおうおうおう、さっきからジロジロ見やがって。てめえは俺のことを舐めてんのか?」
「まだ舐めてはいませんけども?」
「うるせえ、それの言い草が舐めてると……」
そしたら、お嬢様がつかつかとやってきて。
ペロリ。
頬を舐められてしまった……。
「なッ、な、なななッ」
よく女の子が痴漢に会ったときに怖くて声を出せないって聞くけど、その気持ちが分かってしまった。
ビックリしたのと、怖いのと、混乱してるのとで声が出ないのよ!
ヤベぇ、俺、防犯ブザーなんて持ってないし!
「やっぱりアナタ、いい匂いがしますね」
「ちちち、痴女や、痴女がここにおる!」
ペロッ、ペロリ。
「ヒッ。だから止めろやッ! てめえいったいどういう積もりだ!」
「ですから先程申した通りです。アナタの指図などは受けませんし、ワタクシは自分の言葉には責任を負いますので」
「いや、責任の負い方がおかしいだろ」
「なにしろワタクシの言葉ひとつで何人もの命が失われるかもしれないのです」
「そりゃ怖えな」
「あるいは失われないかもしれないのです」
「言ってることガバガバかよ!」
「だから今は安堵して感謝もしているのですが」
「意味が分からねーし!」
「まあそれはともかく。アナタ、そろそろ逃げた方がよろしくてよ?」
「はあ? なんで俺が逃げなきゃならんのよ?」
「だってホラ、向こうからワタクシの護衛剣士が来ますわよ?」
「だからなんだよ? 俺だっておまえの指図なんて受けねえし」
「あの者はああ見えて、かの剣聖の直弟子です。アナタ、死にますわよ?」
「ふん、剣聖かなにか知らんけど、そう簡単には死なねえよ」
「あら、死にますわよ?」
「死なねえって」
「絶対に死にますわ」
「絶対に死なねえし」
「どうして言い切れますの?」
「俺は泥亀のテツだ! ケンカは弱えが打たれ強え、泥亀のテツ様だからだ」
「泥亀?」
「おまえは?」
「ワタクシ?」
「名前だよ。人にばかり名乗らせるんじゃねえよ」
「言いたくありません。これから死ぬ者に名乗ってもしかたありませんもの」
「ふん、そうかよ。じゃあ聞かねえよ!」
「サイゼリーナですわ。サイゼリーナ・ミラノ・フードリアと申しますのよ」
「へそ曲がりか! あとお嬢様のくせにやたら庶民的で親しみやすい名前だなッ!」
「お嬢様ぁ! サイゼリーナお嬢様、お怪我はありませぬかァ! ですが、某が参上致しましたからにはもう御安心召されぃッ」
「なんか暑苦しいマッチョさんだな」
「小僧ッ! 貧民窟のチンピラめ、無礼者め、狼藉者め! さあさあ、この俺が斬り捨ててくれるぞ!」
「おいおいおっさん、問答無用かよ!」
「なりませぬ! その者を斬ってはなりませぬ!」
「参る!」
おっさんの腰には日本刀に少し似た曲刀。
その剣におっさんの手が高速で触れて。
「死ねえええぇい!」
抜刀、それと同時に俺の首を目掛けての光速の振り抜き。
人には見えぬ一瞬の中の握、抜、斬。
見事な抜刀術だったと思う。
そしておっさんは剣を振り抜いた残心の姿勢のままで、俺の首がボトリと……。
いや、落ちないけどね。
「は?」
おっさんがマヌケな声を漏らした。
だから俺は。
「ヒ、ヒイイイイィッ! 斬られたあああぁッ!」
腰を抜かして後ずさって見せた。
まあ斬られてはいないけどね。
だっておっさんの手には剣の……。
「持ち手だけだと? そんなまさか……」
おっさんが腰の鞘を傾けると、中から刀身がスルリと抜けてボトリと地に落ちた。
「そんな、剣が、大金で購ったばかりの俺の剣が、根本からスッパリ断ち切れているなんて……」
「おほほほほ。ワタクシの護衛など、折れた剣でも勤まるということなのかしら?」
「お嬢様……」
「そなたは馘ですわ。このことは父上にも、剣聖殿にも申しつけておきますので」
「お待ちを! お嬢様、そればかりはどうか、どうか!」
「ホラ、アナタもいつまでもふざけていないで。さあ行きますわよ、泥亀さん」
「え、え?」
ドリルヘアーのお嬢様は俺の手を引っ張って立たせると、そのまま腕をガッツリと組んできた。
「なに、これなにッ」
「アナタには礼を言わねばなりませんね」
「ちょ、当たってる、俺の腕にポヨンポヨンのたゆんたゆんが当たってるッ」
「アナタのお陰であの護衛剣士を馘にできましたもの」
「知らん、知らん、俺は何にもしてないから!」
「なにしろ、あの者ときたら新しく剣を購って以来、人を斬る口実ばかり探しておったような不届き者でございますの」
「ちょ、ちょ、近い近いッ、耳元に息がぁッ」
「あのまま放置すれば、ワタクシのためにと言いながら罪のない誰かを殺めてしまうところでしたのよ。フゥーー」
「ギャーーーッ」
「それと、もうひとつ。はむ」
「オワぁッ! 耳を甘噛みするなッ」
「最初に。大声で絡んできたかのように見せかけて、ワタクシたちをとり囲んでいた良からぬ連中を追い払ってくれたことにも感謝いたしますわ。ペロッ」
「ヒイィッ!」
「おほほほほ。というわけでお礼をしなくてはなりませんね。アナタにはタップリとお礼をしなくては。ペローリ」
「お願いですッ、どうかお赦しをッ、もう放してくださいーッ」
そんなこんなで帰宅して。
「あのそれでガタナーさん、そのお嬢様になんかいろいろと勘違いされちゃったみたいで」
「……」
「どうしてもお礼がしたいとか言われたんで、ガタナーさんの事情を話して」
「……」
「アレを明日まで貸してもらったんですが」
「……」
「ホラ、お城まで荷車を引くよりはいいかなって」
「こんな豪華な馬車を……。しかもフードリア公爵家の紋章の入った馬車を御者付きで……」
「それで兄様、肝心の貴婦人は……?」
◇◆◇◆◇
「あー、やっと休憩だ」
「王様の即位式とかで田舎者が集まってるから、やたら忙しいよな」
城外市の色町。
夜空にフウーと煙を吐いたのは、お色気ムンムンのお姉さまたちである。
「リューへー君も最近ちっとも来てくれねえし」
「組織を辞めちゃったものな。もうウチには来ねえよ」
「来ねえかなぁ、ウチには癒しが必用だし」
「こんな店には来ねえってば。リューへー君はマジメだしシャイだもの」
「分かんねえじゃん。あの馬鹿兄貴が連れてくるかもだし」
「ねえよ!」
「金は払う、おまえらで弟を男にしてやってくれ」
「ギャハハハ、アイツのマネ、似てるじゃん」
「ギャハハハ、百パーねえけどな」
「でも意外とあるかもよ。アイツ、馬鹿だけど兄弟仲はいいし」
「それな。すげえ馬鹿だけどな」
「救いのねえ馬鹿だけどな」
「ゴホン、ゴホン。あー……」
「げ。テツ、いたのかよ!」
「お姉さん、お久しぶりです、こんばんは」
「リューへー君ッ、リューへー君も来てくれたの? まさか!」
「馬鹿テツがリューへー君を連れてきてくれたなんて、このパターンはまさか!」
「あー、おまえらを見込んで頼みがあるんだが」
「まさか、まさか、まさかぁッ!」
「あー、金は払う。金は払うからおまえらで竜兵を……」
「キターーーーーッ」
「竜兵を女にしてやってくれ!」
「え」
「え」
「ええええーッ!」




