(24) 声望
「これは、この報告書にあることは事実なのか!」
「はい。我々情報庁でも確認致しましたが間違いありません」
「しかしあれだけの蛮行で死者がひとりも出ていないとは! しかもそれを成したのが貴族でもなく、教会でもなく、まさかひとりの庶民だったとは! さほど裕福でもない市井の商人が、私財を投じて我が国民の命を救ってくれたとは!」
男は万感を込めて天をあおいだ。
「元老院が一切の補償もなく、事前の布告さえもなく民の住まう家屋数百棟を破壊したと聞いたときには、我が祖国もついにここまで腐りきったかと神を恨んだものだ。いっそ自決して、その黄泉路で亡くなった民に詫びようとも考えた。だが死者は出なかったという、民を救うために立ち上がった者がいたという……」
「……」
「その者に会いたい。長官、その者に招待状を送ってくれ」
「……」
「どうした? この操り人形には、妻と息子の命すら守れなかったこの傀儡には、自分の即位式典に庶民をひとり呼ぶことさえ許されないのか?」
「いえ……。ではそのように取計いましょう」
氷の表情の情報庁長官はあくまでも慇懃に。
「なれど、自決などと軽々なことは」
慇懃に去礼の姿勢を取りながら。
「せめてあと一年は御辛抱くださいますよう、国王陛下」
◇◆◇◆◇
朝。日の出の時間。
隣の寝台で竜兵がモゾモゾ起き出して、その気配で俺も目を覚ます。
身支度を整えて井戸から水を汲み顔を洗う。
ちなみにガタナーさんはとっくに起きている。
この時間は執務室に灯りをつけて、取引先や遠方の知人に手紙を書いたりしているのだ。
その間、居候の俺たちは掃除の時間。
まずは便所掃除から。
それがね、なんかね、竜兵がテキパキ動いてやたら手際がいいのよ。
「なあ竜兵。おまえすっかり便所掃除がうまくなったな」
「はい兄様。ボクは兄様の言ったことが、近頃ようやく分かってきたんです」
「ん?」
「だから、仕事のできる男は、便所掃除をやらせてもうまいものだって」
「ああ」
「逆もまた真なりで、便所掃除のうまい男なら、どんな仕事でもうまくこなせるものだって」
「うーん、それは少し違う気がするんだが」
「えええーッ!」
「だいたいさぁ、便所掃除のうまい総督様なんて聞いたこともねえしさぁ」
「むぅ。そんなこと、便所掃除のうまい魔王様にだけは言われたくないですよ」
そう。
なんとこの竜兵、この城外市を統治管轄する国任総督様だったらしいのよ。
なんでも元服の後、臣下に言われるままに何枚も何枚もサインしたそうで、どうもその中に総督の任命書もあったのではないかってさ。
そもそも城外市の総督なんて、誰もやりたがらない閑職だって言うし。
なにしろ城外市は貧乏人ばかりで税金だってロクに取れないじゃん?
徴税人を雇って貧乏人から無理矢理搾り取ったとしても、暴動を起こされるか労働者のストライキを招くのがオチだって言うし。
そしたら管理者としての責任を問われちゃうというし。
なまじ王都に近いから「そのような事実はありません」なんてゴマカシもきかないしね。
要は理科室の火元責任者みたいなもので、城外市の総督様なんてリスクはあっても旨味が皆無のポストなの。
ここから大火でも出そうものならそれこそ責任問題だしね。
それで何も知らない竜兵に総督役を押し付けたってこと。
どうせすぐに死ぬ予定の第二王子様なら、名ばかりの火元責任者にはうってつけだしね。
まあそんな雲の上の人たちの事情なんて、城外市の庶民は知らないわけで。
それどころか、ほとんどの人は城外市に総督様がいることさえ知らないと思う。
ガタナーさんも第二王子のことはすぐに口止めしたし。
だってガタナー商会を噂元にして、王家の悪評がたったら文字通りガタナーさんの首が飛んじゃうからね。
で、そのガタナーさんだけど。
今回の救済事業で資金を使い果たしたことで、事業の拡張計画は全て水泡になったわけ。
現在は以前と変わらず、子供たちを日雇いのバイトに使ってのチマチマした商売しかできていない。
つまり規模的には、王都の商業者組合の中でも最低辺の商会といっていいかもしれない。
もっとも、トランキーロファミリーの資金があったとしても、それで王都で一番の商人になれるというものでもないみたいで。
それがあったとしても、最低辺からせいぜい下流の商会になる程度の変化でしかないのよ。
ウチの組織で言えば、泥亀のテツからラット先輩になる程度。
儲けの厚い王都の建設業や金融業は、既得権を持つ商会によってガチガチに固められていて、新参の商会が入り込む余地なんてどこにもないんだって。
つまり、ガタナー商会は王都の中のおいしいビジネスには参入できないのよ。
儲けが厚いといえばもうひとつ、キャラバン隊による都市間、国家間の交易事業があるけれど、これも実質的にガタナー商会の参入は無理。
国内各所の関所を通過する度に通行関税を払っていたら、儲けなんて出るはずないからね。
つまり都市間や国家間の交易事業なんて、関所に通行関税を支払う義務を負わない「特認商会」でもなければ参入できないのよ。
「じゃあさ、ガタナーさんもその特認商会になればいいんじゃね?」
「はははテツヤ君、無理を言わんでくれよ」
朝食の食卓でそう笑ったのはガタナーさん。
そう。今やこの城外市で知らぬ者のいない程の有名人である。
なにしろ金儲けが仕事の商人のくせに、赤の他人を救うために私財を投じた変人なのだ。
王都のお役人の横暴によって、突然それまで住んでいた家を失ってしまった人たち。
その二千人を超える人たちに温かい食事を与えて、暮らしていける家を与えたという大変人である。
これに涙を流して感謝したのはその二千人だけではない。
死人をひとりも出さなかったことで、解体作業に加わった労働者たちもガタナー商会に感謝しているそうな。
だからここ最近は人が集まるとこの変人の話でもちきりなのよ。
井戸端の女たちも、酒場の男たちも、路地裏の子供たちでさえもね。
竜兵によると、今やこの城外市で二番目に有名な人物は「胆っ玉ガタナー」なんだってさ。
じゃあ一番の有名人って誰だよ?
そしたら竜兵の奴、俺の顔をマジマジと見て溜め息を吐きやんの……。
おっと脱線。ええと、そう、特認商会の話だった。
ガタナーさんによると、順調にいってもガタナー商会が特認商会になるまでは百年掛かるそうな。
俺たちの組織で例えると、王都の商人組合においてガタナーさんは新入りのチンピラで、特認商会とはサダナーみたいな親分階級なんだって。
うーん、そりゃ無理だわ。
だって俺みたいなチンピラにとって、サダナーなんて雲の上の存在だし。
「たった一晩で、そのサダナーさんの上に立った人物だっていますけどね……」
「はははリューへー君、実は一晩で特認商会になることも理論的には不可能じゃないんだよ」
「本当ですか!」
「あくまでも理論上はね。実際には絶対に不可能だよ」
「ガタナーさん教えてください。どうすればそんなことが」
「なに簡単なことさ。『王室御用達』に指定されればいいのさ。王様に直接お会いして、そこで誰もが認める程の宝物を寄進するのさ。どこからも文句の出ないほど圧倒的な宝物をね」
「ガタナーさん、それなら!」
「だからリューへー君、そんなことは絶対に不可能なんだよ」
「そうでしょうか? だって王様に宝物を寄進するだけなら……」
「不可能な理由その一。私のような庶民は王様に直接お会いする機会などない」
「あ」
「不可能な理由その二。そもそも王様に寄進できる程高価な宝物なんて私には買えない」
「それは……」
「不可能な理由その三。王様に直接お会いする機会を得られたとしよう。そして素晴らしい宝物を贈ったとしよう。それでもその宝物は、けして王様の所までは届かないのさ」
「どういうことですか?」
「贈った箱の中身がどこか途中ですり替わるのさ。王様の前で箱を開けると、その中身がなぜか石ころに変わっているんだよ」
「そんな……」
「不思議な話だろう? でもそんなことが実際に過去何度も起こったんだ。新進の若い商人が王様に石ころを贈りつけたとして、不敬罪で罰せられたのさ」
「酷い……」
「おそらくはお城の中に特認商会を増やしたくない人たちがいるんだろうねえ。だからそういう人たちにも賄賂を渡してしっかり根回しをしておく必要があるんだ」
「でも賄賂なんて……」
「とてもじゃないけど今のガタナー商会に払える金額じゃあないね。それにたとえそんなお金があったとしても……」
「ガタナーさんは絶対に払わねえよなぁ」
「ですよねえ……」
「ああ。ガタナー商会の資金は、トランキーロ様からお預かりしたものだ。お貴族様やお役人への賄賂なんかに使っていいお金じゃないからね」
それは朝食のときのちょっとした雑談だった。
朝食の後はガタナーさんと竜兵は日常のチマチマした仕事に取り掛かるし、俺は俺でチンピラとしてあちこち走り回らなきゃならん。
だから。
「会長、ガタナー会長、大変です!」
ナイマンさんが飛び込んで来たときも。
「王宮から御使者の方がおみえになりました!」
「分かった、すぐに行く! しかし王宮だと? いったいどういうことだ?」
「それが、新王様の即位式典への招待状をお持ちとのことで……」
ガタナーさんがバタバタと出ていったときも。
「庶民の私に王宮から招待状だと? ありえん、何かの間違いではないのか」
俺が考えていたのはまったく別のことだった。
「若旦那、あっしのこともたまには……」
「うん、高木さん。ちょうどそれを考えていたんだけどさ、たった今とてもいいアイデアが浮かんだんだ!」
「わわわ、タカギさんの案件で兄様のアイデア……。なんかもう嫌な予感しかしないんですが……」




